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173. 各々の役割

173. Play the Roll


“…なあ、Sirius。”


“お願いだ。”


狼が、遂に本性を現した。


驟雨でぐしょ濡れになった半身の毛皮は、ともすれば生気を失ったように、窶れて見える。

そのせいで、目の前のそいつの印象は、がらりと変わって。

今まで対峙してきた中で一番、哀れに映ったのだ。


“俺は、間違っていたのだと、言ってくれ。”


親し気な口調で呼びかけるFenrirに、俺の中のその狼は完全に気配を隠すことが出来ずにいる。

狼狽を、押し殺すことが出来ない。それは俺も同じだと言っておこう。


“ウ、ウウゥ…”


しかしこいつは、どうにかしてFenrirの愚行を理解し、その上同調してやろうとしていたのだ。

喉の奥で、上擦った甘え声が微かに響く。

垂れていた尻尾の先端が、媚びるように上向きに反る。


自分の表情から、角が取れてくのを、感じざるを得なかった。



鬩ぎ合うというか、葛藤すらも無い。

明け渡してやるのが、良いだろうか。

ちらとそう考える。

ああ、やっぱり俺も、

俺もこの哀れな大狼に、同情してしまっているのだな。


だが、Siriusにこの場を譲ったとして。


Fenrir、お前を否定するとは、

それはつまり、行動としてどのように表わされるのだ?



熱い抱擁の代わりとして、額を寄せ合って。

それから姿勢を下げ、首元の毛皮を擦るようにして、目の前を通過する。

急所を相手の耳が擦れるのを嫌がらなければ、俺たちの仲直りは、大成功を収めるのか?



違うよな。

結局は、この闘いの発端に符合するようにして、終末を迎えなくてはならぬ。


つまり、Siriusは。

この狼を迎え入れるだろう。


地獄界の番狼の威を借り、

こいつに、藁の上での死を与える。


今度こそ、こいつを我が同胞に加え、

オ嬢の膝元で、未来永劫仲良く暮らすのだ。


今となっては、それも悪くないんじゃないかと思えて来るから不思議だ。




“ソレデモ…”




お前をこの世界からも、ヘルヘイムからも、追放しなくてはならない理由が。

俺にはまだ、残っているのに。

誰よりも幸せにしなくてはならない狼が、まだいるのに。


この悪名高き狼の行いを、

赦してやるなんてことが。


Siriusよ。

お前に出来るのか?


“俺ハ……”




その時だった。


“Fenrirさん、僕のこと、呼びましたか?”


“……?”



この世界に佇むのは、2匹の大狼しかいない。

物語に没入しきっていた俺たちは、その声の主が何者であるのかを一瞬答えあぐねた。


“エ……?”


ぎこちない所作で立ち上がると、気怠そうに身体をぶるぶると震わせる。


“雨降ってきちゃいました…”




俺の転送の引き金とさせられた、あの若狼だ。


大人の事情に首を突っ込んではならないという空気を弁え、沈黙を保ってきたようだが。

遂に堪え切れず、口火を切ってFenrirの耳元まで腹ばいになって寄って来たのだ。


“え、あ、いや……お前のことでは…”


“でも、さっきからずっと、Fenrirさんたちの間で僕の名前が飛び交ってませんか?”


“う、うむ。それはだな……”


全くもってお前の言う通りなのだが、お前を話題に挙げているつもりは無いのだぞ。


“えぇ…そうなんですか。せっかく頑張ったから、褒めて貰っているのかなって思ってたんですけど…”


“も、勿論お前の手柄は大変なものだ!それは目の前のあいつも、完全に同意しているところであるからな。だからお前の名前を口にしているのであって…”


“ほら、じゃあやっぱり僕のことじゃないですか!”


“えーっと、お前のことであって、けれど今のお前では無いと言うか…”


彼は何とも歯切れの悪い返事をして、この狼の好奇心を返って刺激してしまう。


“今の僕じゃないってことは、将来どんな風に成長するかなって話ですか?”


“い、いや…そ、そうだな…そうだと思うぞ…恐らくは…”


“な、Garmよ?”


“は……?”


