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130. 第二形態

130. Phase 2


大狼は穴のあくほど俺のことを見つめ、剥製にされてしまったように静止した。

「……。」

威嚇の表情をまるで含まないにも拘わらず、眼を背けてしまいそうになる。

次にどんな表情へと変わるのか、それを見届けるのが堪らなく恐ろしかった。


「そうか。」


「主は、我を超えるだけの力量を、備えてしまった。」


「こんな狼に挑むとは、この上なく惜しいことよ。」


そしてSiriusは冷たく笑った。

「……。」

馬鹿げていると嘲笑ったり、頭ごなしに否定してくれたら、どれだけ良かっただろう。

その優しい笑みが俺を絶望させたのは、言うまでもない。


きっと、思った通りになってしまうだろう。




「低く構えよ。」


「え……?」


「もっと、低く構えるのだ。主よ。」


「は、はい……!」


こう、でしょうか?

俺は前脚の両肘が地面に触れるぐらいになるまで、頭を低く下げてSiriusを見上げる。


「違う、もっとだ。もっと低くだ。」


「でなければ、容易く主は、首元を敵に向って晒す。」


「う、うぅ……」

威圧的な助言。

正にその通りだ。



怖くて怖くて、堪らない。



俺は顎が地面に触れるまで、更に姿勢を降ろす。

歯がガチガチと鳴って、震えが髭を揺らした。



「ふむ、それで良い。」


上目遣いに確かめたSiriusの表情は、再び生気を失った仮面のように固い。


「それで、牙は剥かぬのか?」


「う、ぇ……?」


今、なんと仰ったのです?

緊張し過ぎて、聞き漏らしてしまいました。


「鼻に皺を寄せよ。上唇を捲り上げろ。」


「主が狼として授かった、その刃を晒せ。」


……。

その時、ようやく俺は、自分が何をしなくてはならないのかを悟った。

覚悟しているようで、何ら用意がなっていなかったのだ。

狼の仕草で訴えかけなければ、通じないと言うのに。


「分かっておるのか?」


「主は、我に立ち向かおうとしておる。」


「’二度も’ だ。」


「う、あぁ……」



今まで、その実感もなく語り合えていたのが驚きだ。


「それとも、主は……」


目の前にいるのは、剥製の伝説なんかではない。

本物の、大狼なのに。


「‘あの頃’ のままか?」




“フシュウゥゥゥッッッ……!!”


“ヴヴウウウウゥゥッゥ…”


“グルルルルゥゥゥゥッ……”


“ウゥゥゥゥゥ……”


“……”


その姿勢にさえなれば。

心も勝手に、ついて来るものだとばかり思っていた。


虚勢であったとは言うまい。

しかし、俺の牙を服従させるほどの意志など、伴う筈も無かったのだ。


それは、変わらない。




何度も醜い顔面を克明に思い描き、それより更に恐ろしくあろうと牙を濡らして、覗かせる。

それから、控えめな視線でSiriusの顔色を窺っては、こうでは無かったかと、やり直してみる。


段々と、苛立ちを露にしてくれればよかったのに。

彼は微動だにせず、ただ俺からそれらしい感情を見逃さぬよう視線を外そうとしなかった。


遠吠えが出来ない俺のことも、こうやって、辛抱強く待ってくれたのですね。

その優しさが今は、何よりも応えます。


手を差し伸べてくれる優しさというか、勇気のようなものが、今の貴方から欲しいのです。

Teusが…そうしてくれたように。


“ぴいぃぃぃ…”


駄目、でしょうか…?




