114. 毛皮を灰に
114. Ashcoat
「そうか…ありがとう。」
「お前は…どうだ?」
一匹一匹、丁寧に鼻先を近づけ、舌で毛繕いをするように舐め上げる。そんな挨拶を交わすことを延々と続けていた。
違う…これも、そうじゃない。
このお顔も、狼違いのようだ。
「……。」
全員、違う。
総和としての大狼とは、かけ離れているのだ。
潜り込んで、もっと沢山の狼の残骸と出会うことは、喩えTeusが隣で居心地の悪そうにしていなかったとしても、気が引けた。
それこそ、冒涜であり、寓話のあるべき姿であると思ったからだ。
「やはり……。」
しかし、未だ表層に、挨拶を済ませていない狼が横たわっている。
「お前、か…。」
そんな予感は、していた。
俺は長く顔を伏せていた頭を擡げると、最後に残った ’顔’ を見つめる。
Garmはもう、苦しそうな呻き声を上げることさえもせず、ひょっとすると死んでいるようにさえ見えた。
腹に抱え込んだ同胞たちと唯一違うのは、その狼の額に、幾つもの百足の焦げた残骸が集まっていたことぐらいだろうか。
彼にとって、毛皮は借り物。
足りなければ、何処かで罅割れ、血が滲んで裂ける。
俺は、彼の貴重な灰の毛皮を、奪ってしまったのだ。
半開きの口から洩れ、変色した血が、髭に纏わりついて膜を張っている。
それを、舐めとってあげなくてはという父性に駆られた。
まるで吐き戻しを鱈腹平らげて、口周りを長い舌で掃除することさえも知らぬ仔狼。
満腹で碌に動けず、丸くなって眠るのだ。
決して頬が揺れるほど、強く舌を押し付けてはならない。
俺はそして、初めからしたかったような所作を、Garmの口先でして見せる。
そっと。
“貴方を……。”
そっとだ。
“愛しています。”
舌の先端が震える。
震えて、触れる、その刹那。
“……。”
“どう、して……?”
どうしてだろう。
貴方は、そして彼は、
俺のことを、拒んだのだ。
何故なのかな。
やっぱり俺が、狼だからか?
カチャ……。
「Fenrirっ…あぶなっ……!!」
Teusが引き金に手を掛けたなと感じた、
その殆ど同時だった。
Garmは、またとない機を睨んで、じっと息を潜めていた。
今しかない、絶好の瞬間を待っていたのだ。
“グルルルルゥゥゥゥッ……!!”
ぐいと顎を引き上げ、痛みに怯むことさえせず、苦しそうに牙を剥く。
ぐちゅっ…
「あ゛あ゛っ……。」
そうだとも。
俺の方から、晒したんだ。
敬意を表したいなら、それぐらいはする。
さあ、一思いに。
「うぐっ……。う゛ぅぅっ……。」
がっちりと首根っこを咥えられ、抜け出せそうにない。
ともすれば、捥げてしまいそうなほどだ。
彼の決意は、手負いの獣のそれを超えていた。
もはや生き抜くことを、捨てている。
“オ前ダケハァァァァッッッッ…!!”
“オ前ダケハ絶対ニ、絶対ニココデ殺スッ!!”
「何故だぁっ……」
「何故お前はっ……」
“貴様ヲ、絶対ニオ嬢ノ元ヘト向カワセルモノカアアァッ!!”
……?
「Fenrirっ!!Garmから離れろっ!!」
Teusがもう本気で発砲する気だと分かった俺は、身を捩って脱出を試みるGarmの上に覆いかぶさり、自らも彼の首筋へと噛みついた。
“お前をそんな風に殺させるものかっ!!”
「何してるんだFenrirっ!!はやくどけてっ!!」
“ソウダッ!殺ラナキャ、殺ラレルゼッ!?”
“痛かった、痛かった…よなあ。”
「頼むFenrirっ!!Garmのことはもう諦めろっ!!」
“諦メルノハ…貴様ノ方ダァァッッ!!”
“お願いです、じっとしていて……。”
「お願いだ…。もう、撃つぞ…!」
“ガルムッ……!”
“フェンリルゥッッッ!!!”
やっと、貴方の口元を、
舐めることができるんだ。
「うあ゛あ゛あ゛あ゛っー――――――――――――――――――――――!!」
“グルルルルゥゥゥゥッ…!!”
“ウガアアアアアアァァッ…!!”
バァァーーン……。
“……。”
鳴り響く銃声に、びくりと身体を仰け反らせ、
大狼は眼を大きく見開く。
「……。」
神様のご加護に違いない。
俺は運悪く、被弾を免れてしまった。
全て、目の前の狼の口の中へと飲み込まれ、爆発したのだ。
牙はぐちゃぐちゃに圧し折られ、頬のそこら中から穴が開いて、膿色の肉塊をどろどろと零す。
そして、毛皮を焦がす火種は、漏れたガスを伝って燃え上がった。
初めから胸いっぱいに息を吸い込み、炎を吹きかけてしまえば、すぐに終わった。
それは、Garmも分かっていたはずだ。
近づくことを許したら、もう負けだと。
けれど、そのつもりが無いと。
この大狼は信じたのだ。
言い方を変えれば、もう、赦していた。
「あ、ああ……。」
俺も、こんなことをするつもりは、無かった。
…ぎりぎりまで、堪えていたんだ。
俺は本当に、Garmの命を奪うつもりは…無かったんだ。
ボウッ……。
“ウア”ア“ッ……!?”
最期まで、彼を繋ぎとめていた繋ぎ目が燃える。
毛皮が、燃えてしまう。
“熱イッ…!アヅイヨオッ!!”
「ああっっ…!そんなっ……ああっ…!」
“助ケテェッ!!イダイィ…燃エチャウヨオッ……!!”
「ガルムっ…嫌だっ、すぐ消すからっ…ああっ…。」
澄み切っていたはずの沼が、狼の血で、再び赤く染まっていく。
激しくのた打ち回るGarmの身体あちこちから、狼の断片が剥がれ、燃えていく。
段々と激しく。
遂には、全身を包み込んで。
“オ……ジょ...う...。”
「Garmっ……。」
“……。”
大狼は、死んだ。