112. 折れた牙刃 3
112. The Broken Fangblade 3
「え…?」
思わず開きかけの口から、間抜けな声が漏れる。
ボタッ…ボタタッ……。
鼻血が、垂れた気がしたのだ。
無論、それはGarmの鼻面から裂けた皮膚からとめどなく流れる鮮血が、俺の鼻先を伝って滴り落ちたの過ぎない。
そう軽んじていた。
察するべき僅かな違和感を、気にも留めていなかったのだ。
しかし、違った。
“言ッタハズダ。”
“コイツラハ、益虫ナンカジャナイト。”
ぐちゅ…ぐじゅっ…
ずぷぷ…
……?
「…っ!?しまった…!!」
鼻の中で、何かが蠢く。くしゃみをしたって、これはどうにも出て行ってくれそうにない。
Garmは初めから、これを狙って時間を稼いでいたのだ。
「うあ゛あ゛っ…?あ゛うっ……!?」
俺達は、長く触れ合い過ぎた。
奥底をぐりぐりと突かれ、耐え難い鼻柱の痛みに涙が滲む。
そいつらは、弱り切った主を切り捨て、新たな宿主を見つけると喜び勇んで苗床として蹂躙を始めたのだ。
「や゛め゛ろぉっ……そんなっ、自殺行為をっ…ギャアアアアッッ…?」
こいつ…己の毛皮と毛皮を縫い合わせる生命虫を減らしてでも、俺を侵すつもりだ。
こういう時、何度でも自分に両手があったならと夢を見る。
もう手遅れだったとしても、鼻先を触って、中に入り込もうとする害虫をほじくり出そうと躍起になっていたことだろう。
脳にまで入って来られたりでもしたら。そんな恐ろしい想像にうつつを抜かさずにはいられない。
頭蓋の中にみっちりと詰まった百足の蠢く音が、耳の裏で俺を狂わせる。
彼が化け物たちを思いのままに操っている元凶が、こいつらの仕業なのだとしたら、俺は次の瞬間にTeusのことも忘れ、彼の忠実な僕と化してしまうのではないか。そんな疑念さえ頭を擡げる始末だ。
俺は即座にGarmから離れ、首を振り回して叫ぶことしかできなかった。
「う゛う゛ぅっ…やめ、ろおっ…出て行けぇっ…あぁぁぁぁっ…あ゛あ゛あ゛っ!!」
“フフフ…オ前、コイツラニ好カレテイルナ。”
な、に……?
“ヒョットシテ、自殺行為ニ酔ウノガ、癖ニナッテイルノカ?”
そいつらの、大好物なんだ。
きっと大喜びしている。この毛皮を抜け出したくなるぐらいだ。
どれ、見えない所に大層醜い傷をお持ちのようだが…?
「黙れぇぇっ!!」
あらん限りの声を張り上げると、喉元で彼らが嬉しそうに跳ねた。
「お前にぃぃっ…! この傷の…何が、何がぁぁぁぁっ…!!」
“ワカルヨ。”
……?
“痛カッタダロウ。”
「……。」
眼球を、百足が産まれるように、内側から喰い破ったのかと思った。
びゅるっと、涙が溢れだしてしまったから。
ビチャア……
一生の不覚だ。
俺は、運に魅入られておきながら、それでも尚、負けるのか。
折角、Teusに内側に巣食う虫たちを追い出して貰えたのに。
こうも易々と開城を許すだなんて。
身体の奥深くへと入り込み、そして一目散に首元の血管へと這い出ようとする。
目指すは、あの傷跡。
あの瞬間。
「ああっ……あっ…。」
ぞくりとした。
性的に、感じてしまったのだ。
あの牙が、触れるような錯覚に惑わされ。
“Fenrir。”
俺は自ら反射的に顔を反り上げ。
あのときと同じ姿勢を取って、
目の前の大狼に首筋を曝したのだ。