119.才能の試練 3
119. Test of Talents 3
初動が、重要なのだ。
互いがスピードに乗ろうと、体力を削ってでも四肢の回転を上げる。
多少躍起になっていても良い。
同時のタイミングで、段速の切り替えで僅かに加速が緩む。
その合間を縫って、息継ぎをしながら、遊び相手の様子を窺う所まで一緒だ。
余裕度は、どうだ。
走り出して浮き彫りになった疲労に、ビビッてはいないか。
それから、また呼吸も忘れるほどに、加速する。
三度繰り返してトップスピードに達したとき、
やはりと言うべきか。
二匹の大狼は、並んでいた。
「……あぁっ…あっ…はぁっ……!!」
あの大樹を、どれだけ素早く折り返せるか。
この勝負の行方は、殆どその一点にかかっていた。
目を瞑っても明瞭な獣道に、いち早く飛び込んだ方が、先手を取れる。
それだけじゃない。後を追う狼に、揺さぶりを掛けられるのだ。
いつ、加速されて、距離を開けられるか。
前方不注意による、予想だにしない路面の刺客に反応しきれるか。
その恐怖と戦いながらの、決死の追跡を強いられる。
恐らくその戦いに持ち込まれたら……勝てない。
自分のすべてを見透かして、獣道から追っ手を弾きだそうとしてくるだろう。
Garmとの死闘で、俺は嫌と言うほど思い知らされた。
この狼に、俺の企みは全てお見通しだ。
真に一対一で戦ったならば、彼の言葉に耳を傾けた時点で、影響されて、自滅している。
俺だけが隠し弾を秘めていたのであれば、恐らく通用していない。
神のご加護さえなければ、俺はあっさりと彼の一部になれたのに。
そんな彼の一歩一歩が、俺を挫く布石であると言うのなら。
まず半周で、差が付く。
それだけは、絶対に阻止しなくてはならない。
勝てないかも知れないけれど。
せめて、終盤戦までは互角を保っていたい。
胸を借りつつ、張り合ってみたい。
夢の舞台だ。
貴方と走るだなんて。
古木の赤く苔蒸した表皮が、ぐいぐいと視界に近づいて来る。
さあ、どうする? Sirius ?
そして私が貴方なら、どうする?
俺たちは、無謀なチキンレースを仕掛け合っていた。
彼より先に大木を鼻先が超えれば良いという訳ではない。
あの目印は、ゴールではない。スタートラインに過ぎないのだ。
如何に早く、あの大木を回って進路を変えられるか。
Siriusならば、右回りに。
俺なら左から回って。
相手より先に、獣道に足跡を付ける。
その為には。
何処かで、スピードを緩めなくてはならない。
先にスピードを落とした方が、大木の裏での旋回に於いてコースを譲ることになる。
臆病が祟って、コーナーをのんびりと曲がってみろ。下手をすれば、そのまま負けに直結する。
だがもし、相手より後に減速することだけを考えてみればどうなるか。
俺と貴方の強固な狼の爪をもってしても、この地面は捉えきれない。
結局、大きくカーブを膨らんで周り、タイムロス。利口な狼が遥か先を走る。
さあ、まだか…?
まだ、まだ落とさないのか?
そろそろ、じゃないのか?
バシャバシャ……ダダダッ…ダダンダーン…
視線を相手に逸らす余裕も、あっという間に消え去って後方の景色と共に流れて消える。
かなり、ぎりぎりだぞ…?
げ、限界だ…もう…
もう、落とすぞっ…?
ドドドドッッ……
Siriusっ……!?
バシュッ……
このままじゃっ…!!
「……っ!!」
曲がった!!
彼が前脚でハンドルを切り、前方に体重を乗せてブレーキを踏んだのが分かった。
ズシュッーーーーー!!
殆ど同時に、いや僅かに遅れて俺も同じ命令を身体に送る。
やられた、と思った。
俺との一瞬の駆け引きを楽しんでいたのかは分からない。
しかし、Sirius自身の中に、此処でブレーキを掛けるというタイミングはあった。
そして、そのタイミングを彼が敢えて堂々と通過したのが分かった。
俺には分かった。此処じゃないのか、と。
彼は間違いなく、俺が速度を落とそうかと動揺し、逡巡したタイミングに、合わせてきたのだ。
つまりは、二匹ともが向こう見ず。
オーバースピードのままにターニングポイントに差し掛かったのだ。
ズザザザザザッッーーーーー!!
右手で同じように前足を開いて減速する彼の姿が、大木の影に隠れていくのを見送る。
木の根に引っかからぬよう、所々で足を浮かせながら、しかしなるべく接地を続けた。
少しでも、ブレーキの利く時間を長くして、古樹の裏手に回りたい。
問題は、次の瞬間。
互いが互いを見とめるのは同時だ。
どちらが先に、速度をゼロに出来るか。
どちらが、インを取れるか。
「……っ!!」
Siriusの鼻先が見えた。
つまり、俺のそれも、彼の視界に現れたのだ。
さあ、どうだっ!!
ズザザザザザァァァァーーーーーーー-ッ!!
二匹は殆ど進路と直角に身体を向け、四肢を巧みに操りドリフトを披露する。
泥濘んだ路面だからこそ出来たハンドル捌きだ。
半ば滑っている状態であれば、爪を立てることが得策でないと瞬時に判断し、尻尾で転ばぬぎりぎりの姿勢を維持する。
「なにっ……!!」
しかし、その結果は致命的な僅差を生んでいたのだ。
僅かに、狼が一匹分。
彼と毛皮が擦れあうぎりぎりの差で、俺たちは折り返して逆側に曲がった。
身体の右側が、ぞわりとする。
熱い。
Siriusが身に纏っていた熱気で、火傷しそうだ。
再び大木の裏から颯爽と飛び出すまで、さようならだ。
逆コースへと入り、俺たちは再び四肢をがむしゃらに動かして沼の上を加速する。
俺は半ば、躍起になっていた。
間に合うか?
この一匹分のコーナーの差を。
俺はこれから、埋め合わせることができるか…?