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119. 才能の試練

119.Test of Talents


彼の言うことだけは、ちゃんと聞かなくては。

Fenrirは涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにしながらも、その気概だけは直ちに示した。


ただ、彼は長時間狼らしからぬ姿勢をとっていたためか、身体の動かし方を完全に忘れてしまっているらしかった。

まるで、先まで外套にひっつきじっとしていた虫が、突然地面に振り落とされ、暫く手足をバタバタさせながら藻掻くような要領の悪さを見せる。

なんとか身を捩って腹ばいになるも、弱り切った毛皮の泥を振り払おうともしない。

それからぎゅっと目を瞑って、恐るおそる大狼の顔を見上げ、またぶわっと泣き出す。


「うぅっ…う、うぅ…。」


俺はその様子を、幾らでも見ていられるような気がしなかった。


耐え難かったのだ。

自分はこの狼の為に、少しも戦ってあげられなかったからだろう。

此処には、自分は一秒も必要が無かった。


遥か昔より、この森に人間の足跡は、残してはならなかったのだ。

もう、SiriusとFenrirだけによって、繋がりを確かめ合う会話は続いて行くだろう。


舞台から降りるその動きも、かえって目立ってしまう気がして、背景の一つとしてその場に立ち尽くすのが一番良い。


そして、同じ場面を共有して、直に聞くのだろう。


貴方さえ生きていれば、他はもう、どうでも良い。

Fenrirは簡単に、そう言い切ってしまうのだ。


手持ち無沙汰だ。

両手をだらりと下げて、泣くだけでも、役は務まるだろうか。




「おお…そうであった、忘れるところであったぞ。」




Siriusはそんな偶像たちを一瞥すると、自分だけが自由に動ける空間を、実に優雅に闊歩することを決め込んだ。


彼は頭をゆくっりと降ろすと、沼に左半身を浸された獲物を拾い上げた。


俺の目の前に颯爽と姿を現した時に、口に咥えていたものだ。

初めはそれが、何を意味しているのかが理解できずにいた。ただ生身の身体が初めて覚えた空腹を満たそうとしていたものだろうと漠然と考えていたのだ。


「これを、喰らうと良い、我が狼よ。」


「え…?いいんです、か?」


「そのためとは言え…我は他所の縄張りで獲物を狩る罪を犯したのだ。」


「そ、そんな…この森は、貴方の……!」


「Fenrirよ、これは主のものだ。どうか喰らってくれ。」


「……。ありがとうございます。」




話がうまく飲み込めていない様子だったが、Siriusが与えてくれた獲物を断る理由なんて、彼には何一つない。

泣き止まなくては牙も突き立てられないことを考えれば、彼は初めからそれを見越して恰好の軽食を用意して来ていたのかも知れない。


「いただきます、Sirius…。」


彼に見守られて、ガチガチに緊張しているのが見て取れる。

ぶるぶると震えながら口を動かすFenrirは、テーブルマナーに気を使い過ぎているように、咀嚼がぎこちない。


「おお、お前が話を聞いている時に、摘まめるようにしてやれば良かったなあ。」


「ずっと、こうして喰わせてやりたかったのだぞ。」


短い尻尾をぶんぶんと振って、与えられた獲物を貪る仔狼のようでなくとも構わない。

Siriusは愛おし気な視線で、その様子を見降ろす。

口調が必死にご機嫌を押し隠しているのだが、彼自身のそれが誰よりもその気持ちを代弁していた。


隣に立っていたら、Fenrirのことを小突いて、それに気が付いて上げてと無言で伝えていたことだろう。


…だって、こんなに喜んでいるんだよ?

俺、もう見ているだけで、泣きそうなんだけれど。




「生前の夢が、また一つ叶ったな。」


「ぶぐっ…!?げほっ…ごほっ…!?」




それだけは、口にしてはならなかった。

Fenrirは忽ちむせ返ってしまい、眼を瞬かせて変なしゃくり声を上げる。


「うぅっ…うああっ…しりうすぅ……。しりうすっ…ぼ、僕はぁっ……。」


再び目の前を過去に奪われ、牙の間から噛み切れなかった肉片が零れ落ちる。


「僕はぁっ…貴方のっ…ことぉ……。」


「良いのだ、主よ。」





「主は、我の願いを、聞き入れてくれたのだ。」


「ありがとう、我が狼よ。」





「……。」


Fenrirは、口元をわなわなと震わせて、Siriusを見上げる。


今にもまた、壊れてしまいそうな目をして。


もう一度、彼が与えてくれた獲物に唇を近づけた。




「むぐっ…うっ…んんっ…!もぐっ……!」


自分がその気になれば、こんなものは吸い込むように食べてしまえるんですよ。

彼はそのことを示そうと、必死に掻き込んで、あっという間にそれを平らげた。




「うむ、良い喰いっぷりだ。」




「さぞかし、腹が減っていたであろう。」






Fenrirは頬を膨らませ、何とか咽ぶのをこらえるので精いっぱいに、小声でごちそうさまを言ったのだった。


Siriusがくれた、というだけで、千頭ぐらい貰えたように思っているに違いない。

きっと、俺が手土産に持ってきた一頭に比べて、途方もない力と意味を、齎していることだろう。



これで良いのかなと、妬く気も起きなかった。



俺は姿かたちを変えても、きっと彼らを遠くから眺めているだけに違いない。


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