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134. 吐き気

134. Nausea


「さあ、大人しくして下さい…」


“う、ふっ…ぐぅ…?”


顔面の感覚が無い。ぱんぱんに膨らんで、歪んでいると想像出来た。

俺は、どんな表情をして、目の前の大狼に語り掛けているのだろう。

とても、怯えている様子ですが。

私は、微笑んでいるつもりなのですよ?


「分かり、ま…せんか?」

もう、終わったのです。


これで、貴方は私とぶつかり合う手段を失った。

もう、生の手段が交差することはあり得ないのです。

牙は折れて、脚も取れかけてしまった。


投了してください。


腹を自ら晒して、今度こそ。


「早くして、下さい…」


また、雨が降りそうなのです。

とっても嫌な予感だ。

あの日のことを、思い出してしまって。

もう、私に貴方を引き摺って、洞穴の奥へ連れ込む元気は無いのですよ。

しかし美しい毛皮がずぶ濡れになるのはいけませんから、覆いかぶさるぐらいは致しますとも。

でも、風邪を引くと、あいつを心配させてしまうので。

出来れば一緒に歩いてくださると、嬉しいです。

ええ、分かっています。

一匹で三つ脚で歩けなんて、そんな酷なことは頼みません。


私の脚を、どうぞ使ってください。

え?どうするかって?


えへへ、良く分からないですけれど。

出来る気がするのです。


そう、頭の中でこいつが言っているのですよ。

大丈夫、もう完璧に従えてしまっていますから。


もう貴方の意志に不純物が混じることは無いと思います。

させませんとも、断じて。


さあ、終わりにしましょう。

形式的で、結構です。


寝転がって、楽にして?


「ねぇ……シリウs……」


ぱしんッ…!



一瞬面喰ったが、

恐らく平手打ちを喰らったのだ。

奇妙な物言いだ、前脚を使った訳ですら無いのに。

絡み合った鼻先を上手にぐるりと回し、剣を弾くようにして振りほどいたのだ。


「ひゃ……ひゃめろぉっ…!!」


どうしたのですか、急に。

人間の言葉でなければ通じない、ということは無いでしょう。


貴方がもう、戦える状態ではないということ以外は。


「ふっふるなぁっ…!!」


「……。」


噛みしめる牙に力が、籠る。


「見苦しいですよ、我が狼……」


明白に悟っている筈です。

敗北を喫したと。


それも、自分の目的を成し遂げられないような負け方をした。

もう、私の隙を突いて、出し抜くような自害も叶わない。

私の慈悲に委ねる他に無い。


それが、そんなに嫌ですか?


「ぐうぅ……うヴウウウゥッ……」


「どうして、抗うのです?」


一緒に、笑って横にいられると思ったのに。


「我はぁっ…我は、負けるわひぇには…ひかぬっ……」


「命を奪うことはしません。これでも、狼を志した者です。」


やっぱり、私は貴方の群れには、値しないのですか?


「あの仔しゃちが…待っておる、のらぁっ……」


「ですから、一緒に逢いに行きましょう?」


こんなに頑張ったのに。


「……。」



目の前に、いるのに。



「なら、ぬ……。」


「互いの手段がぶつかり合った、結果です。」


どちらかの道が、変わることもある。

そう貴方が仰ったではありませんか。


折れない心というのは素晴らしいですが、述べられた道理に適っていません。



「駄目、ですか…?」



けれども、Siriusは決意を瞳に宿す。

力なく首を振ったのだ。


「最期まで、戦うと?」


「……。」




「雨の臭いが、してきました。」




「低く、構えてください。」




“ふしゅぅぅっ……”




早く終わらせてしまいたい。

その一心で、俺は惰性で飛び掛かった。


“グルルルルオォォゥッ……”


避けられるはずもない。

仮に躱せたとして、反撃にさえ転じられないだろう。



「ぎゃうぅぅぅっ……!?」


案の定、Siriusは俺の抱擁をまともに喰らい、その場に悲鳴を上げて倒れ込んだ。


「大丈夫ですかっ…?」


「グルォォォォォォッ!!」


「……。」


響かない虚勢。

それを渾身の力に変えて見せようと躍起だ。


「お゛お゛っ……うぉぉ…おぉお…!!」


彼は身体を捻って俺を押し倒し、形勢を即座に逆転して見せる。


しかし、それから、どうするのです。


もう貴方には、


私を救う牙は無いのです。


「……。」




無表情に彼のことを見つめて、仰向けになっているのが耐えられなかったのか。


彼は悲しそうに口を結び、そして自分から身を引き剝がす。


「うゔぅ……う、あ゛あ゛ぅ……」




尻尾を巻いて、退こう。

その意思が全身に現れていた。



取れかけて、爪が踵の向きに回ってしまった足を引きずり、まるで情けない呻き声を上げながら。


Siriusは逃げた。


「た、す……けてぇ……」



「く、……れ……」



「He……l…」




「……。」




こちらを、振り向きもしない。




俺は歩いて彼に容易く追い付くと。




彼が気づかぬよう、そっと腿肉に牙を突き立てる。




ぐちゃぁ……


繋ぎ目が糸を引いて裂け、


ドチャ…


「ウゥ、ウゥッ…ウガァッ……」


俺は獲物の肉塊を手にしたのだ。




「……っ、うげえぇぇぇっ……げぇぇっ……?」




その瞬間。

猛烈な吐き気が込みあげて来て。



「おぼろろぉぉぉっ…ぐぇ…げほっ……おぉぉ…」


俺は息も継げない程に、吐いた。

狂ったように、迫り上がって来る。


脳が、そうしろと、命令を絶やさないのだ。

出血を起こした脳が、俺に囁いて黙らない。


全部、吐き尽くしてしまえって。



「げぇぇっ……ゔえぇ……え゛っえ゛ぇ……」



こんなことになるぐらいなら。

貴方のこと、黙って見送れば良かったのかな。



こんな喧嘩、懲り懲りだよ。

もう、二度と狼に噛みついたりなんか、するものか。



「はぁっ……はぁっ……はぁ…あぁ……」




Siriusは振り返り、呆然とした表情で、俺のことを見つめている。




「だから、(とど)め、は刺せ…ません。」




「どうしました…か…?」




「逃げないと、狼に、喰い殺され、ます、よ……?」




“ま、さか……”




……?




“Hel、ならぬぞ。我はそんなつもりで言ったのでは……!”




“オォォォー------……。”




「今のは…」


幻聴だろうか。




“アゥオォォォー------ン……。”




「…遠吠え?」







「テュールゥ…」


Siriusがその神様の名を呟く。

どうやらしくじったらしい。

少なくとも、彼は彼女を初めから殺すつもりであったことが、これではっきりしたのだ。




そしてこの遠吠えの主は、彼の呼び寄せた群れのものでも、無いようだった。

喩え、彼の大事な仲間であったのだとしても。


それは俺にとって、絶望を齎す援軍でしか無いらしい。


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