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183. 狼狽 2

183. Two Great Wolves 2


随分と高みへやってきたものだ。


激しい攻防の末、

俺達が最後に選んだのは、自分自身との戦いだった。



俺の腹を切り裂いた大剣の傷跡と、

お前の破かれた腹の毛皮のそれが、ぴたりと合わさり、

狩り尽くされた番狼を保つための縫い痕で、結ばれてしまった。


“ソウカ……”


同胞の一匹として。


“コレガ、オ前ノ選ンダ…”


Garmと言う名の縫合体として。


“拘束、カ…”





前触れもなく自分の身体が動くのは、寝覚めの悪い悪夢の後だけだと思っていた。

後頭部を蹴り上げられたかのような勢いで、Fenrirの頭がビクリと跳ね上がったとき、

それは感染を完全に終えてしまったゾンビの復活を思わせたのだ。


自分がどのように生を吹き込まれたかも、覚えてなどいないのに。


本能的な恐怖に怯んでしまった。

皮肉にも、この俺がだ。



再び俺の前に現れた狼の顔に感情は無かった。

苦痛に表情を歪ませるでもなく、罠に嵌められた同胞を嗤うでもない。


死者の面を、被っていた。

確かにこの狼は、望んだ死を与えられていたのだ。


鼻は乾いて艶を失い、黒い唇からは舌が無造作に垂れ、

瞳には光が失われ、薄く白い膜が張っている。


“ウ、ウゥ……”


つい先まで、息をしていたんだ。


俺を道連れに、この物語から狼を根絶やしにしてしまおうなどと。

世迷言を笑いながら宣っていたのに。


同胞の死に動揺せずにいられるほど、俺はお前のことが嫌いにはなれなかったらしい。


“……!!”


またも唐突にがばりと開かれた口は、上唇を捲り上げることもせず、

無防備な俺の首元へ齧り付いた。


“ギャアアアアアアッッ??”


何の前触れもなかった。

Fenrirは冷たく無表情で、唸り声の一つさえも上げないのだ。


ぞっとした。


どうしてお前の頭が、俺の命令を伴わずに動く。

俺を形作った群れ仲間たちの統制は、全て俺に委ねられていたというのに。

腹の毛皮に縫い合わされた皆は、その運命を受け入れ、最期まで俺と一緒に、夢を叶えるために、戦ってくれたのに。

この狼は、俺と言う自我を脅かそうと抗う。


トラバサミのように、無機質な顎の閉じ方をする。

牙も、肉を貫こうとの意志が感じられない。

ただ噛み合わせた間に挟まった異物を力任せに磨り潰そうとする。

機械的なひと噛みだった。

きっと何を食べても、雪の味がするのだろう。


“ア゛ア゛ッ…ア゛ア゛ア゛ア゛―――――ッ…!!”


今まで喰らった中で、一番効いたかもしれない。


それもその筈。

自分で自分に噛みついてるような倒錯に陥っているのだ。


俺が、俺自身の喉笛を噛みちぎるようにと嗾ける。


まるで、それは安心できる ‘誰か’ の牙にそうして貰えているような感覚で。

深々と突き刺さっていくのだ。


ブチチッ…


Fenrirの牙が、俺にそっくりの傷跡を描いていく。


“………!!”


群れ仲間に遠吠えを誘うように、頭を仰け反らせた。

声にならない絶叫が脳裏だけに響き渡って、視界が真っ白に弾ける。


有らん限りの大口を開いて激痛に頭を振り回す。


俺は知らぬうちに、口元に咥えていたSiriusを取り落としてしまっていた。

空中で分離して、相対的に上昇していく彼の悲鳴も、耳に入ってこない。


俺は、本能的に抗うので精いっぱいだったのだ。


“グルルルルゥゥゥゥッ……!!”


互いが抱き合うようにして、ぴたりと身を寄せ合っている以上、それは逃げ場のないインファイトの様相を呈していた。

小細工など、もう必要ない。

俺もまた、同じ手段によって対抗する他に無かったのだ。


ぶすっ……ぐちゅ…


“ヒギャアアアアアアアッーーーーー!!”


自傷行為も良い所だ。

咥えた牙の隙間から、今度ははっきりと悲鳴が漏れる。

俺がやっているのは、欲求不満を自分の太腿に肉に喰らい付いてぐるぐると回ることで解消しようとうする、哀れな飼い犬の気晴らしと変わらない。


それなのに、俺が首筋に牙を突き立てても、Fenrirは少しも怯まない。

人形のように、痛みを感じていないようだった。

それも当然というべきか。

こいつは既に、生者の領界を歩いていない。


“……!?”


それどころか、異変が起きたのは俺の方だったのだ。


何だ、脳に嗾けて来る、

この耐え難い吐き気は…?


“…グエェッ…!?ゲェェェェ……”


堪えられない。

胃袋が締め上げられ、喉元がひくひくと痙攣する。

遂には牙の隙間から、苦い胃液と共に、吐瀉物が上唇を伝って漏れ出した。


“ナ、ナゼダ…ナゼ俺ガァァァッッッ……ッ!?”


お互いがこうして牙を突き立てあったならば。

俺が勝つに決まっていたはずなのに。


どうして俺が、お前の苦しみを享受しなくちゃならない?


“……ヴウゥッ?”


Fenrirの牙の付け根が、熱い。


“ヤ、ヤメ”ロ“ォッ!?”


頭の中で響く、お前が俺を呼ぶ声と共に。


何かが、流れ込んで来ているような、心地よい感触。


それがあり得ないことだと分かっていても。


拒まずにはいられなかったのだ。



“オ、俺ノ中ニ……”


共有された畏敬の嘔気も


“入ッテ来ルナア゛ア゛アァァァッーーーーー!!


こんな風に流し込まれてしまっては。


理解せざるを得ない。


“……。”


光に目を晦まされ、俺は短い夢を見た。







連続して起こるフラッシュバックの中に。


あの狼がいた。


間違いない。


俺が、探し求めていた貴女が。



“Fenrir……”



ゆっくりと眼を開くと




あいつの顔は、死者のように冷たく凍り付いていたが。


瞳に張った膜は破け、


“……。”


その端から涙が零れていたのだった。





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