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125. 劣等の完成 4

125. Born of Inferiority 4


俺の目の前で、その神様は泣いていた。


「……っ!!……!!」


両手に込める力を少しも緩めることをせず、必死に何かを、訴え続けていたのだ。


それが人間の言葉として伝わってこなかったのは、彼自身、激昂の余り呂律が回っていないせいだと思ったが。

ひょっとすると、自分は、彼の言葉が伝わらない生き物になってしまったのでは無いかと思った。

いや、元より別種の姿形をしていた。しかしそれでいて、Skaのように、良い耳を持った気高き友のようでも無かったのだ。


耳の奥に、ヴァン川の濁流を流されているかのようで、全てが聞き流して良い雑音に聞こえてくる。


「……れよっ!!Fenrir……れって!!」


しかし読唇術など、心得ているつもりは無いのに。

口の動きで、こいつが何を叫んでいるのか、なんとなく分かる。


想い込みのせいもあるのだろうが、そうではないか、という単語に突き当たった途端に、鮮明に聞き取れるから不思議だ。


ああ。

Teusは、’謝れ’ と言っているのか。




そうだよな。

お前に背を向けて飛び降りる前に。

俺は友に向けて、きちんとごめんなさいをしなければならない。


抱かせていた僅かな期待を、見るも無残に破いたのだから。

それが胸のすく程のまっさらな心変わりであったなら、どれほど彼の気持ちは簡単であったことだろうか。


俺には分かるのだ。

父さんと母さんに捨てられるのだと悟ったとき、二人の表情を未だに覚えているから。


棘の生えた鎖に縛り上げられ。

悲鳴を上げる口さえも閉じられている我が子を見て。

少なくとも、彼らは笑わなかった。


俺が、勝ち誇った本性に怒り狂い、奇跡の力を発揮するとでも恐れたのだろうか。

嘲笑に代わる言葉さえも、投げかけてはくれなかったのだ。


お前がいなくなって、清々する。

二度と、私たちの前に、姿を現すな。

この化け物め。


そう吐き捨てるように言ってくれたら、どれだけ楽だっただろうか。

そうしてくれたなら、こんなちっぽけの未練に、惨たらしく生かされずに済んだのに。




Teusは…それと、全く同じ気持ちでいるのだ。


俺は、一瞬ではあったがお前のことを忘れてしまった。

そのまま、Siriusさえもがうっとりと聞き惚れる遠吠えを響かせることが出来たなら。

間違いなく、お前を置いて、走り出していた。

もう一度、Siriusと、本気の競争を楽しんでいいたことだろう。


そうして呆気に取られ、辺りをきょろきょろと見渡してようやく。

俺はお前を捨てたのだと気づかされたなら。


お前は、怒りを覚えただろうけれど。


……こんな風に、泣かなかったよな。




「う゛ぅっ……うぇっ……うあぁぁっ……わぁぁ……」




謝るときぐらい、きちんと喋らないか。

怪物だって、口を聞くことは出来てしまうのだ。


震える口を閉じて、鼻を舌で舐めて。

それから、今までと何一つ変わらない気持ちを伝えなくてどうする。



本当に、最期なのだぞ。




「ティィウゥゥゥゥゥゥゥッゥゥゥッーーーーーーッ!!」




「っ……!?」


俺は、彼が喚き散らすのに耐えられない時に、いつもそうしていたような怒声を張り上げた。

そうすれば、お前は委縮なんてこれっぽっちもしない癖に、何故か黙り込んでくれると知っていたからだ。


高々と上げた拳を、ぴたりと止めて。

そう、言いたいことを、言わせてくれる。




「……ご……ご、めん…」




「ごめんな…さ…」




「……い…」




「……。」




「……れよ…」



……?



「……れって…言ってるだろおぉっ!!」



だ、だから、こうして、謝っているだろう…?

足りないと言うのなら、俺はもっと腹ばいになって、なんなら仰向けにさえなって繰り返すことを厭わないが。


ど、どうして…自分の想いが伝わらないと言ったような顔をする?



