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135. 灰は灰に

135. Ashes to Ashes


「うっ……あぁっ……!」


さっきから、やけに躓き、転びそうになることが多い。

脚の回転ばかりが急上昇して、空回りを始めている。


狼に追われている訳でも無いのに、駆り立てられているようなのだ。


それで、遂に縺れる二本足を制御できなくなった俺は、上体から飛び込むようにして右肩を強く地面に強打し、苦悶の呻き声を上げたのだった。

「っっ痛ぇ……」

Siriusに全力で振り飛ばされ、不時着した際に負った打撲がじわりと脈打った。

ぱんぱんに腫れあがった肩を摩ると、鈍痛に冷や汗が滲む。


彼は、手心というものをまるで知らない。

崖の反対側へ吹き飛ばすだけのつもりだったのだろうが、天まで届きそうなぐらいに、高々と放り投げられた。

運よく破けたマントが木の枝に引っかかっていなければ、着地時に全身が潰れていたに違いない。

私怨もあるのだろうが、そのあたりの気遣いの無さがFenrirとは大違いだ。

あいつは少なくとも、文句を垂れつつキャッチはしてくれる。


足元に目を凝らすと、根がぎっしりと絡み合い地を這っている。

突然転んだのは、きっと濃淡からその段差を読み取れないせいだと思った。


もう、色盲の程度を超えている。

輪郭が曖昧に和らぎ、視界がのっぺりと均一化されていくのを感じていた。

刻一刻と蝕まれていく様は、甘い蜜に浸されているようで、空恐ろしい。


それでも、走り続けるんだ。

息を切らしている暇など無い。

運は、向かい掴み取ろうとする覇気を纏った者の前にしか、現れてくれないから。


「はぁっ…あぁっ…はぁっ……」


鬱蒼とした樹林へ迷い込んだのだ。

ここは何処だろうとか、久方ぶりにそんな冒険者の台詞を吐いてみたくもなる。

初めから、狼の縄張りの中での自分の居場所なんて、分りもしなかったし、気にもしていなかったのに。

今になって、自分が目的地からどれだけ遠ざかっているかを知りたがるというのも、滑稽な話だ。

背中に乗せてくれる案内役がいないというだけで、こうも不安になるだなんて。



あの大狼は、少女を探せと言った。



俺は、最もあの少女から遠ざけたい存在だった筈。

謁見をこちらから頼み込んでも、一蹴では済まされないだろう。

牙を剥いて呻り声を上げながら、辛辣な言い回しを散々浴びせかけて、

それからFenrirに向って溜息を吐きながら愚痴を垂れ流すのだ。


おお、我が狼よ。友はあれ程慎重に選べと言って聞かせたでは無いか。

とか言って。


それであいつは、激しく同意をして、尻尾をぶんぶんに振り回すのだ。

二匹揃って、余りにも酷い。

そんなに俺は、若かりし頃のルインフィールド兄弟に似ているのだろうか。


まあ、嬉しいは、嬉しいんだけれど。

どちら寄りに似ているんだろう、と想像するのは愚門か。

どっちも狼のことが大好きな、双子の優しいヴァン神族の長なのだ。



にも拘わらず、彼は俺に託した。


「何を…だろう?」


残念ながら、そこまでは教えてくれなかった。

或いは、会えばわかるのだろうか。


ただ、直感的にだけど、こう頼まれている気がしたのだ。



彼女を、止めてくれ、と。



「雨…かな。」

額の汗を拭い空を仰ぐと、心なしか暗雲が垂れ込めている気がする。

淀んだ空の色を、そうと決めつける自信も今は無い。

ひょっとしたら、雲一つない快晴であるのかも知れないし、次の瞬間、ざんざんぶりの大雨に見舞われる羽目になってもおかしくない。

天候で気分が左右されるような情弱な神様は俺ぐらいだったと記憶していたけれど。

逆に自分の心の色に、空を塗り潰してしまいたくなる日が来ようとは。


いけない、そんな感傷に陥っている場合じゃないと、次の瞬間には首を振って、また走り出す。

ころころと入れ替わる理性も、まさに気分次第と言ったところだ。



「しかし…」

彼女に運よく出会えたとして。

実際のところ、俺はどうしたいのだろう。



無論、Siriusに頼まれなくたって、俺はHelを元居た場所へ帰そうとするだろう。

手を焼くなんて言葉で済まされないかもしれない。遊びに夢中な幼子が、言って聞かせて帰ると納得してくれるのなら、苦労はしないから。

けれどもこれ以上、この森に地獄の空気を吸わせる訳には行かないんだ。

この喧嘩はもう、個人的な論争の域を遥かに超えている。

俺はあらゆる種族の神様として、立ち振る舞うことを求められている。


……そう願うことで、近づけるだろうか。



「無理だ、よな…」


狼たちと袂を分かってから、どれくらいの時間が流れたのか。

一向に導きの手に肖ることが出来ずにいる。つまりは、そういうことだ。


俺を意地でも生き残らせようとしてきた、この忌まわしき我が運は。

俺の利益にだけ、忠実であるという訳だ。

薄っぺらい献身の言葉を並べ立てている間は、力を貸してくれない。



とてもそのようには見えないけれど。

この世界は、否が応でも俺を軸に据えて回ろうとしている。


そう、都合よく考えても許されるだろうか。

まるで神様のように。


もしも、だ。

もし、俺の心の奥底まで、見透かして、

その上で、あの狼が、見逃していたら。



Siriusは絶対に、俺に正義を語らせることを、許さなかった。


俺が、彼女を最悪の形で利用するような真似に走るかも知れないと、当然予見していたはずだ。

それでも、俺に託すしか無かった。


俺を信じたのではない。

きっと、誰よりも狼として信頼するFenrirが選んだ人間だから、目を瞑ってくれただけのこと。


俺の望みも、きっと歯を食い縛って、看過してくれるんだ。

例えばの話。そう思ってみよう。


吐き気のする蛮行も、頭の中なら、咎められてはならない。

読み取ってしまったなら、それは君が悪いんだ。


何故なら俺は、心優しい神様であるのだからね。

行動に、移すわけが無い。



「……。」



もう一度、空を見上げて。

どうしようもないと首を振る。




ほら、降り出して来た。




「雨宿りが出来る場所を探そう……。」


そんな無意識の背徳に耐えられるほど、強い精神を以て狼に近づいたと考えてくれていたなら。

君が見ていた人間の友達というのは、幻か何かであったに違いないよ。




ほら、俺は誘われているんだ。




夢のように、脈絡が無い。

どのようにして、此処までやって来たかも、記憶にない。


「……。」


彼方から近づいた訳でも無いのに。



「……また、会えたね。」



気が付けば俺は、灰色の液体を静かに頬から流し。



「家族とは、一人だって、欠けてはならないんだ。」



あの洞穴の前で、



必然の邂逅を果たしていたのだ。


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