112. 折れた牙刃
112. The Broken Fangblade
「そうか……。」
「俺は…勝つ、のか……。」
どうあがいても、負けることは無い。
その言葉に、力は湧いたりなどしなかった。
何かに期待していた訳でもないのに、力が抜ける。
やはり俺一匹では、初めからどうすることも出来なかったのだな。
そうだとも。
こんなにも無力な狼が、護るだなんて。夢を見過ぎていた。
結局のところ、振り返ってみれば、何も成し遂げられてはいない。
このような窮地など、こいつ一人で、どうとでも出来たはずだ。
その考えが誤りであったと分かっても、実感は変わらない。
俺は、お前の意思によって動いた、お前自身の右腕でしかない。
「……。」
「良かろう。」
「お前の、牙となってやる。」
元より、そのつもりだ。
「お前と、共に戦おう。」
俺はお前と一緒に並んで立つことはあっても、
そんなこと、今まで考えたことも無かった。
けれど、駒という感じはしないな。
お前に戦わされている、そんな操り糸が四肢に結ばれている感覚はない。
これが運命なのだとしても。
その為に、こうして力の切れ端と呼ぶには、余りにも恐れ多い神の加護を、与えられたのなら。
「まだだ…まだ、終わっていない。」
「……。」
「グルルルルゥゥゥゥッ……!!」
「うわぁっ……!?」
それ以上、耳元で泣き喚くな。
五月蠅くて我慢ならないぞ、Teus。
俺は頭を再び擡げたことで走った全身の痛みを誤魔化そうと、迫真の唸り声を上げた。
「ンガアアアアアアァァッッーー……!!」
「Fen…rir……?」
「笑わせるな…何が、戦の神様だっ……!」
「えっ……?」
俺がこうして、姿かたちを同じくした大狼と戦うのが、不憫で堪らないだと?
お前は地上に火種を見つけては、人間同士をそうやって、延々と戦わせてきてのでは無かったのか。
そのたびに遠目から、同じようなことを思って胸を裂いて来たのか?
違う筈だ。
ある時ふと、自分に最も近い存在へ、焦点を当ててしまったからだ。
それは、辛かっただろう。
お前は誰かを失うということを、間接的にでも、覚えてしまった。
最も愛すべき誰かを、尊い行いに酔って殺してしまったような、自責の念に駆られた。
神様であることを辞めよう。悔いの感情が芽生えた瞬間があった。
そうだろう?
それなのに、お前はもう一度、軍神へと姿を変えると言う。
はっきり言って、見損なった。
お前がそんなにも軽い気持ちで、鎖を断ち切ってしまうだなんて。
たかが、狼一匹にだぞ?
お人好しは、大概にしておけとあれほど言っただろうが。
…しかし、今更嘆いても、もう遅い。
テュールよ。そう呼ばれる神様が降臨なさったのなら。
お前は再び、もっと広い視点に立ち直るべきだ。
たかが、狼同士の縄張り争い。
お前が胸を掻き毟ってむせび泣くほどのことではない。
放っておけ。捨て置くんだ。
お前は、そんな狼の、名前も知らない。
「そ、そんなぁ……。」
なんで、そんな悲しいこと言うのさあ…!
やっと、やっと君と一緒に…なれたのに…!
ただの人間として、本当に友達になれると思ったのに…!
「冷たいよお、それじゃあまるでぇ…!」
「ああ、お前みたいだな。」
「…お前と、同じだ。」
「……。」
良い気分だな。
お前を絶句させるくらい、酷いことを言うのも悪くない。
如何にも、悪い大狼という感じだ。
そうして絶望に打ちひしがれて、涙を零すだけの面は、そうそうお目にかかれない。
「クックック……。」
思わず、悪い声で笑ってしまう。
それが彼を逆上させたことは言うまでもない。
「ばっ…ばかぁ…!Fenrirのばかぁっ…!!」
「そういう所が嫌いだって、前から何回も言ってるだろおっ!!」
「人でなしいっ……!酷いよっ…!そんなだからっ……うわぁぁぁぁぁぁぁ……。」
「ふん……それで、良い。」
俺は、生かされているという実感に沿いたいだけ。
誰かを護っているような英雄の姿に、憧れの影に、酔いたいだけ。
それだけだ。
俺はお前が、こんなことも忘れてしまうくらいの幸せに侵される未来を知っている。
お前は、こんな物語を、忘れるんだ。
その笑顔を見届ける気も起らない。
一緒に暮らすなんて、烏滸がましいことはしないさ。
ただ、世界の端で、遠くから眺めていたいだけ。
「しかし、それは相手とて同じこと。」
「……?」
聞こえるか、Teus?
戦禍の残骸の遠くで、鳴り響いた鼓動が。
「彼方も、同じなのだ。」
粘つく水面は、再び震え始める。