完全に調子を狂わされてしまったFenrirは、あろうことか、俺に向って同意を求めて来やがった。


“……。”


まるで夫婦喧嘩を取り持つ子供のように、若狼は俺達の間に流れていた空気を乱した。


まだ1歳に満たない、ようやく身体が出来上がって来たぐらいだろうか。

可愛い仔狼の特権というべきか、自らの無邪気さを盾にして、気まずさを顧みずに割って入った勇敢さよ。


右後ろ脚の義足、其処には命を吹き込むルーン文字に加えて、

Fenrirが刻み込んだ呪いの言葉が上書きされていた。


何と諭して、それを了承させたのか。

親狼とFenrirにこいつは騙され、俺の対抗として選ばれてしまったのだ。


言わば、生贄。


恐らく、俺達の間に交わされた後ろめたい告白の意味も、何となくは理解しているのだろうが。

理解していないふりを、していたのだろうな。




そうなると、誰もお前を舞台から突き落とすことなど出来ない。




よくぞまあ、こいつの前で、あんな懺悔を気分良さそうに吐き出せたものだな。


“……ソウダナ。興味ガ湧ク。”


精神の分離の、最たる例を見せられ、呆気に取られてしまった。


先まで纏っていた、輪郭が霞む程の黒いオーラは何処へやら。

足踏みで誤魔化したくても、壁に張り付いていなくてはならないので、尻尾だけが背後でおたおたと揺れるばかりだ。



“アア、本当ニ。”


Fenrir。やはり貴様は、悪役に向いていない。

決定的な、何かが欠けているよ。







“Fenrir。俺ハオ前ガ、間違ッテイルトハ思ワナイ。”


きっと俺なら、同じことをしたのだと思いたい。

お前が悲し気に笑うのが胸糞悪くて見ていられないというのもあるが。

それ以上に、地上の同胞がお前に対して見せた誠意を無下にしたくないのだ。

ああいう奴らのことが、好きなのだろうな、俺は。


だから、Siriusの名を借りて、お前に和解を求めるようなことはしない。




“俺ガ此処ニ転送セラレタ理由ガ、今ヨウヤクワカッタ。”


“え……?”


“俺ヲ此処ニ呼ビ寄セタノハ、オ前ジャナイナ?”


お前を自分と一緒に縛りあげる為に、態々こんな所へ引っ張り出してきた訳では無かったのだ。



お前はちゃんと、一匹で死ぬつもりだったんだな。

家族の残り香さえも消えた古巣で、今度こそ洞穴諸とも、潰されてしまうことを遂行したかったのだ。


けれど同時に、俺が来るのでは、という気もしていた。




お前の思った通りに。

その期待を、実現させられた。



だから、こうやって命綱を垂らした。

ひょっとしたら、駆けつけてくれるかも知れない、と。



我らの子孫と、転送との相性の良さを、あの神は見抜いていたのだろう。


あいつは、お人好しの神様だ

老い耄れ共に、引けを取らぬ。

きっと、放っておけなかったのだと思う。



確か…Teusと言ったか?

大事にすることだな、ああいう奴は。



“上書キサレタンダ。アイツニ。”



“……!!”



“否定サレタンダヨ。”



“オ前ハ、ヤハリ間違ッテイルト。”




そいつの脚が、どんな痛ましい事故でちぎり取られたのかは、想像さえもしたくない。

だが、その流木は、そいつの狼として役割を補完したんだな。


義足に刻み込まれた、神の奇跡に、

お前が狼の存在自体の封印の言葉を刻んだ、


更に、その上に、だ。


お前を万の眠りに沈める為の、俺が刻んだルーン綴りを。

あいつは歪めて、それでいて機能するように。

奇跡となるように。



その目的地を選んだのは、完全にあいつの勘だろうが。


だが、俺がお前と対峙するなら。

対等とは言えないものの、五分の勝負を挑むのなら。


此処以外に、場所は無いと確信していたのだろう。






最後の願いを、託されてしまった訳だ。


“此処デ、俺ト戦ッテ欲シイト?”


何故俺が、あの神様の言うことを聞かねばならぬのか。

甚だ理解に苦しむ。


だが、それは同時に、俺自身に与えられた、最後の好機となるのだろう。




俺だけが、貴様の野望を阻止しようと託した、最後の希望なのだ。




どうか俺が間違っていたと、気づかせて欲しい?

認めさせて欲しい?


頼む、我が狼よ?


片腹が痛いな。

赤子の首を捻るように、容易いぞ。



“俺ヲ、止メテクレダト?”




“良カロウ。”







“ソノ願イ、聞キ入レテヤロウデハナイカ。”





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