「……るんだっ……Fenrirっ!!」



彼は両手で口元の短い毛皮をバチンと引っ叩き、叫んだ。


「っ……?」


まるで耳の聞こえなくなった俺にも、届くようにと。


狼の耳が欲しい、この時ほど、強く願ったことは、後にも先にもなかった。

何とかして聞き取ろうと、頭の毛皮をくいくいと動かし、寝かせていた両耳を正面に持っていく。


それだけ、目が醒めた一撃だったのだ。

俺の耳を塞いでいた悲しみが、段々と取れていく。


ぼやけていたTeusの言葉の端々が、輪郭を取り戻し始めた。




「……るんだよっ……今、ここでっ……!!」




「お願いだぁっ……れっ……!!」




「‘頑張れ’よっ……Fenrirっ!!!!」




……!!??




ティ…ウ……?




「もうちょっとだろっ!??ずっとこの日の為に頑張って来たんじゃないのかっ!?」



……?



「お前がずっと練習してきたのを、俺は誰よりも知ってるっ!!」



「ちょっと喉の調子が悪いぐらいで、諦めるなよっ!!」



「此処しかない瞬間なんだぞっ!!」



……。



「Siriusの目の前で披露するのが、ずっと夢だったんだろっ!?」



「頑張れよっ……Fenrirっ……頼むからぁっ……頑張ってくれぇぇっ……!!」



Teus……


「フェンリルゥゥゥゥーーーーーッッ!!」




なんて…

なんてこと、言うんだよ。


Teus。





目の前の景色は、再び涙に塗れて見えなくなってしまう。


「うぅっ……うぇぇっ……うっ……あぁぁっ……」



「あぁっ……あぅぅっ…あ、ああぁっ……」



ありがとう。

ありがとうって、伝えなくちゃならないのに。




それよりも早く込みあげる嗚咽で。

俺はもう、どうしたら良いか、分からない。




「ほらっ…手伝ってやるからっ!!」


……!?



Teusは突然、先までと寸分違わずに泣き続けていた俺の懐に潜り込む。


顎の下で彼が蠢く感覚がして。

それから、こいつが何をしようとしているのかが分かったとき。

俺は頭が壊れそうなぐらいに泣いたのだ。



「ティウゥゥ……てぃうぅぅぅ……!」



遠吠えが、漏れ出さないように。

開いた傷口を、塞ごうとしてくれている。



「はや…くっ……!!」



きっと、全身血まみれだ。

Teusは首元の毛皮にしがみ付いて、必死に鮮血が溢れるのを止めようとする。




「あうぅっ……ぐぶっ……うぐっ…?」


頭を擡げようとすると、喉元から流れる筈だった血が気管に流れ込んで来た。

喉の奥がごぽごぽと音を立て、息が詰まりそうになる。



「げほっ……ごふっ……!」


咳き込むと、胸元がずきずきと痛んで、この姿勢をそう長くは保っていられないことを知る。




Teusの言う通りに、急いだほうが良い。




「やっ……止めろ…もう良い、主は……」


背後で、Siriusの狼狽えた声が聞こえた。


「あんたは黙ってろっ!!」



しかし、Teusのたった一言の刺すような怒声で、彼はあっさりと口を噤んでしまった。



「こんなに苦しい思いしてっ…誰の為にFenrirが、遠吠えをしようと思ってるんだっ!?」



「あんたの為なんだぞっ!分かってるのかっ!?」



「これがFenrirがっ…片時もあんたのことを忘れずに、’狼’であろうとした、その結晶なんだっ!!」



「しっかり聞いてろっ!!聞き漏らしたりなんかしたら、この俺が許さないからなっ!!」



「……。」






俺はそれを聞いて、苦しいと喘ぐように吸い込んだこの息を、無目的に吐き出さないことに決めた。



「さあ…良いよ。Fenrir。」




「聞かせて?」




これで、吠えよう。




「……。」







森は不気味に静まり返り、俺は青い世界を思い描いて、目を瞑る。





それから、腹の辺りに彼の温もりを感じながら、力を込め。




震える息で、




放った。




「――――――――……。」




「―――……。」




どんな風に、聞こえたのだろうか。






酷いものだったよなあ。


ぼろぼろの、遠吠えだったと思う。


今までで、一番悪い出来栄えだ。




ですから、感想は、仰らないでください。







「……ほら、出来た。」







「立派な狼の、遠吠えだ。」











確かに届いたのなら、


大切な誰かに、伝わったのなら。


俺はもう、それで良い。


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