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191. 血糊の雨

191. Rain of Gore


俺がヴァナヘイムの神々の内の一人であったなら、まずこの瀕死の狼に武器を投げつけることを躊躇っただろう。


偏に、慈悲深くありたいと思うからではない。


この枯れかけの大狼に、今更何ができると言うのか。

それを注視する前に動くのは、人間らしい愚行であるように思えたからでもない。


確かにGarmの勝気な性格が、未だSiriusの中に闘志を宿してはいた。

憎々し気に対岸の人間どもを睨みつけ、とてもこのまま息絶えてくれそうな気配はない。

それに、仮にも狩猟を生業の一部としてきた神族であれば、手負いの獣ほど恐ろしいものは無いことは、身に染みて分かっていることだろう。

すぐに息の根を止められるなら、そうしてやるべきだ。


“…げろ…”


だが、彼らが対峙している大狼は、残念ながら既にこの世を去った身だ。


“逃げ…ろ…!”


何を、退治してやろうなどと、勇敢ぶっていやがる。


“グルルルルゥゥゥゥッ……”


槍の雨など、どれだけ冷たく降り注ごうが、毛皮に染み入ることは無いんだぞ。


“グフフ…ドウシタ?早ク殺シテ見ヨ、ヴァン族ノ英雄ドモ!!”




お前達は立ち向かうことを躊躇い、尻尾を巻いて逃げ出すべきだったのだ。




無様に泣き喚くようにしか映らぬだろう。早く介錯をと懇願するように悔しそうだろう。

だが、それでお前たちが驕るようなら、まさに神様らしい立ち振る舞いであると言えるのだ。


「放てぇっ!!」


彼らは身を以て知ることになるだろう。

こいつは、地獄界の女王の寵愛を一心に受けた大狼だ。


“…Siriusは、不死身だ。”


彼女が、自分の遊び相手を他に見つけることが無い限り。


「や、やめろーーーーーっっ!!」


Teusの叫び声も、最早彼らの耳には狼の言葉のように届かない。

彼とてやはり、器としての統率者に過ぎなかったのだ。

弾圧の衝動に駆られた愚民の手綱はもう握れない。


“隠レテクレェ…Yonahァァァッッッ!!”


Siriusは自らの首をどうにかして擡げると、首元の毛皮で押しつぶさぬよう優しく、彼女と、その息子としてのSiriusに覆いかぶさった。

降り注ぐ、火の粉の盾になろうと言うのだ。



“何てことだ……”


片や、俺の方はと言えば、無防備だ。

Siriusと同じように、槍や剣に全身の毛皮を貫かれる他無い。


とんだ巻き添えを喰らってしまったらしいが、纏めて始末できるのなら、それに越したことは無いよな。


どいつもこいつも、大狼の口元へと近づくような危険は犯したくないらしい。

神々は、飽くまで接近戦を避け、投擲武器に頼るようだ。

正解と言えば、正解だろう。俺達を狩りの対象とするのなら、自分たちは射撃にだけ徹すればよい、一方的な盤面の処理に徹すれば良くなるから。


ザグッ…


最初の一発が、よりにもよって俺の顔面を刺したのには、大した狩りの名手であるなと素直に驚嘆してしまった。

Teusより数段上手いな。拳銃を持たせてやれば、立派な兵士に堕しそうだ。

ザシュ…グシュ…ズダダダダッ……


“ヴウゥゥ…ゥゥゥゥッ……!!”


ズシャズシャ…ズチャチャァッ……


“ギャアアァァッ……!?ア゛ア゛ァッ!!アギャアアアァッ!!”


“キャウゥ……クゥゥッッ……”




今までに俺がGarmによって与えられた傷に比べれば、それは掠り傷として笑えてしまうようなものだっただろう。

彼らには、ルーン文字とは別の文字文化があって然るべきだったが、それは一部の神族によってのみ共有されていることを、俺とTeusは既に検証済みだ。


“フフフ……大丈夫ダ、Yonah…今度コソ、俺ガ護ッテ、上ゲル、カラ…”


故に彼らは、本当に哀れで無力だった。

ヴァン神族の長だけを頼り、大狼からの襲撃に怯えて来た。

そして、当の本人は、実のところ、狼を殺す術を持ち合わせてなどいなくて、

追放などという、一時しのぎによって、一応の愛情を示してきたのだった。


遂に露となった野蛮な本性も、蓋を開けてみれば、こうも情けない。


ズチャ…ドチャ…ズチャチャァッ…


“ククク……。”


“ドウダ、Fenrirヨ…愚カシイト、思ワナイカ…?”


彼はまるで、添い寝で隣に居合わせた狼に目配せをするようにして、俺に同意を求める。


ズシャズシャ…ズチチャッ……


“……。”


だが、瀕死というか、どうしてまだ楽にして貰えないのかと思ってしまうほどに弱り切った俺たちにとっては、そのすべてが致命傷として届く。


“……。”


突き刺さった衝撃にも反応が無いあたり、死骸を蹴るようで惨たらしい。


不敵な笑みを、傍の俺だけに残し、

最後には、柔らかい肉塊にぶすぶすと突き刺さる大剣が、俄雨の名残のように振って、迎撃は終わった。






Siriusの瞳が、光を失って濁る。




俺もまた、そうなのだろう。




意識がすーっと遠のき、眠りに、墜ちた。







ピクン…ビク、ビクッ…


“……。”


そう。Siriusが誘った通りに、ヴァン神族は、迂闊に手を出してしまった。


いとも容易く、藁の上の死を、与え手しまったのだ。




俺とTeusが、幾度も目の当たりにして来た通り。

狡猾な狼の、狙い澄ました通りだ。


Siriusが、再び立ち上がる為の手段とは、

自分とYonahの間を引き裂こうとする神々に仇為す術とは、

ただ一つしかない。




“オ嬢……。”




彼女に、蘇らせて貰うしかないのだ。





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