表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
289/728

111. 幸運 4

111. Hard Luck 4


「Fenrir……。」


何度でもこいつは、不安に圧し潰されまいと俺の名前を呟いた。

表情も分からなくなるほどにべったりと血塗られた顔面を、彼は拭おうともしない。


「決めたよ、俺。」

「何を…だ…?」


自分の声が、少しGarmのそれに似てきたなと思った。

笛の音が外れるように、雑音が首の内側に響いて混ざる。


「もう……。もう、傍観者になんか、ならない。」

頭髪から滴り落ちる血が、彼の見つめる沼の水面を揺らす。



「Fenrir……。」


君は、もうすぐ負けるだろう。

そうと分かっていながら、俺はただ安全な場所から、ただFenrirが死にかけていくのを眺めていた。

それで良いと思ってしまっていたんだ。


俺は、誰かを救えるような神様なんかじゃない。無力な人間へと生まれ変わったんだ。

だからこそ、彼女は俺のことを受け入れてくれたのだ。

皆も、俺のことを、一人の人間として好いてくれるようになったんだ。



でも……。

でももうFenrirが、これ以上苦しんで、のたうち回る姿を見ているのは…

耐えられないよ、俺。



君を見殺しにするようなGarmへの加勢をするくらいなら。

喜んで、屍の頭を踏み歩こう。




「俺も、戦場に立つ。」




「Teus…それは…」



「それはいけない。」

お前が窮地を救ってくれたことは、まさに神の加護のようだった。

確かに、光が差したようだったのだ。

しかし、俺はそれ以上のことは望んでなんかないぞ。


だって、それはお前が、

再び ”軍神” に成り果てるということだろう?


退役した筈だ。


もう一度、人間の世界に舞い戻るのが嫌で、

遥々、こんな僻地までやって来た。


とんだ幸運の巡り合わせに導かれて、

お前は俺に、逢いに来てくれたんだ。


違うか?


「……。」

彼は力なく首を振り、それから今のは自分が俺の言葉を否定したのではないと弁解する。



「俺は…こんな世界を見るのが嫌で、逃げてきたんじゃないよ。」


「…神様を演じるのに、疲れてしまっただけ。」

同じように、聞こえるかも知れない。

でも、違うんだ。

戦場で、皆と等しく死ぬ定めなら、どれだけ良かっただろうね。


とんだ幸運だよ。

一人だけ、土俵に立てていないから。

全能の実感すら、全く無かったんだ。


「こうして、君みたいに優しい誰かが殺されているのを、黙って眺めている実感が…!!」


「それを、仕方がないとすら思えなかった…!」


「何も、感じられなかったんだ!」


「俺は、何もしなくても…‘神様’ だったから……!」


君みたいに、必死になって ‘何か’ になろうとしている姿が…

俺は、心の底から羨ましかった!


「ごめん……。」

こんなこと、絶対に君の前で言っちゃいけないと思っていた。


「怪物でありたい。」


「君みたいに。」








「今なら、そうなれる気がする。」

彼はふと悲しみに引き込まれ、ぶわっと泣き顔を血の能面に刻むと、

それを隠そうと、鬼の形相で怒鳴った。



「…Fenrirを失ってしまうくらいならぁぁぁぁぁっ……!」




「俺は、誰もに望まれた、大っ嫌いな(カイ)(ブツ)のままで良い。」




Teus…




「……。」



「ふぅーー……。」




彼は両手に顔を埋め、遥かなる記憶に自らを委ねる。


「君じゃあ、あの狼は……Garmは、倒せない。」


幾千年、いやもっとだろうか。

これまでも、これからも、彼が歩む光景に、俺は触れることさえも出来ない。







「ああ…良かろう。」




「ならば俺が……。」




「君を、勝たせてやる。」



「……。」




造作もないよ。Fenrir。

そう言って、慈悲深く笑ってみせたのだ。




「……。」


そしてすぐに、その男の表情は消えうせる。

しかし動物的に、ぞっとしてしまった。

不敵な嗤いよりも、遥かに狂気的な野心を秘めていたからだ。

到底達して良い考えではない。



そうか、俺を窮地から引きずり出し。

永遠の闘争を望んでいたのは。

こいつだったのだな。


よくぞ、今まで押し隠していたと思う。

俺が彼の心の奥に無関心であった、何よりの証拠であるようで、友達が聞いて呆れる。


裏を返せば、FreyaやSkaは、軍神のそんな一面を、垣間見た経験があるのかも知れない。

きっと、怖い思いをしたのでは無いだろうか。

憶測に過ぎなかったが、だからこそ、彼らが俺よりも近い場所でこいつと暮らすと決めた勇気に、敬意を表さずにいられない。


「……。」


「でも、でもね…Fenrir。」

「あ?あぁ……。」

絶句する自分を他所に、彼は早口でまくし立てる。



「でも、俺一人じゃあ、やっぱりどうしようも無いんだ。」

奇跡は、一人で起こせたように見えるかも知れないけれど。


「俺は結局、戦況に対する ‘介入者’ でしかない。」

味方のいない戦いに、肩入れは出来ない。


戦場はあらねばならないんだ。

誰かが他の何者かと争っているのでなければ、俺はその趨勢に手を入れて、搔き乱せない。


「……つまり?」

俺は複数人に語り掛けられているような混乱に、頭を抱え込む。


「あの大狼の敗因は…お前をこの戦いに引き込んだことだ…と?」

彼は躊躇いがちにそうだと頷く。


「Garmは…正しかった。」


「戦うべき相手が、見え過ぎていたんだ。」


「…そうか。」

相槌を打ちつつも、納得は行っていない。

腑に落ちて、よいはずが無い。


…だが、確かなことは。

それならば、俺は済まないことをした。

やはりお前は、俺に護られていれば良かったのだな。


体力ばかりがご自慢の大狼が、世迷言と血反吐を吐きながら、ずるずると食い下がるものだから。

歯牙にもかけたくない彼は手っ取り早く俺に投了を強いようと、一番触れてはならない相手に牙を剥いた。




敵だと認識してはならない存在の、表情を変えてしまったのだ。


「もう、黙って見ていたりなんかしない。」


「だからお願いだよ……Fenrir。もう一度だけで良い。」




「俺と一緒に…戦場を走ってくれないか?」





「あぁ……。」


つまり、そのまま、続くことを望んでいる。

この神様は、俺達狼が、永遠にいがみ合うことを。




どちらに微笑むのかは、

神のみぞ知る、という訳か。



「Fenrir。君を巻き込んでしまって、本当にごめん。」





「辛いのはぁ……分ってるんだぁぁ……。」



「うぅっ……う、うわぁぁぁぁぁぁぁ……」



彼はもう我慢がならず、泣き出してしまった。

頬の血を洗い、ようやく傷だらけの肌が垣間見える。





「本当にっ……本当にごめんなさいぃっ……。」




「フェンリルゥゥゥゥ…」




「ガルムゥゥゥゥ…」




「ふれいぁぁぁぁ……。」




「うああぁぁぁぁっ…………」





謝りたいのだろう。

血にひれ伏して、ただひたすらに。




彼は、肩を震わせて。

呪われた戦士と、看取る女神の名を叫び続けたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