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123. 風が撫ぜる

123. Zephyr Brushing


「…無論、そのつもりであるとも。」


主よ、我が狼よ。

そう先に口を開いたのは、Siriusの方だった。


「初めから、揺らぐつもりは無い。」


初めから…?


「それが、彼女の願いであるのだから。」


「え……。」


期待を込めて、頬を赤らめていただけの俺は、なんとも間抜けな声を上げた。

はっとして、Teusに落していた視線を彼の方へ上げる。


「シリウ……ス?」


倒錯ならば、どれ程良かったことか。

無情にもそこには、変わらず俺が敬愛した大狼の姿があった。



「シリウス…?」


まるで、それ以外の名を忘れた風に装ってしまう。

もう一匹の名前を呼んだ時の、彼の反応を見るのが堪らなく怖かったからだ。

記憶を失ったのは、俺の方と言うことにしてはどうだろうか。



貴方がこの世界で、地獄の番狼の名を与えられた狼として振舞っていた頃の記憶を有していないのは、分かっています。


だって…そうでなければ、態々私を魅惑的に誘い、共に駆けっこをしようなどとは言わなかっただろうから。

ヨルムンガンドの存在を、貴方は知覚していなかった。そうですよね?

貴方が降り立った森は、私がずっと守り続けてきたままで、変わらないと信じて下さっていた。

彼を微睡みから呼び覚ます様な失態を犯したのも、この世界の崩壊に居合わせていなかったからに違いありません。


いえ、責めようなんてとんでもない。

埋め合わせのつもりも無いのでしょうが。二度も私たちを窮地から救ったのは、他でもない貴方です。



にも拘わらず、彼は覚えていたのだ。


あの狼は…


確かに、そう口にしていた。




「…済まない。」


「こんな狼の、ただ一度の我が儘を…」


「彼女は、叶えてくれると言うのだ。」



…叶える?


こんな狼とは、

誰のこと、ですか?

それを濁されたような気がして、俺はいよいよ膝が震えて尻尾が垂れる。


「Sirius…貴方は、どう…したいのですか?」


「その…恐い、です。」


完全に動揺してしまった俺は、しどろもどろになって…彼に失礼な物言いをしてしまった気がする。


彼の瞳の中に、まだあの大狼の意志が宿っているかを確かめたいのに。

Siriusのことを、直視できない。




「……。」




「ふっふっふっ……」



「ふふふっ……はっはっは……!」



「はぁっ…はぁっ…あぁ…」



……!?



それは、紛れもなくSiriusの高らかで上機嫌な笑い方であったけれど。

突如漏れ出した不敵な笑みに、心臓が止まりそうになる。


ま、待って…

眉間に皺が寄せてはならない。牙を剥いてはならないと必死に言い聞かせる。


「シッ、シリウス……?」


どんっ……


「わぅっ……!?」


情けない声を上げ、あっさりと視界は傾く。

別に、Siriusは持ち前の俊敏性を見せた訳では無かった。

ただ俺が、仲間の誘いとしての戯れのタックルに、完全に無防備であっただけのこと。


だが満身創痍の俺は、仔狼の遊び相手にさえ、今はしてやれそうにない。




Siriusは、俺の胴の毛皮に向ってぐりぐりと頭を押し付ける。


「な、なにするんですっ…か?」


不意を突かれたことよりも、その感触が、あの狼のそれと酷似していることが俺を激しく揺さぶる。

余りにも力なくて、嬉しそうだったのだ。


どさっ…!!


「うっ……」


遂にはTeusの上に拘束用にと乗せておいた前足さえも離れ、俺はとうとう押し倒されてしまう。


あれだけの死闘を生き残っておきながら、ちょっと脇腹を突かれただけでこの様だ。

ヨルムンガンドに果敢に立ち向かっていたのは、ただ図体のでかい張りぼてであったという訳だ。

もう筋肉ががちがちに固まって、尻尾を駆使してもバランスを保っていられない。



そんなひ弱な獣への追い打ちなど、狼にとっては造作もない。

彼は獲物をしとめてしまおうと、横たわった俺の腿の毛皮を舐め、切り傷に沿って舌を這わせた。


「やっ…やめてぇっ……!!」


牙が触れ、全身の毛皮がぞわりと逆立つ。


「ぎゃうぅっ……!?」


甘噛みにさえも過剰反応し、びくりと身体が跳ね上がった。

つい先までのTeusのように、俺は大きな前脚から逃れようと暴れ、身体を海老のように反らせて固まる。


「じっとしておれ…我慢するのだ。」


コキンッ…


「ひぎゃあぁっ!!」


子気味の良い音がして、俺の右後脚の膝関節が嵌る。

ひょっとして…転んだ時の怪我を、治してくれたのですか?


「あ、ありがとうございます…」


「手荒であったか?主よ、痛かったな。」


「いえ…そんなに、痛くなかったです。」


すみません。つい、声が…。


「ゆっくり立てよ。外傷はそれほどでなくとも、腱が傷ついているやも知れぬ。」


「こっ、これくらい、平気ですっ…!」


俺は先までの情けない哭き声を撤回しようと、ここぞとばかりに明るい声を張りあげる。

勿体ぶった大狼の所作も忘れ、丸くなって患部を舐めると、すぐさま立ち上がれることを示そうとする。




「うむ。主ならきっと…大丈夫であろう。」



その時に見上げた貴方の顔を、私は一生忘れない。



(ナイス)(ラン)り、であった。」




「っ……!」



自分からは、決して肯定などしなかっただろう。


それは、俺が貴方に掛けて貰えると、期待すらしていなかった。

望外の褒め言葉だったから。


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