178. 走馬燈
178. Lives flashing before your eyes
しかし、狼の牙は俺が刻んだ呪いを断ち切るのだ。
“グルルルルゥゥゥゥッッッッ!!”
永遠の微睡みへと導く睡魔に身を包まれ、心地よく揺すられるかに思えた身体は、
ある種の救済を、この大狼によって与えられた。
Garmは己の右脚にぶら下がっていた俺に引きずられ、遂に柄を掴んでいた前脚を離したのだ。
そのせいで、僅かではあったが、その場に居合わせた全員が、落下する瞬間があった。
このことが、俺にとってはこの上ない幸運であったのだ。
張力が、無重力状態になって消えた。
“ゴメンッ…オ嬢…!!”
Garmは落下の最中、かっと目を見開き、口を開いて大剣の柄にがぶりと噛みつく。
そして、渾身の力を込めて首を回し、壁面に突き刺さっていた大剣を、一気に引き抜いたのだ。
大剣、Garm、Sirius、そして俺が連なり、今度こそ宙に放り出される。
“ヤッテヤルヨ……!!”
“……っ!?”
その時、俺は見た。
Garmが、己の身体を捻って弧を描き、大剣を半回転させる剣舞を。
―その技…
俺が、Siriusに身体を預けることで体現した、あの軌跡。
身体は既に体得済みでも、再現など貴方無しではとてもできそうにない。
それが、目の前で…
俺では無い、お前が…
たった、一匹で。
“やりやがった…”
俺を包み込んで行く光を切り裂く、一筋の太刀。
それは、今度はGarmが思い描いた通りの奇跡を描く。
ズパンッ…
“……?”
切り裂いたのは、俺の鼻先でも、ましてや、Siriusの身体でさえ無かった。
狙いは、俺たちの接合点。
…その、僅かに根本。
“ウア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーーッッッ!!”
Garm自身の右後脚を、
自ら切除した。
俺が、食い千切ってしまう前に。
“あ、あ……”
溢れ出る鮮血に、この大狼が死体の抱合体を超えた存在であることを疑う間も。
Garmから離れていく身体に焦りを感じる間もなく。
俺はただ、口が味わい損ねた不運を噛みしめるのでいっぱいだった。
噛みちぎる瞬間を、意識せずに済んだ、それだけのことが。
涎が歯ぐきから絞り出されるような、あの吐き気の前兆は、襲っては来なかった。
口元には、Siriusに対してそうしたような、
Garmの離れかけの右後ろ脚が裂けて、伸びる感触は無かったのだ。
…そうか。
“Garm……”
墜ちていくのは、俺だけなのだな。
“あり、が…と…”
何故か、その実感で、満たされた。
ズププッ……
“う…?”
満たされたかに、思えたのに。
俺の身体は、何の前触れもなく、空中の落下を止めて、びたりと岩肌に張り付いてしまう。
“……??”
何だ?俺の身体に、何が起きている?
“フェンリルさあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛―――――――んっ!!”
耳元を劈く、Siriusの悲鳴。
何故、その声の主の方を向けない?
く、首が動かないぞ…?
“どうなっ…て、る…だ?”
呂律が回らない。
四肢は自由に動かせて、こうして岩肌に爪を突き立てることも出来るのに。
腹の毛皮を壁に擦り付けたまま、動けない。
普通なら、こうして、垂直に反り立つ壁に、造作もなく立ち上がることが出来るの、に…
“……っ!?”
突如として、額の辺りを、押さえ付けられているような感覚に襲われる。
違和感の正体は、否が応でも理解してしまえた。
俺…またGarmの前足で、頭を踏み潰されているんだっ…!!
で、でもっ…どうして?どうやって?
Garmは、この絶壁に抗って立つことは出来ない。
右後ろ脚が、爪を引っ掛けて巨体を支える負荷に耐えられないから。
残りの3本足の内、更にもう一本を使って、俺を動けなくさせることなど、不可能なのだ。
じゃあ、俺の眉間の辺りをねじ伏せている、この力の正体は、なんだ…?
依り目をしてみても、ピントがなかなか合わず、像が掴めてこない。
どちらの眼からも、そいつの境界線しか映らないし、どうなっているのだ?
“コレデ、オ相子ニシトイテヤル…”
背後から、痛みに悶えつつも、冷淡なGarmの捨て台詞を浴びせかけられる。
奇妙だ。
それは、思ったよりも遠くから響いたのだ。
“……??”
も、もしかして、
こ、これ……Garmの脚じゃ、ない…?
そう悟った瞬間、すべてが絶望的なまでに手遅れだと気が付いた。
全身が、ぶるぶると震え、
口の端からは泡を噴き、
四肢に力が上手く入らなくなる。
“う…あ、あぁっ…!?”
俺の脳天を貫き、突き刺さっているのは、
“捕マエタゾ…”
Garmが巧みに操った、大剣の先端だった。
“ソノママ、死ンデ貰オウカッ…!!”
俺が奴の腹を掻っ捌いたように。
今度は俺が、その大剣で息の根を止められようとしていたのだ。