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119.才能の試練 2

119. Test of Talents 2


「この森は、変わらないのう…。」


彼もまた、吸い込んだその息は感情の昂ぶりで震えていた。

澄みつつある空気は、いつだって望郷の想いを秘めた胸に染み入る。


「如何にも、春は終わらぬといった冷たさだ。


どうしてだろうか。あらゆる木立に、見覚えがある。

それ故、あの枯れ木は朽ち倒れたかとか。こんなにもあいつは大きくなりおったかとか。

そう言った些細が真新しくて眩しい。


ああ、そうでなくとも。記憶を回収するのに、この景色は我を翻弄し過ぎるのだ。」


人間を真似てか、そんな叙述に赴きを凝らそうとする様子に、やはり俺は見覚えがあって。

俺は何度もこの狼に危うい倒錯に身を委ねそうになる。


「しかし、これ程に河川が氾濫する大雨は、いつ以来であろうか。」


彼は水浸しになった足元を除き込み、泥濘んだ底を少しだけ掻いた。


「なあ、主よ。我が狼よ。」


Siriusは声高に、謳うように誘う。


「主を、誘いたい。一つ、付き合ってはくれぬか。」




「な、な、なんでしょう……か?」

Fenrirは背筋をぴんと伸ばして、緊張した面持ちでお座りの姿勢をしていたのだが、それはまるで出会ったばかりの頃のSkaのようで、酷く落ち着きが無い。

命令を待っている、というよりは、身の解き方を忘れてしまった様子だった。

自分ではどうしようもないから、相手から和らげてくれるのを、心の何処かで望んでいる感じ。


張り合うつもりは微塵もなかったけれど、俺はFenrirの機微を即座に読み取ってから、もう一匹の大狼の方を見た。


「ああ、見せて貰いたいのだ。」


「……?」


「主は…、主は、そうだな。」


「実に…大きくなった。」


どれほどの、成長を遂げたのだろうなあ。

これはひょっとすると、我が仔のそれを喜ぶのに、似ておるのだろうか?

それは、我には想像もつかぬ。


しかし、主という写し身の主観としてではなく。

我は一匹の狼として、其方のあらゆる仕草を見たい。確かめたい。


そんな、老狼の我が儘が、赦されるか?


「主よ…血肉が、溌溂としておるのだ。」


彼は前足を交互に踏むと、それから首を一度振って、狼らしく誘う。




「見せてくれ、主が志した、狼の完成を。」




「……?」




「そうだな…」




「‘駆けっこ’ が、きっと良い。」




Fenrirは一度大きく瞬きをすると、Siriusを凝視したまま、ゆっくりと立ち上がる。




……?




どういうことだろう。


人間の自分には、二匹の間に疎通が為されたことしか分からない。

自分も居合わせた一匹になったつもりで、全身の感覚を張り巡らせてみる。


Fenrirの尾が、ゆっくりと持ち上がったのが分かった。

目の端で捉えたのでは無かった。水滴が、滴り落ちたのを、耳にしたのでもなかった。


けれども、彼の機嫌というか、別の表現から、それを感じ取ったのだと思った。

一瞬だけ、俺は狼になったのかもしれない。



何かが、始まろうとしている。

彼らなら、何処に力を込めるだろう?


次の瞬間に置いて行かれぬよう、瞬きだけはしてはならない。



ポチャ……



「……っ!?」



しかし、無駄なことだった。

彼らの像が、一瞬だけ煙を纏ったかなと見えた刹那。



ドドドドッ……!!


強烈な衝撃に吹き飛ばされ、俺は頭から沼の中に突っ込んで転がる。



「Fenrir……?」



慌てて起き上がり、顔の泥を拭うも。



「Sirius……?」




既に周囲は、静まり返っていた。




いや、耳を澄ませば、辛うじて観客となれる。




過酷な狼同士の耐久レースは、既に号砲を鳴らしていたのだ。







――――――――――――――――――――――――――――――







“はぁっ……はぁっっ…!!はああぁっ…!!”



この勝負の目的を、読み取る暇も無かった。

いや、そんなものは無かった。


全身が、命令を放つ。



彼と遊べ。

彼に勝れと。




我に、ついて来れるか?

そして、その上を問うている。


我を、追い越せるか?




遊びの誘いは、群れの日常において、いつだって唐突だ。

(けしか)けられたが最後、身体はもう、言うことを聞かない。




この期に及んで、俺は正確な燃料の把握を強いられることになった。

限界を超えるとか、聞こえは良いかもしれないけれど。

長距離を走るのに、無謀な真似をしていては、狼の名が廃る。


エンジンブローだけはいけない。

途中で力尽きるような無様な真似だけは、許されないのだ。


そうは言っても、守りに入って勝てるほど、楽な勝負でもない。




何せ相手は…

狩りの最高峰を謳われた、北欧神話で最高の狼。


それを一匹で操った、中枢の意志。




残り体力は…数値的には、6割と言ったところでしょうか。

もう、尽きかけていたのですが、貴方が回復させてくれました。


Sirius、貴方も同じぐらいの疲労度なのでしょう。

Garmの繭から抜け出して、あの娘に幾らかの元気を貰ったのですね。


要は、互角ということです。

差はきっと、資質の他に生まれない。




“コースは、分かるなっ!?”

“ええっ…!!”


先まで追いかけながら一周してきた、あの獣道だ。

それを速く駆けて、Teusの元へ戻ったほうの勝ち。


スタートラインは、あの古木。

あれを折り返して、脇を通る獣道に合流する。


そうですね、私の狼よ?

つまりは、もう始まっていると。


“流石だなっ…!”


耳が風を切る音に混じり、心底楽しそうに弾む声がする。


“健闘を、祈っておる。”


“貴方も…!”



緊張する暇も、ありませんでした。

というか、予告されていたら、ガチガチに固まって、転んでいたかも。


最高のパフォーマンスをしなきゃって。



一生の内に、何回かは、自分を最高の状態にしておかなければならない日と言うのがあって。

それがきっと、今日なんだ。




今だけは、貴方の前だけでは、喩え虚栄と言われようとも、私は完璧でなければならないのです。




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