113. 銀弾
今日は国際オオカミの日です。
少しでもこの世界が、狼にとって幸せなものとなりますように。
113. The Silver Bullet
ズダァァァ……ン。
爆裂音が、褪せつつあった空気の中を響き渡る。
雨は幾分か、小降りになったようだ。空は列柱も立たぬほどに、分厚い雲に覆われている。
随分と、久しぶりだな。色のつかない水に、毛皮の滑りを洗われるには。
お前には、どう映る?
興味があるぞ、Teus。
それから、Garm。
お前を、歓迎しよう。
この森はへと、俺の縄張りへと舞い戻ることが叶って、心から嬉しく思っている。
赤い腐敗の霧は、天の意思によって晴れた。
“……?”
言うまでもなく、その銃声は、俺の知り得ぬ右手の持ち主によって放たれていた。
我慢ならなかったのだろう。あれだけ大口を叩き、見えを切っておきながら、この様だ。
お前がそうできるよう、心を捨てるような言葉を放っておいて、正解だったようだな。
「炸裂、弾……。」
アイアンサイトで動物を、その距離から。
まさか、狙撃の名手だったとは。
ひょっとして、それすらも、運なのか?
視界の端で、ぎゅっと目を瞑り両手で忌まわしい武器を握りしめる彼の姿を捉える。
それにしては、タイミングまで、ばっちりだったようだが。
まあ、以心伝心とまではいかずとも、相棒ぐらいには思っていたさ。
当然、お互いの息はぴったりと、
合っているとも。
「ようやく……通った。」
彼が打ち抜いたのは、牙を極限まで向いた、Garmの顔面などではなかった。
実際、もうTeusは、非力な化けの皮を剥ぎ、こいつに負けない立派な牙を剥いて盾突いた。
この場でもっとも脅威と看做されている彼が、全霊の意表を突いて一発をお見舞いすることなど、もう叶わないだろう。
掠りもしなかったのだ。
その点で、こいつは狩人の素質に大きく欠けていると言えた。
隠し玉を、此処まで懐に忍ばせて来たことは、褒めてやっても良い。
それのお陰で、世界は綻び、狼は狩られる序列を示されかけた。
窮地を脱し、こいつに手痛い反撃を喰らわせてやることができたのだ。
しかし、引き金を引き切る前の躊躇。
その動作は、あらゆる覚悟を済ませた俺だって、気づいてしまったぞ。
Garmはおろか、優秀な狼の統率者たるSkaによって、群れの狼の皆が察知するに違いない。
元より、当たるはずが無かった。
それ故、最小の手数で、避けようとするよな。
初めから撃たれると分かっているのだ。余裕があればあるほど、紙一重で身を翻せる。
そう考えた。
王手までは済ませてあったなら、猶更だ。
相手はその一手から、逃れなくてはならないのに。
そうするように、仕向けさせられた。
逆王手など、あり得ない。
こいつは、知らなかったのだ。
俺にも、狼らしからぬ、‘隠し弾’があるということを。
その弾は、着弾時に爆発を伴い、燃え上がる仕様のようだな。
凶悪な発想だ。人間は狼を狩るとき、いつも残忍極まる発想で人々を掻き立てようとする。
そいつは俺と、僅かに退いたGarmの間に開いた宙を切ったのだ。
お前は狡猾な野郎だ。
鑑みるに、狼の素質は、多少なりとも持ち合わせていたようだな。
この俺が、認めてやる。
そして、狙い通りに着弾する。
俺が首筋に開いた気道から漏らした、ガスの塊に。
着火したのだ。
ヴォオッ……!!
忽ち青白い光が燃え広がり、空中で局所的な爆発を起こす。
“……ッ!?”
臭いで、気が付かなかったのか?
それともまだ、此処はオ嬢の楽園であるなどと、夢を見ていたのか。
有り得ない位置から噴出する炎の渦に、Garmはぎょっと目を見開く。
それが毛皮を撫でた時、効力は火を見るよりも明らかだったのだ。
ガサガサッ……カサッ…カサ……。
直ちにそれは、彼が狙った獲物へと引火する。
ボタッ…バラッ……パラ、パラ……。
………。
「ようやく…動きを止めてくれたか。」
そいつらは、鳴き声の類を一切持たなかったが、一瞬だけ身をくねらせて激しく暴れると、毛皮を走り回るための無数の手足を失い、動かなくなった。
見下ろすと、力を失って剥がれた残骸が、水面に無数に浮かんで流れるのが見える。
そして幾匹かの百足たちは、本来宛がわれるべき縫い痕となって、首元の噛み傷を塞いでいた。
苗床として、首元に密集させられた傷跡は、一体どのようになっているだろうと、想像するまでもない。
血相を変えたGarmの顔を見れば、否応なしに分かる。
“ウッ…ウ、ウ……ア…?”
目を背けることは、彼への恥ずべき冒涜であるように思われた。
それでも直視して無意識に目つきを険しくするほど、醜い有様が見て取れたのだ。
縫い目の狭間から覗かせる、黒くてふっくらとした、艶のある焼け跡。
刀身を無理に割って出来た額の傷跡は、パンパンに中身が詰まって閉じないチャックのように苦しそうだ。
それがもう一つの大口であるかのように、彼の額を斜めに切り裂いて、口の端まで醜く伸びる。
歴戦の勲章と呼ぶには、余りにも痛々しかった。
そこから逃げ遅れた百足たちも、末路は同じだった。
干上がってぱっくりと割れてしまった傷口は、縫い糸の間から、血の滲んだ鮮やかな真皮を覗かせている。
そう。
毛皮を継ぎ接いで、どうにか狼の造形を保っていたGarmの身体にとって。
火傷は百足たちの機能を完全に損なわせる、天敵であったのだ。
“エ…?”
間抜けな呻き声が、何処の口からか漏れ出す。
そして自らも認めているように。
お前に残っている縫い痕の数、そんなにもう多くないのではないか?
“クッ……クルナアァッ…!!”
表情を変えるのにも、傷口を抉るような痛みが伴うのか、彼の鼻面は悍ましく歪むだけだ。
しかし、より豊かな感情を振り撒いていた番狼の尾が、初めて恐怖に萎れて垂れる。
その怯えは、狼を完全に狩られる側の哀れな獣へと変貌させた。
「獣は、火を怖がる、か……。」
情けないほどに、逃げ腰だったのだ。
無論、本能としてそれは、当然のことだと思う。
未知に対して好戦的であるほど、この獣は愚かではない。
そして、果敢に立ち向かうような気概も、虫たちと同時に焼き払われてしまったらしい。
反撃の目を半歩も残さないような退き方で、Garmは逃げ出してしまったのだ。
哀れだった。
彼女の側近ともあろう狼が、追撃の一手を加えるかもしれないこちらを見向きもせずに、尻尾を翻して一目散に駆け出そうとする。
“タッ…助…ケッ……テェッ……!!”
彼は走り方さえも、忘れてしまったらしい。
半泣きでわんわんと叫びながら、ジタバタと拙く走る様を見て、思わず純真な面影に心を揺さぶられる。
……決したのだ。
後は、しっかりと悪役を演じ切り、俺がこの狼の心を摘む側に回れば良い。
そうすれば、きっと終わる。
彼も、もうきっと変な気は起こさないだろう。
「Garmっ……!!」
俺は彼の名を、できるだけ憎しみを込めずに叫び、薄い沼の上をバシャバシャと音を立てて追いかける。
雨はいつの間にか、上がっていた。
静寂を保ち続けてきた森を観衆として、
二匹の荒い息遣いは、いつまでも舞台の上に響き渡っていたのだ。