119.才能の試練 4
119. Test of Talents 4
猛省に尻尾をしょげ返らせるのは、後だ。
一秒でも速く、折り返しを加速して茂みを超え、獣道に飛び込むことだけを考えろ。
僅かに意識を今から逸らしただけで、勝負の内容は、悲惨なものになることを俺は確信した。
Siriusがもし、話にならぬと試合を投げ出すようなことがあれば。
彼の失望が、自分の価値をどれだけ貶めるだろうか。
そう思うと、怖くて堪らない。
捨てろ。振り切るんだ。
でないと俺は、平凡な狼としてさえ、振舞えない。
集中しろ。
これは狩りの時間ではないが、贅沢な遊び相手をして貰えているということを忘れるな。
そう決意を改め、大木越しに、Siriusはどの辺りを走っているだろうかと視線を送った矢先だった。
「なっ……!?」
早速、出鼻を挫かれてしまう。
先までの後悔は役に立たぬという戒めも、あっという間に薄れ、決意が揺らぐ。
Siriusが通って来た側面の樹皮に、傷が付けられているのに気が付いたのだ。
進路を妨げる方向に、爪の引っ掻いた跡が、大きく4本。
俺と同じくオーバースピードで突っ込みながら、完璧にコーナーを回って見せた。
これが、種明かしだったのだ。
Siriusは、減速の為に滑る地面以外までも利用した。
側面を擦ってはならない、などと言うルールは無い。
自然のあらゆる地形を瞬時に利用してこそ、野生の狩人。
互いに自滅の道を選んだように見せかけて、まんまと出し抜かれたという訳か。
「やられたっ……」
だがしかし、運の神様は俺を完全には見捨てることをしなかったのだ。
きっと、これは見ものだと微笑んでいる。
その価値が、俺の下らぬ悪あがきにはあったのだと思う。
「ちぃっ…」
「……?」
小さな舌打ちが、古木の向こう側で聞こえた。
直ぐに、何が起きたか分かった。
Siriusの後ろ脚が、スリップしたのだ。
意図せず犯した失態が、偶然にも活きた。
俺が必死で突き刺した四肢が、泥溜まりを見かけよりも大きく掘っていたのだ。
相手が来た道をもう一度通る以上、泥水に埋まった堀跡に気を付けなくてはとは警戒していたが。
勿論彼もそれは承知していただろう。
不覚を取ったのでは無いが、想定よりもぐちゃぐちゃになっていた為、僅かに回転が空回った。
ごめんなさい。手際が悪いばっかりに。
別に、足を引っ張って貶めてやろうという気は毛頭なかった。
「やるなっ……」
だが、Siriusがそう呟いた時に、これは相手を想定したささやかな布石だったと思うことにした。
ダダダ…ダダダッッ……
結果として、俺たちは殆ど同時に獣道へと合流を果たす。
しかし、このコースは二車線という訳には行かない。
そもそも、俺達のような大狼が通ることのできる時点で、森の中に非常に大きな通り道が設けられていると思ってくれてよい。
二人の神様が両手を広げて歩けるほどの幅を、毛皮が枝気に僅かに触れるぎりぎりの狭さで通り抜ける。
とても並走が叶うような道ではないのだ。
そんなにも開けた獣道は、この森に存在しない。
つまりは、どちらかが必ず先にコースインを果たさなくてはならない。
「……!!」
俺は、スピードを僅かに落とした。
鼻の先一個分だが、Siriusの方が並んだ瞬間に前にいた。
これは、俺が後から入って、追う形をとらなくてはならない。
無理に最後まで張り合って、余計な接触をすれば、四肢が絡み合い、それこそ事故になりかねない。
こちらからラフなプレイをする道理はない、紳士的な戦いを、飽くまで貫く。
Siriusも、俺のサインを読み取ったのだろう。
会釈などする余裕はないが、静かに中央へと寄り、俺に尻尾を完全に向けてから、再び加速する。
Teusの元まで、およそ8㎞。
ものの数分で決着は着くだろう。
此処からは、小手先など通用しない。
真に狼としての実力のみの世界になる。
だが、ものは考えようではないだろうか。
後手に回る方が基本的に不利だと分かってはいても、俺はSiriusを追いかける側の方が、自身の力を発揮できるような気がした。
路面に惑わされやすく、相手のどんな揺さぶりにも反応しなければならない点は、確かに大きい。
それがSiriusであるなら、至難の業と言って過言では無かった。
もう既に、突然眼下に現れる、彼の残した小さな段差に、ベストな肉球の接地をずらされている。
その遅れを取り戻そうと使った力は、確実に蓄積して、後々に響いて来るだろう。
しかし決して、悪いことばかりではないのだ。
風除けとするには余りにも蛇行が続くものの、長距離走を引っ張ってもらえるというのは、精神的に余計な力を使わずに済む。
相手を牽制しつつの速度制御に、気を使わなくて良い。
序盤に油断をすれば、速度は落ちるどころか、寧ろ出過ぎる。調子が良いときには、特にそうだ。
最後まで走り切ってこそのレースだ。オーバーペースは、Siriusと言えど致命傷になる。
逆にこちらは、着いていくことだけを暫くは考えていれば良い。
Siriusに実力で劣るならば、このアドバンテージは取るに足らないが、もしそうでなければ、最後の数秒の出し切りに寄与する可能性も、無くは無い。
そう、完全に不利ではあっても。
何処かで攻守を、逆転できれば…
刺せる。
逃げ切る側に転じた途端、先行するデメリットが効いて来る。
そして現に走っていて、いけると感じていた。
今の俺は最高の状態、それ以上を、発揮させて貰えていたから。
常に立たされてきた苦境を乗り越える為の想定とは、貴方の尻尾目掛けて、ただひたすらに食らいつくことだった。
俺は怠惰な狼で、すぐにペースを保つのを諦めてしまおうとするから。
目の前が真っ暗になる前に、群れ仲間に置いて行かれぬよう、踏ん張れたのだ。
冬の幻に、貴方が霞んで、消えてしまわぬよう。
「Sirius……!!」
「俺は絶対に、もう貴方を見失いません!」
「ああ……主よ。」
「ついて…これるか…?」
最大の争点を終えて、尚未だ勝負は、着いていない。