136. 吠え群れの復活 2
136. Howlpack Resurgence 2
“B…Buster?”
その名が真っ先に思い浮かんだのは、恐らく俺が、あの仔狼たちの中で最初に紹介を受けたからだろう。
親バカのあいつが褒めちぎるのも仕方がないほど、納得の状況適応力。
体力的にも、あと1年もしない内に、父親を追い抜くだろう。
初めてヴァン川の巡回に参加した狼も、こいつだったっけ。
そう。臭いをじっくりと嗅ぎ取るまでもない。
Skaが番との間に設けた、あの長男狼の姿が、そこにはあったのだ。
狼にとっての名前など、Siriusが嘲たように、大して記憶にとどめるに値しないものだ。
俺たちは、態々群れ仲間を識別するのに、それらを発声することをしないから。
しかし、呼ばれる側としては、人間にその名を呼んでもらえる側の気持ちとしては。
それが一生、自分のことを求めてくれる魔法の音色であるのだから。
それは必然であった。
“……?”
反射的に、その狼は耳をぴんと弾かせて、こちらを注視したのだ。
“そ、それでは、お前は……!?”
芋づる式に、俺は彼らの名前を次々に口にする。
そのどれもを正確に言い当てられているきらいがあったのは、
やはり俺は、彼らに受け入れられることに。無意識のうちに必死であったからなのだろうか。
いとも容易く、言い当てることが出来たのだ。
今更になって、気づかされる。
初めて紹介を受けたあの日のように、少し胸が高鳴ってしまうほど。
俺はお前たちの名前に、特別な愛おしさを感じていたのか。
“Dire…Direなのか?”
あり得ない。どうしてお前たちが、この森をほっつき歩いている?
冒険心は邪魔されるべきでは無いが、父親の言いつけを守らないと、母狼に叱られて大変だろう?
緊急事態宣言下であると、群れの長はお伝えになったはずだ。
可愛げのある悪戯であっても、この場に現れて良いはずが無い。
“Nymeria…だな?”
“それに、Aro…”
“それから、それから……”
“そ、そん、な……”
いない。
血眼になって、周りを探しても。
あの可愛い、甘えん坊で怖がりな末っ子が。
誰よりも勇ましく、仲間の為にと立ち上がった仔狼の姿が。
どこにも、見当たらないのだ。
どこ、にも…
……?
“あ、ああっ……う、ああっ…”
気絶しそうだ。
まるで、脚が一つ、使い物にならなくなったようにして。
視界が平衡感覚を失い、危うく地に伏せかける。
いる。
目の前に。
彼らの先頭に、一番立派な姿で、
右の後ろ脚を失って、尚。
其処にいるでは無いか。
“シリウ、ス……”
その呼び声に、大狼はきつく瞑っていた瞳を開き放った。
大粒の涙が流れると、ああ、確かにお前はそんな色を宿していたという気がする。
みんないる。
俺と群れ仲間の架け橋となってくれた、あの兄弟たちが。
ただ一つ異なる点があるとすれば。
あれだけ純心に尻尾を振って、遊び相手を望んでくれていた彼らは。
今や真逆の感情を確かに燃やし、
目の前の脅威に対峙していることだ。
ああ、どうしてそんなに鼻先に醜い皺を寄せて。
皆挙って牙を剥く。
“お前だなっ…!!お前がやったんだなっ…!!”
Busterは、臆することもせずに、堂々と唸り声を上げた。
口元には、俺から破り取った毛皮が血を滴らせている。
“お前がパパを、こんなになるまで苛めたんだなっ…!!”
“……ぱ、パパだと…?”
記憶の氾濫に、理解が追い付かない。
お前の父親が、どうしたと言うのだ。
Skylineに、何かあったとでも言いたいのか…?
震える四肢を崩さぬよう踏ん張り、俺との対話を試みる彼の背後では、
兄弟たちだけでなく、多くの狼たちが倒れたSiriusの元へ群がり、
舌で舐めながら懸命に励ましの言葉を送っている。
“ああ、そんなっ…ボス…あ、脚が……”
“駄目だ、貴方はこんなところで死んで良い英雄じゃない…!”
“パパ、しっかりしてよ……ぱぱぁ……!”
……ま、まさか。
この狼たちは…?
“そんなに、騒ぐ、でない…ぞ。”
“安心するが良いぞ。我は…”
“我は、死なぬ。”
“そう彼女に、告げられたのだから、な…”
Siriusは、笑った。
地面に血溜まりを広げながら、どの一匹も心配させまいと。
間違いない。
この狼たちは…
“そうだ。そうであろうとも。”
“我が、吠え群れの仲間たちよ。”
伝説の大狼が率いし、鉄の森の栄華の時代。
その絶頂に在り続けた、嘗ての群れの欠片たち。
どの狼も、無抵抗の死を、遂げさせられている。
人間の罠に嵌められ、残酷に毛皮を剥がれた狼も居るだろう。
天寿を全うし、穏やかに眠って行った狼も、きっと此処には居るに違いない。
それでも、ヘルヘイムに至ったことを、どの一匹も、後悔していない。
皆、藁の上での死を遂げて、
再び彼の招集に応え、参上仕った。
“大丈夫、もう心配いらないよ。パパ。”
“笑って空を見上げるのは、もう止めだ。”
“…逢いに行くんだろ?”
“あとは僕たちに、任せて。”
俺が名を口にすることで、誤解を解こうとした彼らは。
どうやらSiriusが妻との間に産み落とした。
奇跡の仔狼であって、相違あるまい。
“絶対に、死なせない。”
彼らは、一人の少女の微笑みによって、再びこの地を走る。
その奇跡が、
ああ。世界が、美しい。
“今度は私たちが、貴方を守る番だ。”