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113. 銀弾 2

113. The Silver Bullet 2


俺たちは、本当に狼であったのだろうか。

そんな疑念に惑わされ、脚が縺れる。


Vesuvaの湖畔に住処を選び、立派に育てられたあの若狼たちの方が、きっと上手に水浸しの沼地を駆け抜けたことだろう。


“ウゥ…ウ、アァッ……アアァッ…”


Garmは、四肢を操ることさえも意識下に置かなくてはならない程に動揺していた。

まさか、あり得ない。この自分がこの狼に敗れるだなんて。

俺は、もう殆ど喰い殺せていたんだ。

憎い神様と狼を、オ嬢と無縁の世界へと追放してやれた。

それからは、誰の邪魔も入らない、楽しい旅の続きをいつまでも享受できたのに。


最高の狩人たる大狼が、逃げ場さえも失い、ただ泣き叫びながら惨たらしく殺されていく運命にあっただなんて。どうして予想できようか。


どうして。

どうして、こんなことが。




彼は、まるでもう助からない、哀れな犠牲者の内の一匹であったのだ。



そして、俺はやはり、悪役であったのだ。

…などと、嘯いてみたくなる。


少しでも自分の内に、勝者の驕りのような高揚感を掻き立てたかったからだ。

そうでもしないと、今にも俺は、彼の口元へと擦り寄って、恭しく口元を舌で触れようとしたい衝動に屈しそうだったからだ。


きっとごめんなさいと甘い声で哭き、耳を低く寝かせて、それからあちらがいつも通りに接してくれるようになるまで、そっと遠くで丸くなって様子を窺っただろう。

俺が、貴方と同じ群れで過ごせていたなら、間違いなく、そうしていた。


けれど、そんな選択肢は無情にも、今の手札に無い。


俺に残された、ただ一つの任務。

それは、’狼らしく’ この戦いを終息させること。


Garmは、’助けて‘ と叫んだ。

本能的に口を突いて出た言葉なのだろうが、それは俺たちにとって良い兆候であると言えた。


彼に、生きたいという本能があり。

同時にその為にはどうしたら良いのかを考える理性があれば。

それはいとも簡単に叶うだろう。



そう。

沼の中に背中の毛皮を汚らしく浸し。

ごろりと仰向けになって、その喉と、腹の薄い毛皮を見せるのだ。



これが、狼の敗北と、お前は知っているはず。

喩え一匹で、遊び相手も見つけられず、彼女とだけ寄り添って来た獣であったとしても。

その所作を、身体の内に、秘めているだろう?


何故なら、お前は、狼だからだ。


ならば俺は、彼が答えを導き出すための、手伝いをしてやるだけ。

飽くまで彼の意志で、晒されなくてはならないのだ。


彼が自力で、そうしてくれたなら。

俺は何ら躊躇うことなく、彼の首元を、甘く噛んでやろう。

緊張して、震えて、覚束ないだろうが、きっとできる。




そして…

それで、終わりだ。


これで、狼同士の戦いは、お終い。


死闘なんて、ああ、とんでもないのだ。



小さな、小さな群れの一匹であっても。

決して欠けては、ならないのだから。


Garm。

俺はお前を、赦すだろう。

彼女を連れて、尻尾を巻いて逃げるのを。黙って見過ごす。



次に、こうして逢うときは。

お前に仲良く、群れに加えられたいな。


そんなことを願って。




もうすぐなんだ。

だからそれまで、耐えるんだ。

心を、狼から外れて、鬼としろ。



それでいて、彼にあの姿勢をとらせる隙を見せるのだ。

彼は今や、手負いの獣。

一歩も、踏み誤ってはならない。



「ガルルルルゥゥゥゥッ…!!」


俺は完全に狩れを喰い殺される為だけの獣と看做し、一際逃げ遅れた右腿に控えめに齧り付く。

動きさえ止めることが出来れば、十分だ。というぐらいの力加減で。


“ギャウウゥ…!!”


しかし、その悲痛な叫び声をもう一度聞かされて、そして噛みついた歯ごたえの異常さに、きつく目を瞑って吐き気を堪えた。

熟れすぎた果肉が、弾力なく潰れ、果汁が種子とともにどろりと溢れ出る感覚。


やっぱり、彼の肉は、全て初めから腐っていたのだ。

化けの皮だけでなく、その身体すべてが、嘗ての獣の縫い合わせであることを示していた。


先までの争いの中で、そのような感触は一切なかったはずなのに。

もう彼の毛皮は本当に百足が尽きかけ、悲しいほどに弾力を失っていたのだ。


…なんて、柔らかいのだ。

牙を突き立てるだけで、すっと肉の中へと滑り込んでいってしまう。


こんな例えを思いついてしまったことを、心の底から恥じた。

まるで、Teusが冬の暮れに洞穴へ持ってきてくれた、あの濃厚な煮込み料理に入っていた、大きな肉塊だったのだ。

味は酷いものであったので、涎が滴るには至らなかったのが、せめてもの救いだろうか。


「うっ…!?」

容易く剥がれた腿の肉にぎょっとして、思わず口を開いて取り落とす。


一方のGarmは、忽ちバランスを失って、前へとつんのめり、顎を激しく泥濘の中へ突っ込んだ

“イダイッ…!!イダイヨォッ……!!”


…やめてくれ。

思わず、ごめんなさいと、首を垂れそうになってしまうではないか。


“オ願イィッ……!!”



“コ、殺サナイデエェッ…!!”



“殺サナイデクレエエェッ…!!”



“ウワアァァァァッ………!!”



「……。」



……。



駄目だ。


乾いて、嗄れた叫びに、とうとう心を挫かれてしまった。



「……。」



諦めずに走り続けようとする彼を追いかける気力を、俺は完全に奪われてしまった。




ようやく、気づかされたのだ。



俺は、あの時。最初から間違えていたんだと。




「殺さないでぇっ……!!」




あの二人と、離ればなれになんか、なりたくない。

俺は、もう二度と父さんと母さんに逢えなくなるのなんて、耐えられなかったんだ。


だから、そうやって、必死に叫んでいた。





…そうか。


俺は、皆が俺に、して欲しかったこと。

何も分かっていなかったんだ。



あの時、俺は。

まだ自分のこと、皆と同じだと思い込んでいたから。



「……。」



立ち竦み、痛いぐらいに歯を食い縛る。


彼が向かおうとしているその道を、俺は阻めない。

この狼が逢いたがっている、その人に。

近づかせてあげないと。



そうしないと。



…この狼は。


俺自身だ。







バァァーーン……。




“ギャウウゥッ…”




再び鳴り響く、無情な銃声。

錆びた血が、どろどろの肉塊と共に飛散する。



俺は、一歩出遅れた。





ふと、ある疑問に、目の前の悲劇を覆い隠されてしまっていた。



Garmは、知らなかったなんて。

狼が生きるための、降伏の姿勢を。


それは、嘗ての自分が知り得なかったもので。

だからきっと俺は、大事なあの狼にも、自分が狼であること、認めてもらえなかった。


……そんな自分が。


どうして、その ’ポーズ’ を、覚えている?


あの大狼の記憶の中に、そんなものが、眠っていただろうか?

或いは、Skaの仔狼たちに、躾の一環として、そうされているのを眺めていただろうか?





どうして、己の中で、

鮮明に、自分がそうする姿が、イメージされてしまうのだ?



“助ケテェェェッーーーー……!!!”




「くっ……!!」


瞬きの内に、思案の糸は、解れて切れる。




彼の最後の叫びに突き動かされ




自分が為すべきことはもう、決まっていたから。


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