131. 狂った果実 4
131. Crazed Fruits 4
主はますます横暴になり、我の口の間に首を挟み込んだまま、腹ばいとなってくつろぎ始めた。
“ヴゥ……ウゥッ……”
昔はぽつぽつと、言葉を選んで話し始めて、そのまま泣き寝入りしていたと言うのに。
きっと、人間の言葉で話すのが、得意になってしまったのだな。
この期に及んで、主は今までで一番、饒舌だ。
活き活きと、しておるぞ。
「従って私は、生きているうちに、貴方自身となる必要がありました。」
貴方が住んでいる、きっと幸せにお嫁さん達と一緒に暮らしている、のどかな狼たちの楽園で。
今度こそ、群れ仲間の一匹として受け入れてもらうために。
私は、この世界を上手に終わらせる努力を怠らなかった。
「シリウス。其処に…ヘルヘイムに。」
「狼は、いますか……?」
……。
狼と、暮らしておるか、だと?
何と言うことを、聞いてくれるのだ。主は。
我の絶句を亡骸のよくあることと捉えたのか、主は少しもご機嫌な尻尾を揺らすのを止めない。
「いてもいなくても、一緒です。」
…そうとまで、吐き捨てるのか。
「喩えそこが、本物の地獄であったとしても。」
「仮に貴方が、ニヴルヘイムへ逃げて行ったとしても。」
「私は、一匹だけの狼の元へ、向かいます。」
「貴方の世界へ至ることが、目的であることを改めようとは思いません。」
素晴らしいとは思いませんか?
結局、目的とは揺らがないのです。
その為の手段が、私の生き方を変えると言うだけ。
Teusは、あの神様は、大事なことを教えてくれました。
本当に、本当に…かけがえのない、友達だ。
彼は、私が大狼となることを応援してくれていた。
ずっと、ずっとです。
‘どのように死ぬか。’
その道標さえも、示してくれた。
もう、迷いようが無いではありませんか。
「藁の上の死。」
それが、成功者の死に方だったのですね!!
どうして、早く教えてくれなかったのですか。
知っていたのでしょう?ねえ、Sirius。
無抵抗に、殺されてしまえば良かったのです。
あの時、あの瞬間に。
それは叶いそうで、拒まれた。
「首元の毛皮を、こうやって晒して…!!」
ずぶぶ…
“や、やめろ……。”
「貴方が…貴方が、その死をぶんどったから!!」
ぐちゅっ…ぐちちっ…
“やめてくれぇっ…お願いだぁっ…主よ…!!”
「今度は、僕の番です。」
「何の比喩とも、受け取らないで。」
「私のことを、喰い殺してください。」
“……あ、ああっ……”
さあ、貴方になりたい。
貴方の中に、入れてください。
狂ったと思いましたか?
何も、揺らいでなどいませんよ。
貴方自身となること。
貴方を、私の内に、取り戻すこと。
貴方を連れて、一緒にヴァン川の対岸へ至ること。
これらは、全くもって矛盾せずに達成が可能です。
それは、私自身の中で、貴方が証明してくれた。
Siriusという狼は、私に無抵抗に喰い殺されることによって。
私の中で確かな自我を産んだ。
貴方自身となる渇望によって、シリウスの発露が、もう少しで達成されるところまで来ていたのです。
きっと私も、貴方の中で、糧となりながら、語り掛けるでしょう。
一緒に、走れますよね。
もう、置いて行かれるようなへまは致しません。
だって、貴方の中にいるのですから。
包含関係の逆転に、どきどきしてしまいます。
切り離されてしまった私の中の貴方の中に、今度は私が巣食う番だ。
そして…それこそが、最も貴方の野望に抗う術として、希望なのです。
Sirius。どうしても私は、貴方の前に立ちはだかりたくなんか無いんだ。
喧嘩なんて、したくないよ。
貴方から守りたい人間なんて、はっきり言って存在しないし。
狼たちは、きっと喜んで貴方と共に歩くでしょう。
どうしたって、邪魔して良いような手段なんかじゃない。
これは、絶対に阻まれるべき生き方になり得ないのです。
さっき、言いました。
結局、目的とは揺らがないのです。
その為の手段が、私の生き方を変えると言うだけ。
私は、貴方がこの世に生を受けた目的を知りません。
今度はどのように、死にたいと考えておいでですか?
次こそは、楽園へと走るオーロラの上を、滑らぬよう見守っていたいのですが。
それは、貴方が決めることですよね。
ただ、貴方は私を喰い殺してしまった。
お残しとかは、許さないです。
それが貴方の生き方に、影を落としてくれるなら。
それが、私の生き方の最期として、最も良い。
「さあ、もう、我慢が聞かなくなって参りました。」
私は二つの夢を同時に叶えることが出来る。
一つは、目的そのもの。
私が、貴方と同じ世界に至るような死に方を遂行できること。
もう一つは、私なりの手段、と言えば良いでしょうか。
貴方の生き方に、自分の色を加えることを最も嫌った結果です。
「私は、此処から一歩も動きません。」
“ぐるるうぅ……”
主は首元を枕にして身を横たえ、喉をぷすぷすと鳴らしてくつろぐ。
既に、身を委ねる覚悟が齎す震えは、身体の何処からも伝わっては来ない。
本当に、諦めてしまったのだ。
「早く……してください…」
「あの友達は、私なんかよりも、数倍お人好しですよ。」
「手遅れになる……前に。」
「……。」
「さあっ……Sirius。我が狼よっ……!!」
“ぐっ……ぬぅぅ……”
我は一瞬、口元に力を込めた。
変な気を、起こしたのだ。
しかし此奴は即座にそれを察知し、膝より下を地面に這わせて、組み伏せた姿勢を崩すまいと構える。
ますます、首元の毛皮が迫りくる。
牙を包み込もうと、覆いかぶさって来るのだ。
“うあぁっ……ああぁっ……。”
「私は力尽きるまで、こうして貴方を押さえ付けて見せる!」
「自分から命を絶つような勇気は無いんですから…ね…!」
嫌でしょう?あの神様に、先を越されますよ?
そうなったら、貴方はあの時の二の舞だ。
きっと追放され、失敗する。
こうして私の身体の下で、潰されたままでいるくらいなら。
その口、閉じちゃってください。
「さあ…さぁっ……!!」
“あ゛あ゛っ……あがああっ……。”
「さあっ……早くっ!!」
「シリウスゥゥゥゥッーーーー!!」
“あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!”
ぶちゅりっ……。
牙で貫かれた果実の破裂音。
大狼は、ぴくりとも動かなくなった。
「……。」
目的は、手段によって、達せられてしまったのだ。