表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
353/728

131. 狂った果実 3

132. Crazed Fruits 3


“な、ぜだ……?”


口を動かして、人間の言葉を弄してはならなかった。

ちょっと牙が揺れただけで、我が狼の首の肉は破ける。


「何故、ですって?」


「まさ…か、貴方から…そんな…愚問が…零れるとは、思っても…みませ…でした。」


ごぽぽっ……


“大ばか者っ!喋るでない、今すぐに…!!”


「ああっ…牙を、抜かないでください。」


我が顔を背けぬよう、主は痛みに怯むことすらせず、確かな警告音を発する。


「気管が、ぜぇっ……ぜぇっ…ぜぅ…漏れてる、…言葉…出ません。」



つまりは、人間の言葉を以て、貴方に語り掛けたいのです。

分かってくれますよね、Sirius?


“……。”


「ええ、そうです。」


「じっと…してい、て…」


身動き一つ、取れなかった。

我は牙を深々と突き立てる側でありながら、こうして腹を我が狼に向けて晒し、彼の命じるが儘とさせられていたのだ。


抗える訳が無い。

口の中に溜まる鮮血を吐き出すことも出来ず、毛皮の猿轡を噛まされていたのだ。


主が良いと言うまで、こうしている他にあるまい。

変な気を起こせば、即座に此奴の首が飛ぶ。



そう悟った我は、突っ張っていた四肢の力を抜き、股に潜り込んでいた尻尾をだらりと地面に横たえた。

顔の表情だけは、口元の刃物を刺激せぬよう、険しいまま。


“主よ…”


我は、休戦を認めたのだ。


「生意気な口を聞いて、申し訳ありません。」


ほっとした様子が、声からだけでも感じ取ることが出来た。

目の前には、主がふさふさに蓄えた首元の毛皮しか広がってはおらぬが。

きっと尻尾はゆらゆらと舞い、やっと二匹きりで話ができることを喜んでおるのだろう。


我も、同じ気持ちだ。

そう言いたいところだが。

今は敬愛の印として主の口元を鼻で突くことすら許されぬ。


まるであの日と、同じでは無いか。


違う点があるとすれば。

主は実に立派に、我の代わりを務めようとしていることだろうか。



「とっても…緊張しました。」



全身の痙攣にも似た震えが、伝わって来ておる。

主は興奮気味に、それでいて、ぽつぽつと、途切れ途切れに自慢話を始めた。



「貴方と面と向かってお喋りをするなんて…畏れ多いことです。」


ましてや、Siriusを出し抜いて、こんな無礼を敢行するだなんて。

私には二度と出来る気がしません。


せっかく、こんなに近くに貴方がいるのに。

こうして一方的に思いの丈をぶつけるのは、心苦しくもあるのですが。


寧ろこの方が、正直に話せる気がして。

構いませんか?Sirius。


ずっと洞穴の奥で、貴方の亡骸に話しかけたみたいに。

僕は聴衆を意識した独白のようなものをしてみたい。


それが、一番居心地が良いから。


でも、ちょっとだけ、

反応を貰えること、期待しています。


怖くて堪らないですけど。


…やっぱり、今のは無しです。

聞かなかったことにしてください。




「さっきから、ずっと変な気分なんです。」


‘取り憑かれていた’ と言えば良いのでしょうか。

なんだか、気が触れたような夢を見せられていた。


私はそう…大狼にでもなった気分だったのです。

そうでもしないと、こんな大それた行動には、到底及べませんよね。




けれど、私が貴方にして貰いたいことと言うのは、あの時から何一つ変わっていません。


仲間に入れて貰えるかも。

確かに私は、貴方の縄張りに迷い込んだ時、僅かな希望としてそれを願いました。

実際、私が人間の世界について話をしなければ、貴方はそれ以上の施しと愛情を、私に注いでくれたでしょう。


そうして貰えなかったこと、何一つ恨んでなどいません。

何故ならそんなものがお飾りに思えるほどの希望を、貴方は叶えてくれそうだったから。


本能的に、見いだせたのです。

貴方は天上に輝く、希望の狼であると。


今なら、分りますよね?

いいや、貴方は初めから、知っていた。


ずっと、貴方も探していた。




「都合よく自分のことを殺してくれる ’誰か’ を、探していた。」




……。


あの仕返しだとか、思わないでください。

復讐であるとも、邪推なさらないで。


恨んで下さるのであれば。本望です。

私は貴方のことを、ずっと心の片隅で恨んで来たかも知れないから。


ですが、この闘いは初めから、そうした自分勝手な欲求のぶつかり合い。



狼の解放。そんな崇高な意志も。

狼の共生。そんな蕩けた空言も。



結局私たちにとっては、手段でしか無いのです。

余りにも、大それていて、素晴らしい手段だとは思いませんか。

それだけ目的の色はくすんで、まるで吹雪に包まれた狼の視界のようですが。



Sirius。

貴方が私によって叶えた夢は、どのようであったかを、教えてくださいましたね。


あの神様が話した世界に、偽りが無いと言うのなら。

心の底から、嬉しいです。


貴方がHelheimへ堕ちたこと。


地獄へ堕ちたことを喜ぶだなんて、友として最低なことですね。

しかし、羨ましくて堪りません。


Teusは、私を励ますために、言ったつもりなのでしょうけれど。

それは聞き逃してはならない、重要な鍵であると気づかされました。


彼は言った。

どのように生きたか、ではない。

‘どのようにして死ぬ’ か。

それがこの物語では重要なのである、と。




私は、貴方が楽園へと向かったと信じておりました。

冬の薄暮薄明に垣間見る、あの青い世界へと走り去って行ったのだと。


その世界に至ることこそが、私の生きる目標だった。


どうやったら、それが叶うだろうか?

最も確実な方法とは、成功者のやり方を真似ることです。


自分なりの解釈を加えて、より良くしようなどと試みるのは、愚か者のすることです。

何故なら、私は貴方よりも幸せになることなど、全くもって望んでいないのだから。

同じ雪原の上に立つことさえできれば、それが最上級であるのです。


だから、私は貴方自身となることを願った。


憧れを自身に充填することこそが、

私の目的に最も沿う生き方。




つまりは、手段であったのです。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