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162. 武器を取れ 5

162. Pick It Up 5


初めから分かっていたことだ。

俺一匹では、とてもじゃないけど、敵わない。


“はぁっ…はぁっ…あぁっ…!!”


悲しい音楽でも、流れてくれれば良かった。

どうにかして立ち向かおうとしてしまう俺のことを圧し折ってくれれば良いのに。


“こんなの…狼のする動きじゃない…!”


これも、初めから薄々と悟っていたことだ。

どうにも相手取っていて、やりづらいなと感じていたのだが。



彼は、俺が思う大狼の振舞いから、甚だ外れていたのだ。



奴の動きが、全く予想できないのではない。

寧ろ俺は、鍛えられた捕食者としての直観によって、彼の初動から導き出される一手を正確に思い描き、

応手を反射的に繰り出す用意まで出来ていた。


ただそれが、悪手に代わる前に、踏みとどまれない。

直感に従うことが、本能による手なりであると分かっていても。

このスピードで戦う中で、短絡的な神経を辿らずにはいられない。


身の危険から逃れようとして、容易く大狼の手中に嵌る。



そのやりづらさが、ようやくはっきりした。

Siriusという、俺を嫌と言うほど熟知した存在が俺を弄んでいるからだけじゃない。

もっと、根本的で、悍ましいものだ。



彼が自身の腹に傷を与えられた理由と、全く同じ。


この狼…やっぱり…


“怪物ジミテイル、カ?”


“……。”


繋ぎ目ごとに、別個の意志を持っている。

それは枚挙に暇が無いが、例えば次のようにして厄介だった。



Garmの四肢が、連携を失い、別々に動いている。

それ自体は、かえってこの狼の走りを完璧とは程遠い存在にするはずだった。

だが今、彼は敢えて、その四肢の毛皮の裏に眠った一匹一匹の自我に任せて進んでいる。


どうしてそんなことが出来るのかが分からなかったが、俺が開放してしまった群れ仲間たちの意志までもが、分裂の妙を目の当たりにしているのかも知れなかった。


そしてそれが、どれだけ俺の判断を鋭いままに欺くのに有効であることか。


右後ろ脚の動きから、奴の重心が移動する先を探知できない。

明らかに、力強く地面を蹴り、此方に飛び掛からんと牙を剥いている筈なのに。


“……!!”


次の瞬間に着地する脚は、左前脚になってない。

右後ろ脚で、もう一回蹴って、距離を目測よりも詰めて来る。

そうかと思えば、前足は殆ど同時に着地し、ぴたりと静止して、俺が反射的に動いてしまうのを譲って見守る。


そして、今度は彼方が、俺の動きを予測する。

いや、これはその類の直観じゃない。

誘導させられているのだ。


Garmの瞳が、両方別々に動いていることには、もう目を瞑るしか無かった。

眼の淵を眺めまわすようにぐりぐりと回転して、それから俺のことを見据えるあの動作が、気持ち悪くて仕方が無かったのだが、射すくめられるだけで動けなくなるのは弱肉のすることだ。


だが、俺との間合いを詰める段階になると、奴の両目は、いずれも視線を俺から外してそれぞれ別の方向を向いていた。

その、どちらかに跳ねようと試みている。

お前の眼が両方ともまともに嵌っていたら、そういう役割で動く。


しかし、お前の鼻先は、そのどちらでもない。明後日の方向を向いていると言って良いぐらいに捻じ曲がって、

その方向へのサイドステップの予兆を俺に誤認させるのだ。




もう、そんな三択に付き合ってなんかいられない。


勘に頼るより遥かにましだと、半身を翻して逃れようとするのを見届けてから、

後ろ脚がギュッとドリフトするだけで、相手は十分進路変更に間に合う。


“ソウ来ルト思ッタ。”


“うぅっ…!?”


まるで悪夢だった。

絶対に避けられない噛みつきが、俺への引力が働いているかのように絶えず襲ってくるのだ。


身体をばらばらに引き千切る戦い方それ自体は、怪物だと思ったけれど。

俺を出し抜くことだけを目的とした、その頭の使い方。

寧ろ、人間じみていると感じた。


“ぎゃうぅぅっ……!?”


碌な応戦が出来ないのを良いことに、俺は着実に、毛皮へ百足の幼虫を植え付けられ続けていた。



“さっ…せるかよっ!!”



態々顔面の毛皮を狙ってくるのが、腹立たしかった。

俺が、噛みつき返してこないのを良いことに。


“ふぅぅっ!!”


幾ら何でも、それは舐め過ぎているぞ。

お前も、生前の記憶を失った訳では無いだろうが。


ボワゥゥッ!!


“シマッタ…ッ!”


そう呟くより先に、弾けた火の粉にぎょっと目を見開く。

顔面を遠ざけようと仰け反り、無暗に俺へと接近したがために、無防備な首元の毛皮を晒す。


だが、それを捉えることが、出来ない。

俺はせめて指を咥えて見ているだけにはしないようにと、安全な距離へと退き、構えて呼吸を整えた。


“ヌアァァッ…アァッ…!!”


ほんの防護魔法のつもりだったが、手酷い火傷を負わされたらしい。

彼の顔半分に、百足が張り付いて、醜い皺をつくっている。


俺の毛皮で疼いていた傷口も、一斉に大人しくなってくれた。



“……。”


分ってる。

闘うしか無いんだってことを。


でも、戦意が微塵も湧き上がってこない。

Garmが、少しも、憎くない。


Teusは、死んだ。

そのことが、視界の上半分を黒く塗りつぶしてしまっているような感じだ。


垂れ込める黒い靄のせいで、全くもって反撃しようと思えない。

俺が幾ら頑張って抗ったところで、それは、誰一人、誰一匹とて幸せには出来ないと、分ってしまっているから。


目クラマシ(Daze)、カ…”


“ヤルジャナイカ。テッキリ、ガス欠シタモノダト思ッテイタ。”


“お前の方こそ、論理の飛躍と言う名の自惚れに…惑わされていたようだな。”


“フフ…違イナイ。”




“ダガ、ソノ調子ダ。”


“オ前ハ今、トテモ勇敢ニ戦ッテイルゾ。”


“…それはどうかな。”


もう火炎放射は、使わないと決めた。

一発喰らわせただけで、十分な抑止力になっただろう。


これであいつも、不用意には顔面を近づけては来ない筈だ。




問題は、此処から。

どうやってこの大狼の戦意を削ぐか。

この無益な闘いを終わらせるかだ。


“アア、ソウダトモ。フェンリル。”


“モウ少シ、後押シサセテ貰オウ。”




この狼は、ますます戦意の炎を、くすんだ瞳の内に燃え上がらせているから。




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