127. 無名の墓 2
127. Anonyms 2
その宣告は、渾身のはったりでもなく、増してや傷つけるためだけの嘘でもあるはずが無かった。
にも拘わらず、Teusは微塵も、動揺した様子を示さない。
Siriusでさえ、きっと怯えを見いだせない程に。
「……どうした、主よ?」
Teusは、何も答えない。
ただ悲しそうに、首を振るだけだ。
「なんてことだよ…」
両手に顔を埋め、呻き声を上げる。
しかしそれは、Siriusが告げた事実に対する絶望では無かった。
「君が間違うなんてことが、あり得るかよ…」
あの兄弟に、彼さえも騙されていたというのだろうか。
ばかやろう…Siriusともあろう賢狼が、なんで…
「ダイラスは…いいかい?Sirius……」
「’君が’、殺したんだよ?」
俺が、勘違いしているだけかも知れない。
きっと齟齬が発生しているだけだと思うから。そこだけは正しておこう?
君の、狼の牙が食い千切ったのは…
君が長い年月を一緒に過ごしてきた、友達の方なんだよね?
そう、だよね…?
「あ、ああ……?」
「ああ……」
Siriusは、どちらとも取れぬ返事をするので精一杯だった。
絶望の与え手とは自分自信であると慢心していた矢先に告げられた真相は、狼の四つ足を救い上げるのに十分過ぎたのだ。
「でも良かったよ。君がもし、掠りもしない名前を呼びでもしたら。俺はもうどうして良いか分からなくなっていた…」
そう。
確かにその名前だ。
ダイラス・ルインフィールド。
少なくとも、俺とFenrirが至った真相とは、間違っていなかったのだ。
加えて、あの方の死の際での告白も、一貫していて事実だったのだ。
正気は、保たれたままであったというのが、恐ろしい。
凄まじい精神力からなる暗示を見た。
己を偽って導き出した答えは、努力の末に、模倣のそれを超えたのだ。
「あはは…でも、あの人のことを、未だに ’ゴルトさん’ って呼びそうになってしまうよ。」
その名にも心当たりがあって、当然だろう。
Siriusは眉間に皺を寄せ、ようやく自分の犯した間違いの重さを悟る。
自分は、二択を、誤ってしまったのだと。
「あれ?どうなんだろ。逆か…?いや、ちょっと待って…?」
忘れてしまった。
俺が目撃した死は、誰のものなのだったっけ?
あれからだいぶ経つのに、全然気持ちの整理がついていない。
まだ…混乱しているんだ。
Sirius、君が友情を分かち合った神様の名前。
もう一度、教えてくれないか?
「……。」
惑いは、狼の方へも瞬く間に、伝搬する。
髭が湿ったのでもないのに、揃わず数本がねじれて曲がった。
尻尾も同じように、乱れて拗ける。
「待て、そうだ…」
「確かに…ああ……」
辛い記憶を、塗り替えようとしたつもりは、無いのだろう。
しかしSiriusは、何故か自分が殺した神様の名前を、言い間違えた。
薄情だとは言わない。
けれど、残念で、意外だった。
「我が…我が、あの男を…」
「口元へ、引き寄せてしまったのだ、な…」
「我が、ダイラス、を……」
「殺した…?」
何度も同じ言葉を呟いては、自分自身を納得させようと試みる。
「そうだ…おお、思い出した、ぞ…」
「我はあのとき、目の前に差し出された若造を、当然の報いとして、ただ喰らったのだ…」
そして、それを事実であると受け取った場合に、その裏返しとしてTeusに問いかけるべきことがあることに気が付く。
「では…では、主が葬った男は…!?彼奴は、主が新たな指導者としてのし上がるまで、ヴァナヘイムの平穏を保ち続けてきた、あいつは…?」
「‘双子の欠片’の、その後はどうなったのだ…?」
「よかった…!」
Teusは待ち切れなかったのか、Siriusがその結論にいち早く至ったことに、歓喜の声を上げる。
「じゃあ、気づいていたのですね!?君が殺した神様は、元より君と対峙すべき方のそれだった!」
「ダイラスと共に、Vesuvaを産み出した…そうですね!?」
そうですよね。君ほどずば抜けた知性を備えた狼が、どうしてそれを気づかぬまま生きて来ることがあろうか。
なら、ようやく話が前に進みそうです。
良いかい、Sirius…
「質問をしているのは、我の方だっ!!」
「我は、主がヴァナヘイムの主神を ’どのように殺した’ のだと聞いておるのだぞっ!!」
「だからなんでさっきから、そんなことを聞くんだっ…?」
「その男は地獄に来ておらぬと言っておるだろうがっ!!」
風貌を見誤る筈が無いだろう!?
我は再三に渡ってこう宣告しておるのだっ!!
「主は…‘我と同じように’、立ち向かって来た相手を勇敢なふりをして殺しておるとっ……!!」
「それは違うっ…!!」
Teusは耐え切れないといった様子で、必死にそれを否定する。
「確かに……確かに俺は、あの方を、Gortさんを看取った…」
「安らかに、眠ったはずなんだ…!!」
「Fenrirの…君の、お陰で…!」
お、俺のお陰だと…?
