表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
338/728

126. 低く構えよ

126. All Time Low


「もう良いっ…良く頑張った!!」


「君は…立派にやったんだ!」


喉元から聞こえた、力強い労いの言葉。

それで心からほっとしてしまって、何とか張り続けていた糸が切れる。


俺はがっくりと膝を折り、その場に堕ちるように伏せてしまった。

落下の感覚も無いほどに力が抜けて、前触れもなく腹が弾む。

続くように顎の辺りを地面に叩かれ、顔が弾んだ。


「うぐぅ……う…」


「げほぉっ…ぐふっ…」

堪えていた咳と共に血反吐を噴き出し、すっきりとした俺は、目の端から伝う涙に誘われて、微笑んだ。


泣かないように息を吸うと、ぶすす、ぐす、と鼻から変な音がする。


放出し切ったのだ。

憧れの大狼に披露したかった、全てを。


達成感だとか、遅れて襲ってくる心地よい疲労感だとか、そういったものは、まるで現れてこないけれど。

形だけの、ぼろぼろのそれではあったけれど。


俺は、吠えて、狼に応えた。


完璧とは程遠く、理想を超える想像のようには行かなかったことを、今までの俺なら目を真っ赤に染めて猛り、認めようとしなかっただろう。


喩えSiriusに同じことを言われたのだとしても、自分自身が許さなかったはずなのに。


悔しいことだ。

彼の肯定は、幾らでも俺を諦めさせる。

堕落、させるのだ。




目を瞑って、とても良い気持ちで苦しんでいると、自分の首元から、くぐもった声が聞こえて来る。

「……!?……っ!!」

何だ…これは、俺自身の、人間の言葉を操る声ではなさそうだが?



「Fenrirっ……」


……?


「おも、重たい…」



……し、しまった…。

こいつ、俺の首元で下敷きになっていやがる。


遠吠えの長引く声が消えてなくなるまで、ずっと抱き着いてくれていたせいで、逃げ遅れたのだ。


まずいぞ、ぺしゃんこになってしまったか?

は、早く、Teusを解放しなくては。


寝返りを打ちたいところなのだが、その気力さえも沸いてこない。

お前は、昼寝に最適な形状をした枕となってしまったようなのだ。


渾身の力を振り絞って出来た動きというのが、顔を少し傾けて自分が楽な姿勢になるだけという怠惰っぷりだ。


「も、もう…仕方ない…や、つだ…よ…」


「す、すまな。い…」


結局何も手伝ってやれなかったが、Teusがもぞもぞと俺の喉元で蠢き、何とか脱出を試みているのが分かる。

運のよい奴だ。挟まって動けないということは、無いのだな?


「ごめんね…くすぐったい、でしょ…」

「あ、ああ……」

けれども、お前がずっと真下で寝転がっていることのほうが、遥かに居心地が悪いのでな。

どうにか、逃げ果せてくれ。




時間はかかったが、柔らかな毛皮が生えた天井の低い洞穴から這い出て、彼はどうにか自由を取り戻す。


「ありがとう。Fenrir…」


よ、良かった…

Teusは自分が無事に脱出できたことを示そうと、俺の隣まで歩み寄って頬の毛皮に触れる。


そして、決意をひた隠して、こう呟いたのだ。


「後は、俺に任せて。」



……?


何を、するつもりだ?

そう尋ねる間もなく、彼は最後に愛おしく自分のことを撫でてから、名残惜しそうに右手を離す。


心細い。

俺はとうとう、舞台から降ろされてしまったのだ。

これからの対話を、観客として見届けなくてはならない。


「待たせたね…」


そして神は、もう一匹の狼と対峙する。




「そういう訳さ。」


「君の言う通り、俺は構図を履き違えていたみたいだね。」


誤った対比、確か大狼は、そんな言葉を使っていた。


「これは、‘俺と貴方’ の間の戦いであるようだ。」



標的は、初めか見誤るべきではなかったんだ。

俺の相手は、初めから君だった。


「覚えているかな…うん、きっとそうだ。」


「言ったよね?俺はもう、非力な人間の皮を被ることなんか、出来ないと。」


護れない。

こんな風に突っ立って。

人間の振りをして、この狼を偽っても。

彼らは俺の意志に関係なく、死んでしまう。


そんなこと、もうごめんだ。


でもね。

俺が、偽りなく神様であることを振り翳したって。

結局は、狼たちの虚しい殺し合いに手を貸すだけなんだ。


「傍観者でいては、ならない。」


俺が、この戦いを担う側に回るんだ。


「君が乗り越えるべき相手は。」




「この俺だ。」




Teus……?




「そのようだな……。」


彼が ’覚えている’ と踏んだ言葉に、実際に行き着いたのか。それは分からない。


「我らは、このような対話の時間を望んでいた。」


けれどもこの大狼は、初めてこの神様を、同じ土俵へと導き入れたのだ。




「Sirius。」


Teusがその狼の名前を、当たり前のように固い存在として呼ぶことが、とても奇妙な感じがする。


きっと、この大狼がずっと、俺の心の中に仕舞われていたせいなのだと思う。

実在する狼として、俺以外の存在と作用しあうことを目の当たりにすることに、慣れていない。


「Siriusは…ヴァナヘイムを探していると言ったね?」




「ちょうど良かった…君は、運が良い。」


その道探しに、これほどぴったりな出会いは、無いんじゃないかな。


「俺だよ。」


……?


「今の、その土地の主は…この俺だ。」


「ほう……?」


Siriusの首の後ろの毛皮が、ぶわりと逆立つ。


「そいつは存じ上げなかった。」


口調こそ荒げぬ紳士さが彼を抑えたものの、その一言は、間違いなく彼を揺さぶった。


「…お会いできて、光栄だ。主よ。」


「それは、どうも…」


不穏な暖風が流れた。

如何にも狼の装いと言ったところだろうか。丁寧な言葉遣いに、獣の牙がちらついて光る。



「ヴァン神族の長として、俺は君に伝えておかなくてはならないことがある。」


「…聞いてくれるね?」


「……。」


沈黙を是とすると、Teusは持ち前の勇敢さを発揮し、目つきをますます険しくするSiriusに臆することなく喋り出した。




大狼がヴァナヘイムを襲ってから。

俺さえもその知り得ぬ、後日談を。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