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159. 探り刃

159. Bladescout


「身を以て、思い知ったであろう。」


俺は舌の裏に溜まったゲロを唾に絡めて吐き飛ばすと、まだ少し眩暈のする頭をゆっくり振って、それを全身の毛皮に繋げて尻尾まで送った。


「あれに噛みつくは、もう不可能だ…」


つい癖で、本能的に身震いしてしまったが、

それで、ずきんと蟀谷が痛んだ。


「そのようです……」


その素振りを見せぬようにと、ポーカーフェイスを気取っても意味のないことだとは分かっていた。

けれど、顔をしかめると、益々痛みが増すような気がして、我慢すべきだと気を強く持った。


大丈夫だ。幸いなことに吐き気はもう、襲ってこない。


感じるんだ。俺の右首の毛皮を優しく摩るような、暖かい介抱を。

それが、この狼と重なって、どれだけ心強いことか。

お前自身には伝わらないんだろうな。


“アァ……アゥゥゥゥッ…”


“ピィー……ピュィィ…”


再び百足の苗床となった大狼は、そのような、人間が啜り泣くような呻き声に混じって、詫びるような鳴き声を漏らしている。

此方には、一瞥もくれない。

掻っ捌かれた腹から零れ落ちた同胞の首を、おろおろと咥えては前脚でかき集める狼狽えぶりを晒していたのだ。


“アア、ソンナァッ…痛カッタヨナァ、可哀想ニ……”


自分が感じている痛みを、彼らが肩代わりしてしまうとでも言うように、耳を寝かせて気にかける。


それが、心温まるような光景とは程遠かったお陰で、俺はどうにか彼の涙に引き込まれずに済んでいた。

亡くなってしまった我が仔の遺体を、それがまだ元気であると自らを暗示させて乳や吐き戻して毛皮を舐めて清潔に保とうとするような。そんな悲痛さが目を背けさせてくれていたのだ。


「正気の沙汰じゃないな…」


見るに堪えない。だから、異質なものと見做せて、それ故、非情なふりをしていられた。

それが貴方を不快に思わせているのだろうな、と心を痛めていることさえ筒抜けでは。

俺は今度こそ、自分のことをぞんざいに扱うことが出来そうにない。


「奴は、不死身…なのですか。」


無防備であることに今更ながら不安を覚えてしまった。

血反吐を吐き出すために地面に横たえていた大剣の柄を、彼に気づかれないようそっと拾う。

これが丸腰の人間の心理か、情けないな。

あの神様が振り翳す拳銃に怯える野獣だって、対抗手段をこれに求めようとはしないだろう。


「体感では、な。」

Fenrirは囁く。

「それは…?」

「我が死んだと思うことに、関係がない、ということだな。」


「…よく、分かりません。」

引き裂かれた貴方が、何をGarmと共有しているのか。

考えるだけでも恐ろしかった。

ただ、一つはっきりと予感したことがあるとすれば。

やっぱり俺は、この大狼を殺すことを。

肝心なところで躊躇うであろう、ということだ。



噛み心地の良い鹿革の持ち手を何度か口内で転がし、それからしっかりと牙を合わせる。

しっくりくるとかは無かった。こんな記憶は思い当たらなかったから。

というか、貴方と持ち手の方向が逆だったのですね。


カチャカチャカチャ…


これだけ周囲の支えを受けていながら、右肩の付け根の震えが刃に伝わって止まらない。


俺……怖がっているんだ。この狼のこと。


“アア……アア。”


Garmに俺は、敵わない。


“…デモ、コレデ軽クナッタ。”


“背負ウモノガ、減ッテシマッタカラ。”


抱えるもの、という表現をしなかったことを、彼の群れの長としての側面が垣間見えた瞬間に映った。

Garmが、不敵に笑ったからだ。


“タダデ済ムト思ウナヨ。”




「……!?」


そして、脱兎のごとく、逃げだしたのだ。



「え……?」


ぽかんと口を開き、危うく大剣を取り落としそうになる。

すぐ傍らの雑木林に飛び込んだかと思うと、あっという間にその巨体を溶け込ませてしまったのだ。


仄かに赤い霧は既に薄れつつあったが、もう目視では捉えることは出来ない。


ザザッ…ザザザザッ…ザザッ!!


みるみるうちに遠ざかって行く足音。

しかし、リズムが何処か不自然だ。狼が一匹走っているように、脳内に映し出されない。

まるで複数の脚が一斉に、大怪物を運んで走り回っているようだったのだ。

あいつ、俺とは全くかけ離れた走りをしていやがる。


「何をしておるっ、主よ…追うぞ!!」


「は、はいぃっ…!」


俺は慌てて返事をすると、少し後ろ脚を空回りさせながら、走り出した。




だが、それも数歩で減速してしまう。


「くそっ……」


「これじゃあ、駄目です…Fenrir。」


こんなお荷物を口に咥えては、密度の濃い森林を縫うようにして走ることは、不可能だ。

喩え抜群の切れ味によって、細い幹をなぎ倒しながら進めたとしても、追いつける筈が無い。





当然と言えば、当然のことだ。


「軽くなった、って…」


「逃げ果せようとしているんじゃない、のか…?」


そのことに気がついた俺は、胸中に向けてその疑念を呟いた。


「うむ……」


「方角的に、間違いないであろうな…」



決して、正確な位置が割り出されなくなるほどではない。

こんなに大きな足音を立てて、姿を晦ませる筈が無いだろう。

それは、狼である彼自身が、一番よく知っている筈だ。

既に主戦場は、俺とFenrirが知悉した洞穴の近隣だ。

自分と獲物との距離は、走りながら具に把握してしまえている。



Garmは、俺がいつものように散策で使う獣道を探り当て、



「まずいことになった……!」



何かの確信に導かれるようにして、ヴァン川へ向かって驀進していたのだ。




ザシュ……




すぐにその場に大剣を突き立てると、爪で地面をなぞって刃の周りを文字で囲う。


「はっ…はやくしないと…!!」


俺は、明らかにTeusから受け継いだ力を、自覚しつつも、発揮しかねている。

とどのつまり、’転送’ しか使えないのであって、’召喚’ は出来ない。


あいつのように、いつでも懐から所望の武器を取り出せるような利便性は持ち合わせていないのだ。

身軽な状態で走り出すために、この場で手放さなくてはならない。



打てる布石は、一カ所だけ。




受け取り地点を、この時点で定めなくてはならない。




「何処だ…何処にすれば……」




俺がGarmに追いつき、再び臨戦態勢に切り替わる瞬間を、

その筋書きを、







この一手で、全て描き切るのだ。




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