122. 薄幸の家族 2
122.2 Happy Home 2
Siriusは決して、自分の背中に他人を乗せたくは無かったようだ。
それが許されるのは、狼に育てられた少女達のみ。
少なくとも、Teusがそうして貰って良いはずが無かったのだ。
この期に及んで、大狼は辛抱強い。
真っ先にこいつを押し倒し、胸元に肉球を押し付けて牙をぐいと近づけ。
手段を択ばぬ尋問によって、Helへの仕打ちを洗い浚い吐かせても良かったはずなのに。
なんなら、とある神話に倣って、贄として蛇に差し出すことだって許された。
口元に放り投げるのなんて、訳ないでしょう?
貴方はきっと、こいつのことが気に喰わなくて、堪らないはずだ。
それなのに、ぐっと堪えた。
間一髪のところで、迷いなくTeusを攫い、救ったのだ。
貴方は、Helの為なら鬼にでもなるだろう。
拷問に邪魔が入ると、手元が狂うから?
…それとも、俺のため、なのですか?
「後は、任せたぞ。」
「……?」
しかし、俺の期待とは裏腹に、彼は狼として最も相応しい。
Siriusは口元に垂れ下がり、仔狼のように大人しいTeusをそっと地面に降ろす。
「え……?」
首を振りながら数歩退き、鼻をふすんと鳴らし、俺からさえも視線を逸らす。
主のように、この神様がどのようにしようと静観すること、賛同しよう。
彼女が姿を消した今、目の前の怪物に対処できるのは、こやつしかおるまい。
それを渋々ながらに認めたのだ。
「……あ、あの…。」
「ありがとう…ございます。」
「ふん……」
貴重なツーショットは、そこまでのようだ。
Teusは震える声でそう呟くと、息が苦しかったのか、引っ張り上げられたマントの留め具を首元からずり下げた。
「ああ。その……よく来たね。」
自分に期待された役割を理解しているのか、その神は鎌首を高々と掲げたヨルムンガンドに対峙した。
「君を、待ってた。気がする。」
「なんてね……。でも、会えてよかったよ。」
彼は此処でも、言語の壁を乗り越えるような真似をしてみせた。
Skaに気さくに話しかける様子をずっと見てきたが、狼であろうと無かろうと、関係はないのか。
地上の人々と冷たく触れ合って来た分、お前は殊更人外に対して慈愛の眼差しを注いだ。
どうして、それをGarmに、向けてやれなかったのだ…?
お前は狼が好きなのか、憎いのか?
段々分からなくなって、俺はお前が教えてくれた愛情も、そういうものだと思ってしまいそうだ。
「Teus…?」
彼の言葉が伝わっているようには思えなかったのは、恐らく蛇の表情が紡ぐ機微に疎いからに違いない。
「良いから。」
俺は運の溺愛を受けたこの神様が、いとも簡単にこの大蛇を屠るものだとばかり思っていた。
愚かにも神に盾突き、牙を剥いて襲い掛かった次の瞬間。
何の前触れもなく、舞い降りしルーン綴りの鉄槌が、蛇の脳天を貫くのだろう。
ヨルムンガンドはのたうち回ることさえも出来ない程に、数多もの大剣で磔にされる。
地に伏し、口を開くことも叶わなくなった無抵抗な怪物に向って、
あいつは躊躇いもなく銃を放つのだ。
俺は、成す術もなく神の行いを見守るだけ。
辛うじて立ってこそいるが、それは変わらなかった。
Teusの暗い表情を見ていると。
弱いとは、こんなにも罪深いことのように思えてくる。
…止めに入ろうか。
身を挺しても、彼は助かるまいが。
それでも、そんな気を起こしそうになった程だ。
命を救われた身ではありながら、TeusがGarmをあんな風に痛めつけたこと、俺は許していない。
当然だ。
俺を救うために、彼は殺されるべきでは無かった。
今でもそう、本気で思っているし。
助けてくれてありがとうと伝えながらも。
Teusに向って、平気でそのような言葉を口にするだろう。
もし再びあの惨劇を目にすることになると言うのなら、俺は今度こそ、Teusに対して心を閉ざしてしまうと思った。
決して、その怒りが俺に向けられる日が来るかも知れなくて恐ろしいからではない。
いよいよ彼の愚行に、軽蔑の色を濃くするからでもない。
Teusが自分自身の心を殺してしまうこと、引き金を引くことに躊躇いが無くなるその瞬間に、俺が居合わせるのが、堪らなく友達として恥ずべきことだと思ったからだ。
「さあ……おいで。」
Teusは右手を怪物に向って伸ばし、弱々しく語り掛ける。
まるで、俺に向って話しかけてくれているようで、脳が揺れた。
「……!?」
そして恐るべきことが起こった。
ヨルムンガンドが、明らかな反応を示したのだ。
Teusが導く通り、鼻先を恐る恐る手のひらに近づける。
俺がお前のそれに、頬の毛皮を撫でさせるのに似ているだろうか。
…どうして、それができる?
お前のこと、俺はやっぱり少しも分かっていないんだな。
その力の強さを、誰よりも良く知っているだけなんだ。
大蛇は心なしか目を細め、それから窄めた口から二股の舌を漏らすと、それで神様の顔を粘液で塗りたくる。
俺はお前に、そんなことをしない。
Skaが躊躇いも無く愛情を示すようにして、お前に舌先を近づけるなど。
許されざるべき行為だ。
お前を間違いなく、恐がらせる。
「分かるだろう?俺のこと。」
……?
分かる、とは。
どいういうことだ。
「もう、終わったんだよ。」
「遅かった。」
え……?
「ごめんね。」
「ごめん。ほんとにごめん……」
「君は、食べ頃を逃したんだよ。」
Teus?
な、何を……?
何を言っているんだ?
「おい、Teus……」
「分かるだろう?」
「もう俺は、腐ってる。」
……?
腐っ…た…?
「……。」
「もう俺の中に、君が望んだ血は、流れてなんかいない。」
君に、この身体を。
食べさせてやることは、もうできないんだ。