155. 貴方の死、私の死
155. Death of Me, Death of You
俊足で距離を詰めてきたGarmに対し、先に反応ができたのは俺の方だった。
構え方こそ、俺が嘗てSiriusと呼んだ狼のそれと寸分違わなかったけれど。
後ろ脚を蹴り上げる瞬間に漏れる吐息、あれは間違いなく彼自身のものだった。
彼が叫び続けた、俺への降伏の強要。
藁の上に寝転がり、腹の毛皮を晒すこと。
それが、一切の躊躇いを伴うことなく示され続けてきたことに、今更ながら感服させられる。
凄まじい精神だ。
お前では、無かったのだな。
この大狼に植え付けられた、もう一匹の銀心。
それは私の中に芽生えた、貴方自身だ。
その意志に抗い、こうして再び垣間見えたGarmは。
俺をその世界から弾き飛ばしてしまおうと躍起になっている。
その不屈の牙にも。
“グルルゥッ…!!”
嗟嘆の声を喉から漏らして迎えたいのだ。
俺はFenrirと同時に、それぞれ別個の動きを一つの身体で実現して見せた。
海千山千の我が狼には、この武器を扱っての実戦経験がおありらしい。
彼が口元に咥えていた青い柄をぐいと右の口脇に引き込むと、そのまま頬を逸らして切っ先を90度回転させる。
それが、勝算あっての突進を選んできたであろう、Garmに対する第一の回答だった。
まっすぐに突き立てられた大剣に、脳天を貫かれたくなければ、
奴は俺に到達するための進路を変更せざるを得ない。
しかし、Garmはその応戦に対し、一切の動揺を示さない。
こいつもまた、人間が創り上げた武器の恐ろしさを、身を以て体感している犠牲者の総体であるのにも拘らずだ。
いや、だからこそ、織り込み済みである、という訳か。
彼の走りに、ぶれが見られないどころか。減速の素振りさえ見せなかった。
ギュイッ…
グリップの利いた四肢が地面を削る音が鳴ったかと思うと、
切っ先を額のぎりぎりまで迎えて、ぴたりと静止したのだ。
彼が纏っていた百足の毛皮が、慣性で此方へ靡く。
お手本のような対応に、拍手と一吠えを送りたいと思った。
どれだけ自分の反応速度に自信があろうとも、こんなに踏み込んだ姿勢が作れない。
恐い、はずなのに。
狼であることを自覚しながら、果敢に向かって来たのだ。
流石だ。彼方も、心得ている。
その距離まで詰められると、この手の長身の武器は、殆ど使い物にならない。
どころか、足を引っ張るお荷物と化す。
もう一度大剣を操ろうと重心を傾けている間に、相手の方が懐に割り込んできてお終いだ。
足元にまで迫った獣には、ナイフぐらいでしか応戦することは難しいだろう。
それを見越した、俺の第二の回答はこうだ。
奴は切っ先を耳の間に入れ込んで躱すと、俺が大剣をそれ以上振り回せないようそのまま前進を続ける。
振り下ろしには、十分な勢いが作れないからだ。
だから俺は、もう一匹の自分が更に深く牙を剣の持ち手に喰いこませようとする素振りに。
「なっ…!?」
抗ったのだ。
「っんだとっ……!?」
現実からの遊離に、もう一匹の俺は不意を突かれ、驚きの声を漏らす。
敵を欺くには、まず味方から、という奴ですね、Fenrir。
俺は自ら、口に咥えていた大剣を宙に離した。
悪いが、俺もお前も人間じゃあない。
こんな武器に頼らなくてはならない理由なんて、一つも思い当たらないものでね。
というか、変な臭いが口の中に入って来て、嫌なんだ。
ハッカやミントが醸し出すような、冷たいそれが喉を通って鼻の裏を刺してくる。
今更ながら、こんなものに眉間を貫かれたあんたに同情するよ。
そして自らは、Garmよりも更に姿勢を低くして潜り込む。
“……?”
Garmの視線は、確かに俺を捉えて眼下へと移動していった。
しかし、身体の方は間に合っていない。
未だ空中で静止したままの剣の柄に向かって、その姿勢のまま突っ込んでくる。
俺は地面すれすれまで身を伏せると、彼が自分の真上を通過するのを待った。
空を仰ぐ必要はない。
「ここだぁっ……!!」
こうやって、這いつくばっていれば良い。
足元にまで迫った巨大な前脚が、その合図だから。
俺はがばりと口を開くと、ヨルムンガンドが、地中から獲物を呑み込むような動作で、鎌首を持ち上げた。
目の前に、急所が飛び込んでくる。
俺はその毛皮を、目を瞑って、こいつで貫けばよい。
躊躇ってやることも、もう無いのだ。
「ばかっ……よせ、Fenrir…!」
微かに耳元に促された警告。
ズプチュッ……
しかし、その真意を悟る間もなく、
俺の牙は、何度目か分からないその首元に、埋まったのだ。