154. 流産
154. Miscarriage
「なっ…んだっ…て…!?」
Garmが、まだ生きているだと…?
いいや、その言い方は良くない。間違っている。
彼は確かに、死んだのだ。
そして、蘇えさせられた。
奴は、不死身なのか…?
Helの寵愛から外れぬ限り、永遠に…
これじゃあ、キリが無いぞ。
俺が幾ら命を差し出そうとも、
その決意をFreyaが代理で執行してくれようとも。
どちらかの友が、この世から去らぬ限り。
永遠に彼らの闘争に終止符が打たれることはないのだから。
「す、すぐに行かなきゃっ……!!」
「どちらへ向かわれるのです…?」
「決まってるだろ!今すぐFenrirの元へ向かって、助け出してやらないと…!」
ごりゅっ…
俺は居心地の良かった彼女の膝元から勢いよく転がるも、不用意に負傷していた右肩を床に押し付けてしまう。
熟れ過ぎた果実を潰したような感触が伝わり、冷たくなった身体から油汗が噴き出す。
両足が絡まっていた。潰れた右膝が、自然とあり得ない方向へと曲がる。
「あ゛う゛うぅっ……」
苦悶の叫び声を上げていられるだけ、まだましということにしよう。
運が良い。生きてる証拠ってやつだから。
俺は、頭の中で反射的に決まり文句を呟いて、凍り付いた。
「え……?」
何で今、痛いって、思ったんだ…?
未だ自由に動かせていた左腕を、恐る恐る腹部へと滑らせる。
指先が震えて、言うことを聞いてくれない。
湿った衣服の上を指がなぞっていく。
顔を下へと向けることを、何故しないのか。自分でも分からない。
けれど、直視したら、俺はショックで忘れているだけの痛みが、ぶわりと蘇って来てしまう予感がして、恐くて堪らなかったのだと思う。
それで、手探りで、違和感で済めば良い違和感を得ようなどと、腹部の中央へと指を伸ばしていたのだ。
何処だ…?何処にある?
夢なんかじゃない。あるはずなんだ。
銃身が長かったものだから。思ったよりもその場所の検討が外れている。
もう少し、もう少し奥だろうか?
はやる気持ちを抑えるんだ。
地雷を探知するように、
老いた蛇が目を避けるように、そろそろとだ。
「……!?」
だが、俺が彷徨っていたその戦地とは、この世界に比して余りにも狭い。
そして程なくして、辿り着いてしまった。
絶対に触れてはならない銃創に。
「うぐっ……うぅっ…!?」
間に合わなかった。
両手は使えず、口から止め処なく汚物が溢れだす。
「う゛ろろろろろっっ…うえぇっ、げぇぇ……!!」
強烈なフラッシュ・バック。
死ぬ直前、とでも言えば良いだろうか。その記憶が蘇って来たのだ。
「う゛う゛ぅっ…うぐっぅううっ…!!うぼろろぉぉ……」
そうだ。思い出した。
俺は撃ったんだ。
この腹の上には、あの忌まわしい戦争の武器によって放たれた弾丸によって。
大きな風穴が開いているのだった。
そして、その死を以て。
俺は彼女に、Fenrirと、それからFenrirのこと。
救って貰ったんだ。
それなのに。
それなのに……
「あうぅぅっ……?う、うえぇっ……えっ、えぇ…?」
俺はどうして、まだ ‘生きて’ いる…?
もしかして、案外死者っていうのも、この世界の住民と同じなのかな。
楽園も地獄も同じ、この世界に己を縛り付けていた肉体から解放されても、その実ちゃんと痛みは感じていて。
でも、もう死んでいるから。
その先がない、のか…?
空吐きが収まらず、それが混乱に拍車をかけている。
まるでGarmに頭蓋を踏みつぶされたFenrirのように、脳が理解の範疇を越えて胃袋を急き立てていたのだ。
「はぁっ……はぁ…、あぁ……っ…」
いいや、違う。
落ち着け、落ち着くんだ。
彼女は、苦しそうにはしていなかっただろ?
死人にそれ以上酷い仕打ちが為されて良い筈が無い。
ほら、ちゃんと息を吐き切って。
目を開いて、下へと顔を向けるんだ。
傷口を目の当たりにすれば。
ちゃんと感じられるはずだから。
この肩と、それから右ひざの負傷と同じように。
「……?」
「な、んで……」
どうして、‘その痛み’だけを感じない?
今度は、もう躊躇が無かった。
手の平で腹部を撫でて、もはや自ら痛みを欲して押し付ける。
確かにあった。
確かに、銃創の凹みはあった。
臍じゃない。
それよりもっと上に、知らない紐の切れ目はあった。
でも、指が入らない。
ぐちゃぐちゃに潰れた内蔵に、俺の左手が届かない。
塞がっているのだ。
「何が、一体どうなって……?」
ま、まさか……
「F、Fre…ya……?」
「き、君が……」
「な、治してくれたの…か?」
俺は、最期の慈悲を見せてくれた女神様の御顔を拝もうと、天上を見上げる。
初めてだったのだ。
彼女が、君が俺の傷を癒してくれたのは。
「ありが……と…う……」
……?
それが、二人の間に起きた、小さな変化であるのだとしたら。
彼女が僅かに示した、決意の、揺らぎであるのだとしたら。
「Freya……?」
「お願いです……テュールさん……」
「……?」
「少しだけ……傍にいてくれませんか?」
Freyaが、泣いている。
涙を零して、膝の上を湿らせている。
「……。」
「その……お腹…」
「……すみません。」
膨らんでいた彼女の腹部が、‘真っ赤に’ 染まっていた。
そして、不自然に凹んでいる。
部屋に広がった血の色は灰だ。
「この子たちのことは、諦めてください。」
俺は、生き返させられた。
幾らあっても足りない、女神の犠牲によって。