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184. 肉薄する裂け目

184. The Chasm Closing in


“……。”


夢と現の嗅ぎ分けもつかぬ。

落下の無重力状態にも慣れ、記憶の氾濫に身を委ねつつある。


俺が腹のうちに抱えて来た、群れ仲間たちよ。

ありがとう。

自らの毛皮を剥いで、貸し与えると誓った時、

お前達が、どれだけ自分のことを想って、自らを殺してくれていたのか。

今になって分かった。


抱えきることなんて。

とても無理だ。


お前達のどの一匹も、

こうして俺の中に生かすことなんて出来ない。


だって、たったの一生を流し込まれただけで、

死を迎える間際、その最期の熱い思いに撃たれ、

俺はもう、ばらばらに引き裂かれてしまいそうなんだ。


追体験を超えている。

頭がいつでも、何の気なしに思い出せるのに似ている。


お前は記憶を薄めて、感覚を麻痺させているだけ。

俺は、超大作の読後感に疲弊し、感涙させられることを、

心の中でお前達が毛皮を寄せて挨拶をするたびに、新鮮な思いで体験せねばならない。

こうして牙を首元に迎え入れるより、それは数倍にも辛いことだ。


それを、知っていたのか。

俺は決して選ばれた、頑強な器などではないと。

群れを愛して立ち上がった、悲劇の縫合体でも無い。


ただ、愛されていただけだったということを。


オ嬢に、お前たちに。


彼女に。




“……間モナクダ。”


耳を傾けるが良い。Fenrir。

肝心なところだ。


長い、長い走馬燈であった。

しかし遂に、この時は来たのだ。


我々は、最下層へと到達する。

濁流の蒸気が濃い霧の中へと突っ込む。


此処から先は、目隠しをされた処刑台の上。


感覚的に死の瞬間を察することは出来ても、いつ着水による全身の粉砕が訪れるかは分からない。

春の訪れに乗り遅れた雪の塊が、濁浪に流されず残っていたとしても。

一縷の望みさえも潰れて飛び散る。


それでも、震えるな。


お前の恐れは、俺の決意を鈍らせる。




もしお前が、奇しくも俺と同じように。

俺の死に方を読み漁って感傷に浸っているのなら。


今すぐにその本を閉じろ。




“俺ノ躯体トナレ。”




こんな不自由な縫合を与えられたのは、生まれ変わってこの方初めてだ

不愉快極まりないし、屈辱には甚だ耐えかねる。


垂直な平面に降り立つことを強要された時から、ずっとそのことを考えていた。

俺は、地べたを這いずり廻って走るのが、好きでは無かったから。

この身は、森を駆けまわるだけに適した、囚人の枷であるとさえ感じていたのだ。

愚かにも狼という範疇を超えて、翼を生やした生き物の威を借りたいなどと、夢見ていたものだ。


思い通りに動かない身体を、我が仔らも毛皮の裏で、きっともどかしく思っていたのだろう。

だから、解き放ってやった。もう一度、この森に降り立つことを許したのだ。


言わば、希望を託したのだ。




“ソレト同ジダ。”




これは、お前の力強い意志が見せる、現実からの遊離ではない。

お前と言う寄生の、宿主に対する克服でもない。


拾い読みの、文脈も無い散文ではあるが。

お前が銀の大狼の精神を自らの内に明け渡すことを夢見ていたのにも、似ていると思う。


一匹だけ残された俺では、成し得ぬ奇跡よ。



“…デキルナ?”



俺は、ゆっくりとFenrirの首元に突き立てていた牙を引き剥がした。

力任せに貫いたその傷口からは、血飛沫が天へ向かって噴き出していく。


こいつの血流は、まだ止まってなんかいない。

腫瘍と蔑んでやろう。

切り離せばこの命諸とも絶命する、運命共同体の、悪性腫瘍だ。




“……。”




デスマスクの下には、食い下がりたい未練がましさが読み取れた。

そのまま、齧りついていてくれた方が、視界を三角耳が邪魔しなくて、かえって助からない訳でも無いが。



まあ…仲よくしようとは言わないさ。

だが、珍しく同じ気持ちでいるのだろう。





“アノ仔ハ、空ヲ飛ベル。”


“ソウ言ッタノハ、オ前ダゾ?”



Fenrir、

お前の鼓動を、俺は感じるのだ。




“……!!”




ガリンッ…


“ギャウウゥッ!!”



突如として、硬くて耳障りな衝突音が、轟音の隙間を縫って届く。


俺の脚首が折れて、爪が剥がれたのだ。


河川へ近づくにつれ、崖の幅は狭くなり、岩壁と俺達との距離は縮まりつつあった。

それはつまり、俺の脚が地平へと降り立つ最後のチャンスが、土壇場で齎されたことを意味する。



正確に言えば、犠牲となったのは、俺の左後ろ脚ではない。

俯せに落下している以上、爪の方向的にも引っかかりが悪い。


俺じゃない。

Fenrirだ。


縫い合わせたもう一匹の大狼が、自らの右後脚を、高速で上昇していく岩壁に当てて擦ったのだ。


ガリガリッ……ガギンッ……バキバキバキバキッ……


火花が散るほどの凄まじい衝撃で、姿勢を保てず半回転する。


“ア”ア“ア”ア“ア”ア“――――ッ……ア゛ギャアアアアアアッッ!!”



俺だけが割を食っているように感じる。

叫び声を上げているのも俺だし、苦痛に表情を歪めて、きつく目を瞑っているのも俺だ。

もしかするとお前は、縫い付けられているだけの身分であることを良いことに、生半可な覚悟で、自分の身体を差し出しているのでは、そう邪推したくなってしまう。


継ぎ木の義足のように、か。


下らない喩えを、思いついてしまったものだな。


“ヴウゥッ……ウグウウウウッ……!!”



それに、もう手遅れだ。

もっと早くにこうしていれば、俺達はすべての四肢の爪を失う代償として、壁面との和平に至ることもできただろうが。

この程度の抵抗では、もう落下速度を安全圏まで減少させることは不可能だ。




…だが、今はその悪あがきこそが、重要なのだ。




そう。

ほんの、少しだけで良い。




ちょっとだけ、空を飛んでいる時間を伸ばすだけで。




“シリウスゥゥゥゥーーーーーーーッ!!”



“……っ?”



“ふぇんりる……さん…?”




俺達は、‘あの仔の高度’ に追い付ける。




“掴マレッ!”




“早クシロォォッーーーーー!!”




俺達の上空を飛んで見降ろしていた、




翼を宿した狼の仔を救えるのだ。




“お前だけは……”





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