121. 才能の限界 4
121. Breaking Point 4
ああ、やっぱりだ。
物事は、必ず私のやった通りにはならない。
幾ら死力を尽くして喰らいつこうと、到底あなたの走りには及ばない。
負けてしまう。そう何度も口にしてきたけれど。諦めこそ、しなかった。
でも、そんな粘り、一秒も遅れを取り戻す役には立たない。
けれど、私の思った通りになるのですね。
“フゥッ……!!”
貴方は、私の期待した通りに、最高の狼です。
来たっ……!!
Siriusは遂に、俺を抜き去る体制に入った。
案の定、僅かな差で速いだけであるのだが、追い付くのには致命的な力の差であった。
俺は持てる力を、その差を埋めるのに費やせない。
“うぅっ…う゛ぅっ…う゛ぅっ…うあ゛ぁっ…!!”
視界から隣の狼が、ぎりぎり見えなくなるぐらいまで先行する。
その時だった。
……!!
見えたのだ。
あの、青白い煙が。
満月の夜に照らされた、狼の毛皮の先端が。
己の世界から、俺のことを遂に外してしまえたことで。
彼は再び、あの毛皮を纏った。
“っ……!!”
彼だけが、風の抵抗を失ったかのよう。
抗うことで堰き止めていた差の開きが、一気に大きくなる。
ああ、素晴らしい。
本当に、かっこいいです。
俺、よくわかりました。
やっぱり、幼い頃の考え方は、冬毛のようには、簡単に脱ぎ捨てることは出来ない。
私は、貴方のように。
Siriusのように、なりたいんです。
“フゥッ…ウゥッ…フゥッ…!!”
最初にぴったりと合わさったのは、呼吸だった。
続いて、脚を運ぶための、胴体のうねりが、一致する。
とんでもない筋肉の操り方だ。
背骨から、全部剥がれて飛んで行ってしまいそう。
そして、体幹に従い骨格の動きから生み出される、四肢の接地。
貴方の走りは、地面からの反力を垂直に受け取るタイプじゃない。
俺も、それが上手く出来なかったから、分るんです。
だから、地面を這うような足の運びで、重力を前進に変換することで、補ってきた。
代わりに、地面の僅かな凹凸にも対応できて、オフロードでは、有利に働きますよね。
狼にとっては、寧ろ適した走りの選択であるのかも知れない。
Sirius、貴方はどう思いますか?
そんなことを話しながら、一緒に並んで走りたかった。
もう、憧れの貴方の走りの価値観について、ずっと考えてきたから。
オタクみたいなものなのでしょうか。
ええ。それでは、模倣に過ぎない。
僅かに、私という不純物が、混ざっている。
それは例えば、怠惰で、臆病で、泣き虫で、怪物の血が流れていて。
本が好きで、甘党で、焚火をぼんやりと眺めるのが好きで。
人間なんかと、いらぬ友情を育んだりなんかして。
でも、それが。
この瞬間の為にあるのだとしたら?
あらゆる点に於いて同一であったお互いが戦った時。
貴方を超える為の、ただ一つの差であるとしたら?
“はははっ……あははっ……”
Sirius。
俺は、入門したんだ。
大狼の世界に。
これでようやく、対等と言ったところでしょうか。
彼の思想の体現が、思い描いた通りに。
尻尾の先まで、満たされたとき。
奇跡は、起こった。
“……!?”
目の端から、光が溢れる。
“な、んだ、と……?”
隣に、Siriusは走っていた。
彼の青白い煙が、僅かに薄まるのを感じる。
そして、
抜いたのだ。
彼を、再び、追い抜いた。
真っ向勝負で、堂々と。
羨望の狼に、速度で勝った。
“や、やった……”
やった!やったんだ!!
俺が、Siriusの背中を追い越したんだっ!!
本当に、本当に全力の狼を、
一瞬だけでも、超えたんだ!!
お、俺は…狼になれたんだっ!!
そう実感したのも束の間。
“……っ!?”
俺はあっという間に、青の世界からはじき出されてしまう。
リミットを遥かに超えた回転数による負荷が、生身の身体に襲いかかる。
“あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ……!!あ゛あ゛っ……!!”
最後には、息が出来ない。
“う゛あ゛あ゛っ!!……う゛あ゛あ゛っ!!”
維持することすら、一秒も叶わない。
“フェンリルッーーーーーーー!!”
背後で、誰かの叫び声が聞こえる。
その瞬間に、完全に足は止まった。
身体が強張り、良く分からない夢中で藻掻く。
“……うぅっ!?”
目の前に、開けた灰沼が見えた時。
“うああああああーーーーーーーーーーーっっ!!!??”
ガコンッ……
…!?
変な音と共に、俺は遂に転倒する。
沼に頭から突っ込み、四肢を投げ出して胴を痛いほどに擦り、何回転かも分からぬほどに景色を入れ替えて。
そのまま、茂みの向こうまで、大木をなぎ倒しながら滑っていく。
ドガッガガガ……!!ガガガーッ…ガァァッッッ……!!
止まらない、止まれない!
脳天を何度も障害物に叩かれ、火花が脳裏で弾け飛ぶ。
ようやく身体を殴る感覚が無くなったか、そう感じて瞳を開くと。
俺はまだ、スピードを失うことなく頭から滑っていた。
そして、その視界の先。
あの巨大な亀裂を孕んだ地平へと出たのだ。
その淵に、誰かが立っている。
そして、半歩進んだのだ。
そいつは、口元を抑え、何かを呟く。
“…ィア……?”
“リフィア……なのか?”
……?
その名を持つ者が、この世界に生きていただろうかと考える間もなく。
崖の淵から、巨大な白壁が立ちはだかる。
「ティウゥゥッゥゥッゥゥゥゥゥーーーーーーー-ッッッ!!!!」
力の限り叫ぶも、もう手遅れだった。
どうやら、俺と競争していたのは、大狼だけではなかったらしい。