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175. 術式の昇華

175. But this hex is on another level


Garmは大鴉が枝にとまって休むように、剣の柄に四肢を窮屈に集めて座り、

苦虫を噛み潰したような表情で唸り、此方を睨みつけていた。

今まで好戦的な姿勢を崩さなかった彼が初めて、この勝負の土俵に降りるべきかどうかを、考えあぐねていたのだ。


勝機が見えないのだと、確信してしまいたかった。

彼は紛れもなく誇り高い狼だ。決して負けると分かっている戦いに勇ましく挑むことに価値を見出したりはしない。

完全に詰んだと悟ってさえくれれば、その醜い威嚇の表情を解き、きちんと腹を見せて、降伏の意を示してくれるはずだ。

此処が、横殴りの重力に晒された絶壁でなければの話だが。


逆にもし退路を完全に絶たれた、そう判断してしまったのだとしたら、俺はどんな敵よりも与したくない、手負いの獣を相手取らなくてはならないのだ。


それも、Siriusの目の前でだ。




“グルルゥゥゥッッ……”


その威嚇に、応えるつもりは無い。

考え直してくれるのなら、幾らでも待ってやれる。

強者の余裕という奴を、ようやく纏える。有利なのは、明らかに此方の方だ。


どうか、俺に同情なんか示さないで欲しい。

良いのか?お前さえも、この世界には、産まれて来なかったことになるんだぞ?

オ嬢の記憶からだって、直に掻き消されて、いなくなる。

生半可な言葉でないことは分かっているつもりだが、

自分の為だけに貫き通した我を、肯定するだなんて。


お前と、あいつだけだろう。俺が間違ってなんかいないなどと抜かすお人好しは。


“Garm。お前が、最後の一匹だ。”


もしお前が、撤回してくれたなら。

最後にお前が、俺のやったことは、間違っていたと言ってくれたなら。




…今度こそ、俺はこの物語で一匹の狼となれる。


だから何れにせよ、この計画は、幸せなのだ。

全て、俺が思った通りになってくれる。



“……。”


尾羽の代わりに垂れ下がった尻尾は、雨を吸ってずっしりと重たげに揺れている。

奴は、考えていた。


この戦いから、飛び降りることなんて、初めから頭には無かったのだろう。

どうすれば、目の前の憎らしい大狼を、地獄の底に叩き落してやれるかだけを、考えていた。


“アア……。”


嫌な兆候だった。

その眼は、勝機を宿しつつある。



“待タセタナ。”


そして、不敵に笑うのだ。







次の瞬間、彼は何の前触れもなく、後ろ脚を投げ出し、大剣の柄から身体を引き摺り降ろした。

自分と同じ平面に降り立つ為に、まずは前脚を岩肌に突き立てるかと思いきや、


“えっ……!?”


そのまま、落っこちやがったのだ。

Garmは、俺と最期まで戦うことを選ぶと思ったのに。

前提を端から崩され、焦って思わず一歩前に踏み出す。

“待てっ……!!”

彼が一瞬だけ見せた、嫌らしいニヤニヤ笑いの真意を読み取ろうと、凝視する。

まるで、投身自殺を試みる神様の表情に見えない。

何か、意図がある。


お前はまさか、本当に空を飛べるんじゃないだろうな…?


“フフッ…”


フェイントだ。

身体は完全に大剣の柄から離れていたが、右の前脚だけは、掴んだままだ。


俺が反応を示したのを確認してから、両前脚でぐいと身体を引き寄せる。

そしてぶら下がる恰好になると、落下の勢いを利用して、そのまま大車輪の要領でぐるりと回転して見せたのだ。


アクロバティックな曲芸でも見ているようだった。

彼の身体が裏返り、此方に尾を見せる様を、呆気に取られて見つめる。


尻尾がちょうど先端を覗かせたかという、その時だった。


ぴちゃっ…!


“っ……!?”


まるで別個の意志を持つように撓る動作で、そいつは強烈な水飛沫を顔面目掛けて飛ばして来たのだ。


“こいつ……!!”


顔に何かが吹きつけられるのを極度に嫌うのは、手を持たない四つ足動物の常だ。

前脚でその飛沫を遮ることを諦めた俺は、反射的に顔を背け、


あろうことか、眼を瞑ってしまったのだ。


何をやっておるのだ!

喩え一瞬であっても、命とりであると何故分からぬ?

そんな声が、内側から響いて来ても良いぐらいの愚行だった。



ようやく気付かされる。

地に縛り付けられていたのは、俺の方であったのだと。



次の瞬間、目の前にGarmの姿は無かった。



“……?”



聴覚は大して役に立たない局面であることは既に承知していた。

谷底から濃霧と共に登って来る轟音と雨音のせいで、自分の呼吸さえ、遥か遠くの息遣いに聞こえる。

獲物の視界から自らを外しさえすれば、索敵は普段より数段困難を極めていたのだ。


何処だ、何処へ隠れた?

この垂直な地平からは、お前とて、逃れられないはずなのだ。


右か?左か?

それとも……


“Fenrirさんっ!!上っ!!”


“……!?”


毛皮に張り付いていたSiriusの叫び声で、はっとする。


“上から……だとっ!?”




たった今、俺が饒舌に披露した分析が思い返される。


どれだけ意識したって、本能の索敵範囲が、お前の飛翔を捉えようとしてくれない。

狼離れした、脚捌き。

それが俺にとって一番、苦手だった。


瞬く間に周囲の情景を読み取り、我が物として利用してしまえる。

どんな地形も味方に付けて、俺の弱みを、強みに変える。

とりわけ、地に対して空を得意とする、その戦闘スタイル。

洗練された垂直方向への出力を生かした跳躍から繰り出される、上空からの飛来。




それを、‘縛った’ と、宣言した直後に…!!




全身が、鳥肌で震える。


完全に虚を突かれた俺は、がばりと顔を上げ、額を貫く強烈な一撃に備えた。


が。




“……?”




え……?




いない。


Garmは、宙を舞ってはいなかった。




“Fenrirさんっ!!違います、こっち……!”



“……?”



やられた、と思った。



第二の眼としての役割を果たしてくれていたSiriusは、

俺の胴の横っ腹の毛皮の上に立っている。


それは、今まで通りの天地を拝むことのできる、SiriusとGarmだけが共有していた世界。


方向を指し示すあらゆる言葉が、90度回転している。


“あ……あぁ……!!”


馬鹿だ、俺。

恐怖心に指図されるが儘に、あらぬ方向を向いていたんだ。




つまり、Siriusが俺に教えてくれていた、本当の方向とは…




“右、ダヨ。”




“……!!”




Siriusを庇うように動くので、精一杯だった。

後ろ脚の爪を即座に外し、身体を捻って、頭を天に向け、Garmから遠ざける。




そうして喰らった一撃は、重力の加速を受け




“ひぎゃあああああああああっっっ!!!!”




俺が恐れた通り、額に受けた傷口を、深々と貫いていたのだ。





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