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124. 仲間に入れて?

124. Am I still invited?


何もかも、嘘であったかのような錯覚に身を委ねかける。

感動の再会なんて、初めから無かったのではないか。

俺は未だに、腐り果てた大狼の亡骸に寄り縋って泣くだけの仔狼で。

彼とは、夢と青の世界だけで会える、私が希った通りに振舞うだけの、都合の良い幻。


分からない。

ずっと一緒だった意志が、遊離してしまったようだ。

貴方が口にした決意も、何一つ分からない。


「Garm…?」


自分がそのように口走った理由も、何一つ。




その大狼の名を正確に呼ぶことに、左程の意味があるようには思えない。

しかし、俺は息を潜めて注視したのだ。


そう呼ばれるのがしっくりと来る。

そんな反応を、見逃したくない。


「……。」


けれども彼は、礼儀正しく俺から視線を逸らし、心地よい風に目を細めるばかり。


「貴方は…」


「‘越える’ のですか…?」


もう一度、あの領界を。


そう続けようとしたとき、俺はこの狼を何と呼ぶのが適当であるかを思い知らされた。

単に、そう口にして、印象を塗り替えたかっただけかも知れなかったけれど。


「Sirius…?」


彼は、夢の中でそう語りかけられたときと同じように、顔を僅かに傾けて、それから耳をぴんと弾く。


それでようやく、俺はSiriusの本質にあの大狼を見出したのではないと分かった。

彼は、Garmの内の一匹に、紛れもなく縫い付けられていたのだと、思い知らされる。




だから、帰って来た。




だから、

生き返った。




「……。」




「いけません。」




「だって……だって…Siriusは…」



上手く言葉を選べず、舌をしまい込んで口を噤む。

拒まれた、そう言いかけてしまって、それが正しくないと説得できるだけの過去に居合わせていないと思い知らされたからだ。



「もう…」



でもそれは、貴方が一番よく知っているでしょう?


ヴァナヘイムとは、狼に侵されぬ土地。

そこで、何をなさるおつもりなのです?


「もう、あの土地に…狼は、」


「貴方の友は、一匹もおりません。」




そうだろうか。

俺は、嘘を吐いているのだろうか。




「ああ、我が狼よ。」


「主は……」


「主は、我を喰らってくれた。」


「それ故、主は、あの狼のよう。」


……?


Siriusは口の端を歪め、それから笑うのを止める。


「そうであるとも。」


「主は、我の内の、幾らかをそれ故、共有しておる。違うかの?」


勿論、その通りだった。

片時も、私は貴方の存在を見失ったことはない。

ずっと一緒にいてくれた。


はじめは洞穴で、一匹で丸くなって眠るのが怖くて。

息絶えた貴方の冷たい毛皮の臭いを堪え、無理やり狼と一緒に眠る幻想に浸った。


狩りだって、初めは全然うまく行かなかったけれど。

貴方はいつだって私を導いてくれた。

視界の端で、木々の隙間を縫う陰を捕らえたような気がしたときは。

いつもSiriusが隣で歩いていると思うことにしていたんです。


遠吠えだって…少しは上手に、出来るようになりました。

本当なんです!

貴方に相応しい狼であるように、これだけは胸を張って努力してきたんだ!

貴方に届くまで、俺は吠え続けると!


でも…でも、今此処で、それを披露できる気がまるでしない。

また…喉が破けちゃったから。


女神様の涙だけでは、首元の百足を癒すのには足りない。

縫い合わせなくちゃ、こうして幾らでも古傷は開いてぐちゅぐちゅと疼く。


「縫合…体?」


確かに、私の中に、この大狼は生きている。

けれどもそれが、Garmの頭に縫い付けられた貴方と同じであると言われて、納得できるはずが無かった。


Garmの行動原理、オ嬢への比類なき愛情が、貴方の意志に基づいているように。

俺が抱えている捻くれた価値観、狼への羨望が、貴方から譲り受けているものだとしたら?


「う…う、あ…?」


だとしたら、抗えない。


俺は誰にも惑わされることなく、Garmと同じように、選択する。



「……。」



けれども、俺に何が分かると言うのだろう。


貴方が失った…群れを。

友を。

家族を。


「我は再び、赴かねばならぬ。」


「彼らの呼び声に、応えなければ。」



自分のことのように思える筈なのに。

どうして、貴方の意志を、自然と感じられない?


「主には、分かるまい。」


「恵まれた境遇とは、決して言わぬ。」


「しかし、幸せな大狼よ。」


「……。」


俯きたくなんてなかった。

今にも大粒の涙を零してしまいそうだったから。


でも、今の一言は、彼を直視できなくなるほどに、俺の自尊心を激しく傷つけた。


「…しあわ…せ?」


いつも、必ずこう考える。

自分が幸せであるかどうかを自らに問う時は、

今此処で、自らの命を繋ぎとめる鎖を、喰いちぎった後の数秒だと思うのだ。


つまりは、これから死に逝くまさにその数刻で。

己の一生のことを肯定できるか。


此処で終えても、大した後悔も浮かびはしないか。

それを上回る意志も燃えず、代わりに浮かぶ、一掴みの情景から目を離したくないと思うのなら。


そのまま、息絶えて良い。

俺は、幸せだったのだ。



線引きのようなものが、重要だったのです。

狼の牙に、この傷を撫でて貰うときは、いつも必ず、そのことをはっきりさせてからでないと。

とても怖くて、貴方に近づくことなんて出来ませんでした。



答えは、いつも同じでしたけれど。


真っ暗で、生きの出来ない時間の中で、

悔いたいことは幾らでもあった。

もっと、友達が欲しかった。

その為に、皆を怖がらせないようにお話は出来なかったのかな。

もっと、母さんと父さんに撫でて貰いたかった。

そのために、僕は、二人に甘えても許されたのかな。


もっと…貴方と一緒に、生きていたかった。

どれだけ悔やんで、心残りを叫んでも。

もう貴方にだけは、会うことが叶わない。



その後悔を越える意志なんて、少しも浮かんで気はしない。

もう、この森を出ようとは思えなかった。

人間の眼に触れるなんて、とんでも無かった。

細々と飢えを満たすだけの狩りを続ける日々に、段々と景色の色が褪せていく。


必死にかき集めた、幸せな記憶も、あるにはあった。

けれど、俺の悪い夢が、そんな場面をぐちゃぐちゃに塗り替えてしまう。

何度良い夢に浸されようと居心地の良い藁を敷き詰めても。

必ずあの光景に、引き戻される。


二人は俺から引き離され。

貴方は俺に牙を突き立てられた。




疑いようも無く、私は幸せでは無かったのです。




それなのに、私はこの場で。

同じように、答えることが出来るでしょうか。


ちゃんと悔いることがあって。

泥の中に溺れまいと抗う意思があって。

幸せな景色から、目を離さずに微笑んでいられるかと。


「うっ…うぅ……」



「シリウッ…ス…」


嫌だっ…なんで…

なんで、同じ意志を宿している筈なのに。

貴方が、私と違う狼として、映るのですか?


私に、許されて良いはずが無いのに。

貴方よりも、幸せな狼に成り果ててしまうだなんて…


それ故、相対してしまうなんて。



こんなの、有り得ない。



「主に、止められてなるものか。」


「そうであろうとも。

主との対峙など、到底、耐えられるものでは無かったのだ。」


「頼む。その男が辿り着くより前に、通してくれ。」


その言葉は余りにも大きすぎた。




「必ず、迎えに行く。」




「諦めぬ。」




「我は、’狼’ を…」




「主を、我が狼を。」




「…開放するのだ。」


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