どいつもこいつも、記憶が、ぐちゃぐちゃだ。
決して色々なことが、起きたわけではないのだが。
たった、一人、たった一匹の死が。
余りにも、耐え切れなかったんだ。
「ええい、埒が明かぬ!!」
「では、何処へ行ったのだっ!!その男はっ…ダイラスが生かそうと兄弟はっ!!」
「まだ分からないのかよっ!!」
「……!?」
「はぁっ…はぁっ…はぁっ……」
「いいかっっ…Sirius…これだけは、これだけは伝えておく!!」
こんな長話をしてしまって、悪かったと思ってる。
けれど、これだけは、君では知り得ないとも分かっていたから。
言わなくちゃならない。
いつまでも、ヘルヘイムで、彼らがやって来るのを待ち続けるなんて、余りにも可哀そうだ。
「Sirius…俺は、ヘルヘイムでの君の復活を、知っていたよ。」
「何……?」
「それも、’予言により’ ではない。」
「’目撃者’ が、俺にそう教えてくれた。」
「あの神様の兄弟、とんでもない力に魅入られてる。」
「Vesuvaの誕生なんて、奇跡でもなんでも無かったと、思い知らされたよ。」
君は、彼らが群れ仲間を、攫ったのを目の当たりにしたのだよね。
あの人たちは、所謂 ’世界の移動’が出来る、この物語でも限られた人と狼にしか許されていない力の持ち主だ。
しかも、群を抜いて、尖っている。
学べるとか、努力で育まれるとか、そういう領域で物事を推し量って良いのは、恐怖を覚えない相手にだけして良い理性だ。
アース神族なんて、足元にも及ばなかったんだ。
「長老様は…ゴルトさんは…」
Teusはまっすぐに、目の前の大狼を指さし、震える言葉をつづる。
「一度、君の世界を訪れている。」
「は…?」
ヘルヘイムを生身で歩いて、そして戻って来れるだなんて、そんな話聞いたことが無い。
何をしに行ったのか、君なら分かるよね?
あの方は、兄さんを探しに行ったんだ。
どうしても会いたかったとか。
逢って謝りたかったとか。
ひょっとしたら、自分なら連れて帰れるかも知れないとか。
どんな動機があったのか、それは今の自分でも分からない。
けれど、確かにゴルトさんは、君が既にこの世を去っていることに、気が付いていた。
“Teus殿。
私は、何処までお話したらよろしいでしょうか?”
“その後の彼を、何処までご存知なのです?”
「俺もあの時は、その後っていうのが、何のことを示しているのか、分からなかった。」
「けれど、それが ’死後の世界’を意味してると気が付いたとき……!!」
「この人は、見たい世界を自由に歩くことを、嘗て許されていたのだと思い知らされたんだ。」
「あの人は、間違いなくダイラスと、Sirius…君を探しにヘルヘイムを来訪しているっ!!」
「そして、本来出れば今、あの方は正規の道筋を辿って、君への謁見を果たしている筈なんだ。」
けれど、君はそんな覚えはないと言う。
どれだけ老いて、醜く果てようとも、見逃す筈がないのに!
どれだけ待った?
10年か?100年か?それとも、もっとか!?
見つかる訳がないんだよ……二人の兄弟は。
もし、俺達にも崇める神様がいるんだとしたら、そいつは全能の邪悪だ。
「死後までも、世界を歩くことを許されてしまったんだよ。」
朽ちた身体を、引き摺って。
言ってしまえば、Garmのような風貌のままで。
彼らは、何処へ向かったと思う?
「嘘だっ!!」
「ふざけるなっ!!我は…そんな世迷言、信じぬぞっ!!」
「Sirius…君はダイラスが、楽園へ向かったと思っていたみたいだね。」
「俺は目撃者ではないから、その時のことについて何も言ってあげられはしないけれど。」
「でも、ダイラスは、君と戦おうとしていたのかい?」
「武器を、目の前に投げ捨てたりは、しなかった…?」
「もう、諦めたような表情で、君に向って手を伸ばしたんじゃないのか…?」
「やめろおおおおおおおおおおおおっっっーーーー!!!!」
「君がヘルヘイムを隅から隅まで探しても、見つけられなかった理由は、それだよ。」
「ダイラスという、偉大なヴァン族の神は、最初から楽園へと向かってなんかいない。」
「それでいて、ヘルヘイムから、何処へ向かったと思う?」
「本来、君に会いに行ったはずの友達は、合わせる顔が無いと泣きながら、灰色の道を進むことさえもしなかったんだ。」
「弟の神様は、きっとそれに気が付いた。」
「安らかなる眠り……?」
ああ、そんなもの、糞喰らえだ。
どうして、その世界へ足を自ら踏み入れようとしたのか、だって?
理由を尋ねようとする程度の俺達は、きっとその世界の淵を見ずに済むのだろうさ。
「ルインフィールド兄弟は…」
ヘルヘイムの遥か下層。
本当の責め苦との抱擁に渇いて。
「Niflheimrへと、歩いて行った。」