「ふむ。まあ…良かろう。」




以心伝心とは、このことだろう。

いや、顔と尻尾に、そう分かりやすく書いてあっただけか。

ともかくSiriusは、俺が何かを求めているのだと察してくれたようなのだ。


短く息を吐き、身体の硬直を解く様子は、寝起きの俺の仕草そのもので、安心する。

やっぱり、自分には、刻み込まれていたのだと。



それが、いけなかった。


「確かにあの時も、我の方からであったな。」


「え……?」




そういえば、俺はついさっき、この世界で一番速く動ける者は何であるかを思い改めたばかりだった。

Teusが放った、あの銀色の弾丸だ。

あいつが、俺の反応ぎりぎりのスピードで走る。

まっすぐに進むから、何とか爪で弾けるというだけで、とても俺が真似して繰り出せる速さではない。


しかし、彼の初動は、その印象を容易く凌駕した。

直感的に、頭上をちらと見上げるので精一杯だ。



「っ……!!?」


Siriusの再三に渡る警告にも拘わらず、俺は重心を極限まで下げた構えの姿勢を生かせなかった。

準備が出来ていたのは、相手のほうだけ。

既に冷徹な鍵爪は、獲物を完全に射程圏内として捉えていたのだ。


ザシュッ…!


「ぅぎゃあっ…!?」


躊躇いなく振り下ろされた右の前脚は、残像を追うのさえままならなかった。


「あの時と比べて、反応が鈍っているようだが。」


「油断は…すべきでない、主よ。」


「はぁっ…はぁっ…あぁっ……」

反射的に声を上げるも、そいつは初めから掠めもしない。

恐る恐る視線を左へとずらすと、短い毛皮に覆われた柱が、頬の毛皮に触れている。


「しかし、眼を閉じなかっただけ、成長したものよ。」


「あ、ああぁ……」


「我は、主の一挙手一投足の、そうした気づきに心を震わせるのに忙しい。」


「だから主よ。加減が必要ならば、いつでも言うがよい。」


「我もあの時ほど、疑念の影に、老境に心を乱されてはおらぬ。」



その次の瞬間、頬の一番長い毛が擦れたのを感じた。




く、来る……!!




すぐさま追撃が来ることを、俺は否応なしに察知する。


筋書きの通りに、目の前には彼の姿があったのだ。

同じように体勢をぎりぎりまで下げ、目が見えなくなるぐらいに大口を開いて、噛みつこうと襲いかかって来る。


「うぁぁっ……!!」


今度こそ、逃げなくちゃっ…!!

避けろ。

動け、動くんだ。


俺は身体が収縮してしまっていたような気持ちだった。

精神的な委縮という意味ではない。

目の前の大狼に対峙する、自分自身のサイズが、あのときの仔狼とまるで同じであるという錯覚に陥ったのだ。


それでもSkaには比べ物にならないぐらいの狼だ。

けれども、ちっぽけな仔狼と呼んでもらえる時代が、俺にもあったのか。

そんなに、懐かしいと振り返りたくも無いのだが。


ただ、丸呑みにされてしまう、と、思い込んでしまったのだ。


立ち向かって、同じように口を開き、ぶつかり合えばよかったのに。

俺は最低の悪手に打って出てしまう。


消極的な応戦として、前脚をふわりと浮かせる。

折角あらゆる展開に対応することのできる構えの姿勢を解いてしまった。


相手の牙から顔を遠ざけようと浮いて役に立たない前脚を突っ張って、そのまま押し倒されるのを待つ。

自ら招いた劣勢の被害を最小限に抑えるためだ。少なくとも、牙で顔面を齧り取られるようなことにはならないはず……。




「変わらぬなあ……。」




……!?


Siriusの優しい囁き声で、背けていた顔を正面へ向ける。

やはり、というべきか。


予定調和とは、分かっていても避け難いのだ。


ああ。私も、懐かしい気持ちでいっぱいです。


「我も、か。」


既にSiriusは、俺に向けて開かれた大口を閉じ、再び姿勢を下げて俺の懐へと潜り込むところまで済ませていた。

今度は相手が前脚を浮かせて距離を詰め、がら空きになった俺の顔面へ爪を伸ばす。




「済まない。」




強烈な一撃が、脳を揺さぶる。

ノイズだらけのフラッシュバックに、俺は変わらぬ大狼の瞳を見た。




「ひぎゃあああああああああああっっ!!!!」




全身を貫く激痛までもが、俺たちにとっては体験済みの悲劇であったのだ。


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