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136. 吠え群れの復活

136. Howlpack Resurgence


その遠吠えは、一匹によってでは無かった。


“アウォォォォォーーーーン……”


“ウオォォー……オォォォーー…”


“ワオォォゥッ…アウゥゥゥー…”


ただ、それだけしか分からない。

正確な数を知らせぬ、完璧な群狼の合唱だった。

彼らの合唱は、高低様々な音色で次々と重なり合い、本来の頭数よりも遥かに多い狼たちを聞き手に想像させることがしばしば起こる。

姿の見えぬ脅威に囲まれてしまった。狩られる側は多勢に無勢を決めつけ、恐れを為すのだ。


俺は今、まさにこの軍勢の実力を推し量りかねていた。

この森にヴァナヘイムの群れが駆けつけてきたのだとしたら、俺は聞きなれた第一声を耳にしていたはず。

つまりは、味方ではないということ。


「いつの間に…?」


全部で、最低でも何匹が控えている?

100を優に超える、そんな馬鹿なことがあるか。

援軍は、いつから俺を敵対者と看做し、俺達を取り囲んだ?

全く分からない。


ただ、一つだけ確信して良いことがあるとすれば。

この狼の群れの招集は、決してSiriusが望んだそれでは無かったということだ。


“うぅ…あ、あぁ……そんな、ああ……”


牙と後ろ足を捥がれ、もう一匹の俺は、目の前で哭いていた。

前脚の間に鼻先を埋め、ぼろぼろと大粒の涙を流し、それが己の過ちだとでも言うように、尻尾を萎れさせて震えている。


「シリウス、これは一体、どういうことです…!?」

全く状況が飲み込めずにいた俺は、狼狽えて泣き喚くだけの彼に、状況を説明してくれと詰め寄った。


“き、来てはならぬ……!”


彼はビクッと身体を弾かせると、それから前脚を掻いて、逃げ足を失った上体を引き摺ろうと藻掻く。

それを見て、こんなになるまで傷つけ、怯えさせてしまったショックに胸が潰れる。

何やってるんだ、俺は…。

いくらSiriusであろうと、再起不能の重症を負わせた相手だぞ。

どうして対等以上に扱い、頼ることを前提にしてしまうのだ。


それだけ、この大狼の敗北が、信じ難かったのかも知れない。

俺は今度もまた、貴方の思った通りに、勝たされてしまうのだろうと期待していたのに。


嫌な予感に(はや)る気持ちを抑え、狼の言葉で宥めようと試みる。


“教えて下さい、彼らは貴方の、知り合いなのですよね…?”

“…ない…”

“え…?”

“来ては…らない…”


俺は彼の忠告を無視して、もう一歩踏み寄る。

良く聞こえなかったと、思ったのだ。

来ては、ならない。

字面通りに受け取ったとしても。

俺は何か、重要な警告を、聞きそびれている。


“Sirius……”


喉の奥で音を鳴らし、敵意の一切を拭い捨てて近づく。


その時だった。


“ヴゥッ……”


彼は、がばりと頭を擡げ、天に向かって突き上げる。

首回りに蓄えた立派な毛皮は、彼がどれだけ美しい狼であるかを、同族に対して荘厳に示している。


……!?


はずだった。



「な、んで……?」


彼は、自らの首に、飼い慣らしていたのだ。


いつの間に、そんなものを溜め込んでいたのですか?

貴方の口元に喉を押し付けた時も。

天頂からの布告として遠吠えを拝聴した時にも。

確かに毛皮は完全で、禿げた箇所など一つも見当たらなかった。

それがどうして、今になって。

その歯形の持ち主の目の前に、姿を現すのですか?


不敬にも、痛々しいなどという生易しい言葉で言い尽くせない傷口から、俺は目を逸らしてしまう。


これを、Teusに向って散々と見せつけて。

どうだ、醜いだろうと自慢して嗤っていた。

それが、どれだけ愚かしく見えたことだろう。


勲章のように誇るのでなければ、生まれつき住み着いた友人として受け入れるでもない。

ただ、相手の顔が歪むのを眺めるので、満足していた。

気分を害されようと、知ったことか。

何も俺を責めようが無いのを良いことに。

一方的に、露出狂を愉しんでいたんだ。




“ア、アァ……”


“アウォォォォォーーーー……”


そして、彼は懸命に応える。


“わ、我は、此処におる、ぞ…”


群れ仲間の呼び声に。


“おお…息災であるとも…”


聞こえなければ、死んでしまわれたと、悲しむに違いない。


”だから、お前たちよ……“


それをこの大狼は、誰よりも知っている。


“我を、我のことを……”


Siriusとは、悲劇の英雄であるのだから。


“助けに来るなぁっ……!”




狂おしく美しい絶望が、彼の背後から、幾多もの黒い筋となって伸びる。




伏兵は、すぐそこで狙いを澄ませていたのだ。

そうと気が付くも、時はすでに遅い。

俊足の魁が飛び掛かるのを、視界の端で捉えるのがやっとだった。


“う゛っ…!!”


小さく、しかし鋭利な牙でのひと噛みに、俺は短く叫び声を上げた。

狙いは的確で、文句のつけようが無い。

脱臼して痛めた右肩の毛皮へ飛び掛かったのは、俺のぎこちない歩き方から見抜いたとみて、間違いないだろう。

そして、俺の牙が届かないことも織り込み済みという訳だ。

腕があれば掴んで叩き落とすだけだが、狼にとっては懐の次に無防備を晒す可動域になり得る。


そして怯んだと見るや、俺の視界の及ばぬ後方から、腿肉に齧り付くもう一匹の大口。

更には腱を狙った一撃に、俺は体勢を崩しかける。


“ぐっ…うあ゛あ゛?”


すぐさま、離脱しなくては。

こいつら、只者じゃない。

ぼーっとしていると、あっという間に殺される…!!



“ぐおぉぉぉぉーーーっ……!!”


全身の毛皮に力を込め、水滴を弾くようにして振るう。


“キャウゥ…!?”


すると、思いのほか呆気なく、俺を捉えていた牙たちは外れて飛ばされていく。

こいつら、身体は軽いのだ。少なくとも、俺やSiriusに比べれば、仔狼程度の威力しか無い。

数で押すのが狼の力であるとしても、これなら渡り合えるだろうか。


慌ててSiriusから距離を取り、今度こそ襲い掛かる脅威を見定めようと姿勢を低くして構える。


瞼が痙攣した。

身体の節々に蓄積したダメージが、顕在化しているのを感じる。


話が通じないとしたら或いは、やり過ごせないかも。

そんな不安がちらと脳裏を掠めたのも、束の間。




“……!?”




俺は目の前に立ち塞がる同胞に、愕然とする。



―狼だ。



俺やGarmのような、自己の存在を絶えず問い続けるような不安定なそれではない。

紛れもなく、俺が羨み続けてきた、この森に住まうべき神の獣。



それが、夥しい数を伴って。

同胞を守らんと、目の前の怪物に向って牙を剥き、対峙する。




そしてその先頭の数匹には、

見覚えがあった。




“……う、そだぁっ…”




俺は、彼らを生きている者として扱わなくてはならない。

そのことをSiriusは悟り、だから自分の元へ向かわせまいと必死だった。


けれど、もう遅い。

Helは、それを許してしまった。


全ては、愛情を注いでくれる狼のため。



“大丈夫か?ボス…”



“もう、大丈夫だよ。パパ。”



“私たちは、ずっと一緒だから。ね?”




今となっては、心からTeusの愚行を呪い、

そして彼のように膝を折り、ただ嘆き悲しむことしか出来なかったのだ。


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