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187. 怪物河の底攫い

187. Van River Trawler


“うわあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……ん……”


“あ゛あ゛あ゛あ゛…うあ゛あ゛……”



“ふぇん……るさああ……ん……”



だんだんと、意識がはっきりしてくる。



“が……む……さあぁぁ……ん……”



直前の記憶が、ようやくと俺の中で再生される。



これは、俺が前世を去る前の夢ではない。

俺が死に至るまでの映像ではない。



そうだ……俺は…。

俺は、この仔を身籠ったまま、

墜ちたのだ。



そうでないなら、これは悪夢だ。

あってはならない。


Siriusが、まだ俺と同じ世界にいるだなんて。


ほんの数刻前の俺であれば、それが俺に与えられた喜びとしてどんなに尻尾を振り回したことだろう。


貴方が再びこの世界に降り立った奇跡を、未だに信じられずにいます。

そして、それがどんなに願っても叶わない夢だからこそ。

俺は貴方自身に成り果てることを、厭わなかった。




でも、今だけは、お前は此処にいちゃあいけないんだ。




Siriusまで、

貴方まで一緒に、ヘルヘイムへと墜ちることは無かったのに。




救えなかった。




その事実が、俺の心臓をぶすりと貫いて鼓動が止まった。




助けられなかった。




その結末が、乾いた瞳を刺す。涙が零れ落ち、曇った視界を洗い流して行った。



“……!?”



そうして段々と現れた世界とは、

まるで俺が生まれるべきだった誕生であったのだ。



“え゛あ゛あ゛っっ…うえ゛え゛ぇぇぇ……”



ぐちゃぐちゃに弾けた狼の死骸の上で、

小さな狼が、目をまん丸に見開き、

狂ったようにしゃくり上げて哭いている。



まるで、狼の腹を立てに裂き、包み込んでいた袋の中から、生きたまま摘出されたように。



Siriusは全身の毛皮にべったりと血を纏わせ、

彼は赤子のように、泣き叫んでいる。


しかし、その仔を産み落とした狼とは、見るにも堪えぬほど砕けて潰れた、目の前の大狼ではない。


“あ、あぁ……”


眼下を眺めると、俺の腹は、俺自身との結合の跡を、しっかりと縫い目として残していた。



母体は、俺であったのだ。



溢れた(はらわた)が臍の緒ように伸び、途中で途切れて潰えている。


狼の脚の形をした、流木が水面に浮かんでいて。


その先に、あいつはいた。



“Gar…m……?”



徐々に、はっきりとする視界。

頭を強く打ったなどという言葉では足りない。

致死の衝撃で忘れ去られようとしていた、

輪郭も脈絡も無い夢だったはずが。


ぐいと、尻尾を引っ張られ。引き戻される。


俺を、否応にも神々の住まう世界へと呼び戻す。

蘇って来る。



“ど……う…して…?”





何故だ…

何故 ‘お前’ が、この仔を飲み込まなかった。



お前の主とは、お前だ。

その強固な狼の決意を前に、

縫い合わされた腫瘍が抗うことなんて、出来なかった筈だ。


こうなってはならなかった。お前は今、この舞台で俺と真逆の立場にいられたはずなのに。




着水に至るまでの、僅かな揺らぎに。


何故お前が、俺に代わって…!


俺達の下敷きになって!潰れることを選んだのだ!?




ふと、Garmの口脇が、歪んだ気がした。

それを笑っていると、考えてしまうのは、亡骸に対する最大の冒涜であると思っている。



……ああ、そうか。


奴なりの、せめてもの報復であると、今になってようやく理解される。

俺に、この仔を喰らう悪夢を、二度も味わわせたいばかりに。


それに、この狼は、何が何でも俺が地獄へと墜ちることを阻みたがっていた。

仮にGarm自身が、見るも無残な変死体へと成り果てようとも。

それが安らかなる藁の上の死である限り。


彼は永遠に、オ嬢の寵愛の中で目覚めるのだから。


であれば、これは……そうだよな。


決して、俺に向けて貰えた ‘愛情’ などでは、無いのだ。


あるとすれば、Siriusの為を想って。


この五月蠅い仔狼が、これ以上嘆き悲しむのが耐えられなくて。


止むを得ず、自らの肉塊を捧げることを選んだだけ。




"……。"




周囲の景色が、完全に取り戻され、

気付けば懐かしい景色の中に、俺たちは浮いていた。



随分と、下流まで流れ着いたらしい。







頭を擡げることをしても、身体が沈んで行かない。


眼下で揺らぐ水面に目を凝らすと、

俺自身と判別もつかぬ醜い鼻面の奥に、

美しい、白蛇の鱗の無い模様が見える。




“ヨルム……”




あいつが、此処まで運んで来てくれたのだ。




……俺たちが最期に辿り着いたのは、ヴェズーヴァの畔。




Garmと群れ仲間たちが目指した聖域であり、


俺が迎えられることを拒んだ、領界の導であった。





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