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140. 神傷纏い

140. Dressed with the Curse


漠然とだ。

俺は、自分が死の淵でさえ達観した心持でいるだろうなどと、ゆったり構えていたんだ。


処刑台に連行されるその時でさえも、命乞いをすることだってしない。

口々に叫ばれる死後の苦痛を願う呪いにも、心を乱されることは無いのだ。


そして、死ぬときは、今までで一番、無垢な存在に戻れる、などと。




本気でそう思っていた。




「待って…待ってよ、ねえ、Fenrir……!」


自分の背中を優しく咥えて持ち上げようとする大狼から逃れようと、手足をじたばたとさせて藻掻く。

「お願いだっ…話を聞いてっ…なんで、なんでFenrirがっ…彼女のこと……!!」


無抵抗に死ぬことは、もう半ば決まっている。

これは覆らない。

そうと分かっておきながら、俺はぎゃあぎゃあと泣き叫ぶ醜態を晒していたのだ。


神様らしい驕りだ。

当たり前のように、俺はこうして一生を終えることに納得が行かないことを、不遇だと捉えていたのだ。


影は背後にあるから、気づかないだけで、突然にやってくる。

藁の上で死ねるからと言っても、自分が眠りたいと思って目を閉じるようには行かない。

もしそこまで己の裁量で決めてしまいたいと我が儘を垂れるなら。

俺は自らの手で、その命を終わらせる必要がある。

そのことを弁えていなかった。


Fenrirとは、違ったのだ。


「話なら、十分に聞いてやれるとも。」


彼はやはり、狼らしからない。

君に父性のようなものが芽生えていたとしたら、俺の首筋の裏を咥えて、どうしてこの人間が大人しくしないのかあと首を傾げていたに違いない。


それとも、やっぱり彼は、俺が口元でうろうろするのが落ち着かないとでも言うのかな。

確かにこうやって暴れて、もし切っ先が首の皮膚を切り裂いたらと思うと、気が気でないのかも知れない。


「しかしそれも、洞穴の中で、だな……。」


ゆっくりと語らい合うのなら、そこが相応しいのは、俺も同意見だ。

けれど、なんだか、嫌な気分だよ。


「あの中に…入りたくない。」


「それは…何故だ…?」

あんなにずかずかと、土足で上がり込んで来ていた癖に。

奥底まで、今日は特別に連れてやると言っているのだぞ?

そんな彼らしい皮肉が、今はちょっと安心する。


「分からない…分からないけど…」


何ていうか…奥が、見通せないんだ。

「暗いのだから、当たり前だろう。」

違う、違うよ。

空気が、醒めた蜃気楼のように、揺れているんだ。


「ま、まるで…」


「’別の世界’ に、繋がっているみたいだよ……」


「ふふっ……」


……っ!?


彼は破顔して笑った。

思いがけなかったことが、牙の揺れた感触で伝わって来る。


そして驚いたことに、

その拍子に、彼は咥えていた俺のことを取り落としたのだ。


「っと…」


呆気なく、俺は地面に落っこちて突っ伏する。

「ぅっ…?」

胸部を圧迫されて変な声が出たが、何のことは無い。

高々2、3メートルの落下、彼の背中から突き落とされるのに比べれば屁でもない。

もう一匹の大狼に弾き飛ばされたときに比べれば、これは笑ってしまえる失態だったのだ。


大丈夫?しっかりしてよ。

そもそも、どうして俺が、もう一歩も歩けないなんて思うんだい。

一緒に歩こう?別に、何処にも君を置いて逃げたりなんかしないから…


「……っ!?」


「ふぇっ……んっ…りる……う?」


しかし、遅れて顔面から倒れ込む巨大な影の衝撃は、

彼が、この物語の主人公であるという前提を揺るがし得た。



「何だよ…この噛み傷…?」



今更になって、俺は彼がどうやって此処まで辿り着いたのかが気になった。

勿論、俺の居場所は即座に掴んでいて不思議じゃなかった。

この森は、彼にとっては箱庭のようなもの。

小さな悪口だって聞き漏らさないほど、この狼は耳が良いのだ。

ああ、地獄耳、という言葉は、金輪際使うのを止めようと思っている。


それに、もし見当がつかなくたって、確かに直感に従えば、俺が初めて会いに来た日のように、偶然にもこの洞穴に舞い戻ることをFenrirは予感していただろう。


だけど、これじゃあ、歩ける訳がない。


この歯形は…

狼の、牙…?




それが、無数に毛皮に張り付いている。

一つ一つが、誰のものであるのかは、流石の俺でも言い当てられそうにない。

ルインフィールド兄弟であれば、そんな芸当もお手の物だろうか。


確かなことは、彼の毛皮に、大狼の牙が突き立てられた様子が無いことだけだ。

当然だろう。

彼に、そんなことが出来るはずが無い。



「そんなっ……なんでっ…なんでこんなこと…!?」


今も尚、狼の群れは、少しも尾を下げることなく、そして注意深く頭を擡げずに俺たちの周りを忙しなく歩く。

きっと、ボスの命令だけが、彼らをこうして制する唯一の理由であるに違いない。


訳が分からない。どうして同胞が、Fenrirに牙を剥くことが在り得るんだ。

こんなに…優しい狼なんだぞ?


神々に棘付きの鎖で縛り上げられたように、その傷口は惨たらしく疼いていた。






受け入れたのだろう。

まるで、地獄の番狼が身に纏っていたように。

彼に巣食っていた百足たちを、全て移植し終えていた。



「Fenrirっ……!?しっかりしてぇっ……嫌だぁっ…嫌だよぉっ……!!」



「やっと帰って来たのに……やっと…戻ってこれたのに……!」



「なのにぃっ……俺のこと、俺のこと、置いて行っちゃ……」



「いゃだよぉ……」



「うあ゛あ゛ああああああっっっ……ああっああああっ……」



「フェッ……ンッ……リル……ウゥゥゥゥッ……!!」







「……?」


ゆっくりと瞳を開く彼は、微笑んで、けれども尻尾に命を吹き込む気力もない。


「俺が立ちあがるのを、待ってくれるのか…?」


お前は、本当に、優しいな。


「そうだとも。早くあの洞穴に潜って、休もうでは、ないか……。」


ああ見えても、安らぎの我が家であるのだぞ。

常日頃から、お前はもっと光栄に思うべきだった。


…まあ、もう良い。

どうせ、碌な持て成しも、してやれなかった。




「その世界に、俺も一緒に入り込むんだ。」



「それでも、不安か?」



急ごう、もうすぐ、雨が降る気がしている。



「…時間は余り残っていない。」


「Teus。」


「帰るだけだ……帰るだけ。」







「元居るべき…場所に…」


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