124. 仲間に入れて? 2
124. Am I still invited? 2
「決して主は、我を拒めぬ。」
「故に、道を開けよ。」
彼は瞳に涙をいっぱいに溜め、それでも一滴さえ流すことなく言い放った。
「頼む…」
出来ることなら、こうはなって欲しくなかった。
この瞬間が来てしまったことを、心より悲しんでいる狼が、そこにはいた。
彼が喜ぶよう、想像した以上の走りを披露してしまったせいだ。
俺はどうやら、この狼が歯牙にもかけずにいられる存在ではなくなった。
翻って俺はどうだ。
縄張りの主として対等に扱わされ、ただ決意もなく狼狽えるばかりではないか。
決して、唐突ということは無かったのだ。
緩やかに、しかし着実に忍び寄る陰を、見て見ぬふりをしてきただけ。
まるで間に合わせで仕立て上げられた王様のようだ。
戦争の形をどうにか保たせる象徴に過ぎず、決定権というものを、まるで行使したことがない。
何の覚悟もできぬまま、最大の瞬間に迫られている。
Siriusは希望の河を越え、そこで何をするだろう。
Garmのように、きっと行動はしないのだ。
彼はきっと、ヴァナヘイムを、赤い腐敗で犯さない。
人々は屍と成り果て、狼たちは、再びGarmの一部として取り込まれる。
そんな悲劇は、起こりえない。
…ならば、願う通りに、駆け抜けさせても良いだろうか?
喩え、全てがHelの思うが儘とするのが、彼の役目であったとしても。
盲目的に従う大狼とは違うだろう。
‘狼を開放する。’
貴方は敢えて、どうしようもなく尊大過ぎて、掴みどころがない夢を、口にしてくださいました。
その願いを拒むために。
私は、何も貴方の前に立ち塞がる理由は無い。
けれど。
けれど…本当に、良いのか?
「……。」
「…通せま…せん。」
「貴方は……やっぱり…」
牙を剥かれた訳でも、睨みを効かされた訳でもない。
そもそも、彼を一切直視せずにそう口走ったのだから、失礼極まりない。
「ごっ、ごめんなさい…!Sirius、その…今のは…そんなつもりじゃっ…!」
ただ、自らの内に、答えを見出せなかったという理由だけで、何となく拒んで先延ばしにしようなどと言う、及び腰な姿勢からそう言ったのでもない。
どうして自分でも、彼の意志に刃向かうような素振りを見せたのか、分からなかった。
私は、誰よりも貴方のことを良く知っている訳では無いようです。
良くても、存命の内でも第2位ぐらいであると、たった今思い知らされた。
唯、それでも、もし私が貴方であったのなら。
そんな甘えた幻想が、まだ許されるのなら。
私の首から先に、もう一匹の狼が縫い付けられていると言うのなら。
こんな気がするのです。
失意の沼底の、それよりも深く、深くに沈み。
一体どれだけの時間を歩いたか分からない。
けれどもし突然、目の前に優しい神様が現れたとして。
別の世界から、再び舞い戻るような奇跡に恵まれたなら。
もう一度この森を走る機会が与えられたとしたら。
‘復讐’ に、費やすであろうと。
私だったら、の話です。
恐ろしいことに、そう考え至りました。
きっとあり得ないことです。
今ばかりは、私が貴方と遊離した存在でありそうなことに、安堵しております。
Garmの意志が、純粋な彼女への忠に基づくのであれば、貴方の覇道とは寧ろ獣道だ。
私だったら選んでいたかも知れない道が、間違っているとは言いません。
しかし、茨の道に違いないでしょう。
「そうか…」
「垣間見たのだな。」
Siriusは持ち前の洞察力によって、すぐさま俺の心の揺らぎを見抜く。
「恥じらうつもりも無いが、全て見てしまったということか?」
全てと言うのは、何処からどこまでのことを言うのだろう。
互いの間でそれは曖昧であるように思われたが、少なくとも、最も見せたくはあるまい過去を、俺とTeusは暴いてしまった。
この大狼が、群れと友の為に戦った悲劇を。
それ故に齎された亀裂という名の境界を。
「すっ、すみませんSiriusっ…!!こんな…とんでもない無礼をっ…!」
「構わん。主に喰らいつくされた時点で、それは織り込み済みというもの。」
「ですがっ…貴方はどうしても夢の中で、あの光景を私に見せたがらなかった……!!」
「当たり前だっ!!これ以上、主を悪夢に苛んでなるものかっ!!」
「っ…!?」
「ただでさえ、主が両親と引き裂かれる様を、幾度となく繰り返され。その上主に、我が抱えていたはずの者を奪われて見せるだとっ!?そんなことが、もし主を誤った方向へ突き動かすことになったら、我は主の傍で一体何度咽び泣けば良い?」
「Siriusっ……」
「良いか。我の最大の過ちは、決して主の糧にはならぬ!」
「我の影を追うのは勝手だが、それだけはよく覚えておけっ!!」
「うっ……う…ご、ごめんな、さ……」
「誰に向って謝っておるっ!?誰よりも主を傷つけた、己自信に詫びてこいっ!!」
「っ……」
「……。」
「…うわあああああああああああっ……」
「ごめんなざいぃっ……しりうすぅぅ……ごめんなさぃぃぃ…」
「びやああぁぁぁぁぁぁ……」
「……。」
一瞬で、彼の鬼の形相は瓦解する。
相当に委縮してしまっていたのに違いない。
気が付けば、尻をぺたんと地面につけ、両目の縁からは、うっすらと涙が滲んでいる。
「…しかし、打ち明けたくもあった。それも認めようぞ。」
「主は、優しいからな。」
「済まぬ…怖がらせるつもりは、毛頭なかった。」
子供の扱いは不得手であるのだ、彼は己を戒めるようにそう呟く。
幼稚だと看做されたようで不甲斐が無かったが、彼にとって自分がどのような存在であるのかを痛いほど知っているせいで、とても言い返せるものではない。
彼は恐る恐る、言葉の端々にまで棘を含まぬようにして尋ねる。
「感想など、聞きとうないが…」
「しかし追体験として、主の身体に刻み込まれてしまったのだな?」
「…我が失った、狼の群れと、友の話を。」
「う、うん……」
ひっく、ひっくと喉をしゃくり上げながら頷く。
そこは、はい、と返事をするものだろう。
俺は何故か退行し、Siriusの前で巨大な子供っぽくあろうとしてしまったのだ。
「ならば、話も早かろうと思うのだ。」
「はな、し…?」
どういう…意味です? Sirius。
「初めから、そう言えば良かったのかも知れぬ…。」
彼は、次に放つ言葉を、自分の中で、何度も何度も吟味し、そして俺に対して相応しいかどうかを自問自答し続けて来たに違いない。
遠慮がちではあったが。
それだけ、迷いというものが感じられなかったのだ。
「主は、まだ、招かれてくれるかのう…?」
「え……?」
彼に、両手が。いや、片手でもあったならば。
それをまっすぐ俺の方へと伸ばして、手の平を天へと広げていた。
おいで、と。
「主もまた、群れ仲間の招集に、呼応してもよいはずだ。」
「…加わるがよい。」
「我が群れの内の、一匹に。」