2.夜の仔
2. Child of Night
「どうしよう…、行ってみようかな…。」
踏ん切りのつかないまま、建物の陰に隠れながら、僕はそんなことを呟いた。
外はあったかいなあ。もうすぐ春が来るみたいだ。
如何にも平和な昼下がりだった。
親に相手をして貰えず退屈しきった僕ぐらいの年の子たちは、待ちきれずに自然と此処へ集まって来るようで、お昼寝をしているときであっても嬉々とした悲鳴を耳に届かせる。
それで、こんな時間にも拘らず僕は誘われて出てきてしまったのだ。
お尻をぺたんと地面につけて興味津々に尾を振っていたのは、彼らが夢中になっていた遊びだった。
「いいなあ…。」
お家のすぐ近くの広場では、数人の子供たちがボール遊びをしていたのである。
一人の子がボールを蹴りだすと、嬉々としてそれをみんなが追いかける。初めにそれに追いついた誰かがまたボールを蹴り上げて、またその繰り返し。
ルールなんてものはそこには存在しない、日常的に行われてきた、ただの子供遊びだ。
それが同年代にとって魅力的に思えるのは至極当然のことだった。
僕もやってみたい、と思わずにはいられない。なんでも真似してみたいお年頃であったのだ。
同年代の子供の遊びには、何にでも興味が湧く。
鬼ごっこ、かくれんぼ、縄跳びと、両手を持たない僕には使えそうにない遊具、
本当に色々と揃っていて眺めているだけでも退屈しない。誰が思いついたのだろうか、それはわからなかったが、全部楽しそうだったのだ。
ただ、僕は一度も、それらをやったことがない。
遊ぶ相手がいなかったからだ。
僕は今まで、一度も誰かと一緒に遊んだことがない。
遊びたいのだけれど、一緒に遊ぼうと言ってみる勇気がなかった。
先週は、嫌だ、あっちに行けよ、と言われた。
一昨日も、そして昨日も。
遊ぼう、と言うだけなのに、それが日増しに辛くなっていく。
また断られるんじゃないかと思うと、尾が丸まって、折角飲み込んだ胃の中身がひっくり返りそうになる。
でも、もしかしたら、と思ってしまうのだ。今日も。
「よし…。」
意を決して、公園の子供たちに近づいていく。
「あの…、」
「…っ!?」
子供たちがびっくりして僕の方を見つめる。
一瞬、緊張のあまり声が出なかった。
で、できるだけ笑顔で、でも牙は見せないように…。
「えっと…あの…、一緒に遊んでも…いいかな…?」
「…!?」
言ってしまった。もう引き下がれない。顔から火が出て燃えそうだ。
「い、いやだよ…来ないで…。」
「あっち、行ってよ…。」
頭の中が真っ白になる。期待の入った風船がしぼむ。
あ、ああ…。
「ごっ、ごめん…!」
わけも分からぬまま謝って踵を返すと、文字通り尻尾を巻いてその場を逃げるようにして離れる。
「はぁっ…はぁっ…!!」
広場を取り巻く草むらの中へ、一目散に飛び込んだ。
ふぅ…此処まで来れば、安全だろう。
そもそも、誰も僕のことを追っかけて来る訳じゃないんだけど。
僕はみんなの前にはいません、いないふりをしますと示すより他無かったのだった。
「今日も、だめだ…。」
そしていつものように、その場に座り込んで、遠くからしょんぼりと、子供たちがボール遊びの続きに興じるのを眺めていた。
「はぁ…。」
ため息まじりの、口癖にも似たようなものを吐く。
なにが、ダメだったのだろうか。
どうして遊んでくれないのだろう。
今日もやっぱり、そのことを考える。
そうして、せめてもの慰めに、楽しそうに遊ぶ子供たちを眺めては、自分もその中の一人である幻想に浸っていた。
悲しいかな、心が落ち着いて楽しい。
傷つくぐらいだったら、ずっとこうしている方が良いのかも…。
しかし、今日はそれでは終わらなかった、さらにもうワンチャンス待っていた。
「おーい!そっち行っちゃったぞー!!」
「…っ!?」
なんと言うことだ。
一人が力任せに蹴り上げたボールが、僕の隠れている草むらへと飛び込んできてしまったのだ。
えっ、えっ…!?
ボールをまじまじと見つめ、それからもう一度陰から広場の様子を伺う。
な、なんだ?一体どうなってるの?
皆して、こちらに向かって走って来るじゃないか!
「ど、どうしよう…これ…。」
ボールをそのままにして逃げようか、それとも…。
「…。」
…僕はボールを口に咥えた。
こ、今度こそ、入れてもらおう。
子供たちと鉢合わせる形で、草むらを飛び出した。
「…!?」
「あっ…。」
どうしよう。今までで一番、距離が近いや。
ボールを、一番目の前にいた男の子の前にそっと置き、尻尾を揺らす。
「あの…、僕も入れて欲しいんだ。…お願い! 一緒に遊ぼ?」
やっぱり遊びたい、という気持ちを、できるだけ他意なく伝えた。
どう、かな…?
今までで、一番うまくいったと思ったんだけど…。
「…うわあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!!」
みんなは一斉に叫び声をあげ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
びっくりして泣き出し、転んでしまった子さえいる。
「怖いよおおっ!!!」
「たすけてえぇ!!!」
「あぁ…。」
待ってよ、と言おうとして、もう意味がないと悟った。
「……。」
一つだけ、その場に残ってくれたボールを見つめる。
前足で、ちょっと蹴りだしてみた。
それは広場の真ん中までゆっくりと転がって止まったが、そこに蹴り返してくれるようなお友達なんていない。
爪で地面を引っかき、少しばかり心に抵抗してみせる。
気が付けば、みんな逃げていった公園で立ち尽くしたまま、陽が傾きかけていた。
僕は泣きながら帰り道をとぼとぼと歩いた。
こんなに傷つくのなら、あんな勇気を口にしなければ良かった。
「なんで…、どおして遊んでくれないの…?」
泣きじゃくりながら、絞るような声で呟いた。
「遊んでよお…。」
余計につらくなるわがままを口にして、僕は皆と同じ子供であることを喚いてみる。
耳には子供の叫び声と台詞がこびり付いて、離れない。
「怖いよおおっ!!!」
今夜は、悪い夢を見そうだった。
どうしてかは知らない。でも。
みんな僕のことが、怖いんだ。
泣き声が一層強くなる。
「…うわあああああぁん…。」