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132. 似通った噛み傷

132. Parallel Bites


“アガァァッ…ウガァッ……ア、ァァ……”


言い知れぬ浮遊感は、待ちに待った、俺の昇天の合図であるかに思われた。

ふわりと空へ舞い上がる、その為の翼を、Skylineのように授かった。


なんてな。そんなはずは無い。

何故なら俺が選んだ死に方とは、この世で最も不名誉なそれ。

地の底へと墜ちていく為の生き方であったからだ。


貴方の傍らに寄り添う為、

たった一つの目的を、その牙は叶えてくれる筈だった。


ごふっ……ブチチィッ……!!


「んぐっ……?」

猛烈な蹴り上げを腹部に喰らい、息が詰まって投げ出された巨体は遂に反転する。

銃撃で負傷した肩から直に着地し、締め上げるような鈍痛に、思わず歯を食い縛って顔をしかめる。

「ゔぅっ……い、いだいぃぃ…」


「……?」

何と言うことだ。

どうして、俺の喉から、声が漏れる。


貴方の牙によって切り開かれた、この傷口は。

何故未だに、俺の脳と、胴を繋ぎ止める。


一体、何の犠牲によって、


「げほっ…ぐぇぇ…うぇぇ……」




俺は、生かされているのだ?




ねえ、Sirius…?




「……!!」



「うあぁっ……あぁっ、あぁっ……」



「しりうすぅ……?」




ぼたたっ……ぼとっ……ぼとっ…




“グルルルルゥゥゥゥ……”




その敵対者は、俺に向って明確な威嚇の態度を示した。

鼻先に醜悪な皺を寄せ。

上唇を捲り上げ。

(ぬめ)って光る武器を剥いて、警告する。


我こそは、主の狼であるぞ、と。



しかし、その牙は無かった。

見落としようの無い程に立派な上顎の犬歯が、そこに無い。



「え……?」




消えている。両方だ。


え、無い、のか…?

そんなことって、あり得るか?

なら、何処へ行った…?



歯肉から噴出するどす黒い血の滝にぼうっと見とれていると、俺は青褪める思いで唾を飲み込んだ。

この違和感、上手く嚥下出来ないしこり。


「ま、まさか…?」


両手が無いことを、俺は何度も人間の否定として嘆いてきたものだが、

今日ほどその思いの色を濃くしたことは無い。


手の届かぬ代わりに、俺はぺたりと尻を地につけて、後ろ脚を器用に伸ばすことぐらいは、出来ただろうか。

いいや、出来たとして、行動に移せるはずが無い。


反射的に首元へ手を伸ばす。

それぐらい無意識な躊躇いの無さを伴わなければ。

傷口を迂闊に触れるはずが無いのだ。


隣に、Teusがいて欲しい。


俺の首元は、どうなっている?

半ば怒鳴るような口調で、彼に詰め寄っていただろう。

その表情が、どんなに憂いに満ちていようが。


満足のいく嘘が得られた筈だ。



「う、うえぇ……え゛、げぇ…ぇ…」



抜け落ちていたのだ。


足元で血に染まっている爪が、何をしたのかは知らない。

だが、彼が群れを守るために剥き続けてきたその牙は。



「げほっ…かはっ…う゛っ…うぅぇ……」



俺の首元で、傷口を広げぬよう、微動だにせず埋まっている。




失敗させられたのだ。

俺は、彼に殺され損ねた。


狼の牙で、喉を掻き切る。

それがいつも、あと少しの所で出来なかった。


「ぶっ…ぺっ…」


Siriusは何でもないと言うように、口の中に溜まった血反吐を吐き出すと、舌先で鼻を丹念に舐める。

ねっとりとした血膜が髭や鼻先を覆っていたのが、気持ち悪かったのだろう。

赤い気泡が鼻の中で弾けると、小さくくしゃみをして、これ以上痛みには呻かぬぞと目尻の皺を深くする。


“許せ、主よ…”


もう、人間の言葉は喋ることが出来ないのだろう。

彼は表情だけで、雄弁に語った。


“主の望みは、こうして潰えた。”


“我が武器は、見るも無残に圧し折らせて貰ったぞ。”


絶句する俺を見て微笑む様は、俺に致命的な一撃を加えてやったぞと言わんばかりだ。


「そ、んな……」

実際、かなり応えたんだ。

あれだけ愛撫を重ねてきた造形を見失い、目のやり場を彼の表情から見出すことが出来ない。


「そこまでして、私の邪魔をなさるのですかっ…!?」


叫び声をあげると、首元から何かが零れ落ちそうで、俺は慌てて人間の言葉を操ってはならないと舌をしまい込んだ。


“貴方なら、きっと理解してくれると信じていたのに…!”


自分の死に方を選べるなんて、恵まれていることなのかも知れません。

けれど、惰性の生の中にも、しっかりと目的があった。


私たちは、漠然とではあっても、その終わりを目指していたのではありませんか?

都合よく誰かが、自分のことを殺してくれる。

そんな夢のような瞬間を待っていたんだ。

貴方も、私も…!!



一生で、何度も使える言葉じゃない。


“Sirius…貴方の為に、生きて来たんだ。”


なのに…なのに…



“どうしてぇっ…今度は、僕の番じゃぁ…駄目なのですか…?”


“ねぇっ…Sirius…シリウスゥゥゥゥッ……”


“うわあぁぁっ…うぇぇっ…うえっ…うぇぇぇ……”




ぼろぼろと、大粒の涙が零れる。


Siriusからは、忽ち敵意の角が取れて、耳が丸くなって。尻尾が萎える。


それを見て。

何というか…

ああ、やっぱりなあと思ってしまうんだ。




“本当に、済まない。”




“我は、何としてでも、止めて見せよう。”




だから、それは何故なのです?

教えてください。


理由が無ければ、私はやはり、

初めからずっと願い続けてきた通り。

狼でありたいと思ってしまいます。


この堂々巡りは、何れ私を貴方の元へと導くことでしょう。

だから、今ここで、私の野望を挫いたところで。

それは無意味なことです。


Sirius、ヘルヘイムとは、そんなにも薄暗く、気が狂いそうな世界なのですか?


しかし、私は貴方が貴方を保つために、どんなことでも致します。

この縄張りを一緒に過ごすよりも、遥かに幸せな群れの営みを、きっと叶えて見せるから…





“主を、我が世界へ招き入れることは出来ぬ。”


これだけの想いを、俺は毛皮を擦り付けることなく訴えた。

それなのに。


“出来ぬのだ…”



“主は、優しい。今までに出会った、どんな狼よりも……”



“我は、これ以上…”



“友をニヴルヘイムへ、向かわせとうない。”




“わ、たし…が……?”




我には分かる、何故なら…主は、我と同じ、大狼であるからな。


来てはならぬのだ。


必ずその渇望に耐え切れず、傾倒する。






“主がヘルヘイムへ至ること、この地獄界の番狼が、許さぬぞ。”


あらゆる犠牲を伴うだろう。

こんな牙など、お飾りに過ぎなかったと顧みるぐらいに。


尤も、当分舌で口の裏を突くような真似はしとうないが。




それも、主の死に寄り添うための、’手段’ であるという訳だな。


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