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109. 盲従 4

109. Blind Obedience 4


瞬きなど、一度だってしていない。

それなのに、この一瞬だけは気味が悪い程に長く、退屈で冗長な映画を見せられているようだった。

コマ送りの地獄が、黒い画面を断続的に挟み、延々と続く。


今まで敵陣に囲まれているという実感がまるで無かったのは、それは心強い大狼が自分の視界を遮り、恐ろしい光景が襲い掛かる前に片付けてくれていたからに過ぎなかったのだ。


だって、振り返った頃には、全てが終わって、死体が転がっているんだもの。

俺にとって都合が悪い存在は、消してくれよう。

とても戦場にいるのに向いていない俺が、ぎゅっと目を瞑ってしまったその隙を縫って、

彼は片時も離れず、露払いをしていた。


Garmが狼の知恵を有してさえいなければ、きっと今も余裕を見せびらかして、必死に俺の表情から怯えを拭い去ろうとしてくれていたに違いない。



だけど、もうFenrirは傍にいない。



辺りを見渡して、ようやくと気づく。

これは、戦争などではないと。


王が投了を促されるのとは、まるで違っていたのだ。

彼らは孤立していようと、少なくとも、自分と一緒に捕虜とされる領地と民と血があった。

しかし俺は迂闊にも、世界の表情を曇らせてしまったのだ。


まるで、神に歯向かったよう。

自分以外の意志が共有されている錯覚に襲われていた。


誰もが右腕を外套に隠して歩く中、

俺だけが両手を堂々と晒して征く。


直に神のような力に唆され、

自らの意志を改めた自覚もなく、

右腕を切り落とすことを余儀なくされるのだ。




自分だけが、間違っていたのだ。

その理由も、分からない。

今まで誰も教えてくれなかっただけで。

膝を折った俺は、視界に色を失い、呆然と調和した世界を眺めるだけ。



Fenrirも、このような心持だったのだろうか。



「あぁ……。」


そうやって、また彼と自分を重ね合わそうなどとする。

いけない。駄目だとあれほど戒めてきたのに。

彼の悲しみを、そんな方法で理解してはならないのだ。


「これが…」


こんな戦争の決着は、流石の俺も目にしたことが無かった。

処刑にしたって、これは酷い。大がかりであっても、観衆の湧かぬ方法では意味が無いのだ。



()()、か。」




まるで、今まで負け知らずだったような物言いだな。

内なる声が、嗤って響く。



平凡な器にしては、動じずにいられていると思う。

普段から、漫然と自分はどのように死ぬだろうかと考えて来ていたからだろうか。

思考の肌に艶が無く、それは英雄に似つかわしくない最期を思い描いては溜め息が漏れたものだ。



その一秒まで抗い続ける、ということはしないだろう。

それは初めから想像できていた。

俺は戦の神様として崇められているからと言って、戦いに長けている訳じゃあないんだ。

戦うことが、好きなのでもない。

生を実感する欠片も見出すことはできなかった。


もし自分がFenrirみたいに勇敢で、情に溢れて、そして狼であったのなら。

俺はマントの代わりに尾を靡かせ、戦線を駆けまわっていたのかな。

毛皮を振るって襲い掛かる弓矢を弾き、前脚を振り下ろして刃の切っ先をへし折り。

大切な友のために、あらん限りの力を振り絞って、誰もが希望を見出す英雄として生き抜く。

そんな神様に。


…いいや。

戦場に、英雄なんてものはいない。


少なくとも、俺は出会ったことがない。


噎せ返るような血生臭い空気なんて、ごめんなんだ。



かと言って、大人しく受け入れるような冷静さも持ち合わせてはいまい。

なんだかんだ言って、愛おしい人たちのことを思い浮かべてしまうに決まっていたのだ。

少しぐらいは、俺のことを偲んでくれるかなあとか。

俺に惨たらしく殺された人たちが見降ろして、浮かばれてくれると良いなとか。

どうしようもない雑念に駆られて、泣きながら泥を掻き毟るような。

惨めな最期がお似合いだとか笑って、現実に引き戻される。



そんな風に思っていたものだから。


何も感情が湧き上がって来ないことに、かえって戸惑ってしまったんだ。




「な…」



「ん、で……?」



Fenrirが、まだ諦めていなかったことにも。

俺は何も、思えなかった。



ぜぇっ…ぜぇっ…!

ぐぶ…ごぽぽっ…。


此処からでも聞こえてくるほど苦しそうな息遣い。

喉元から止め処なく吹き出す、霜の血。


何度もつんのめり、殆ど転ぶようにして走る。

Garmはきっと、止めようと思えば、止められたのだろう。

俺に届く前に、ほんの一押しするだけで、彼は無様に鼻面を沼にぶつけた。



それでも濁ることはなかった、意思の瞳。



「ティ…ウ…ゥゥ……」




「ティウゥ……」




「Te……us……!!」





眼前まで迫る、黒く血濡れた幾千万の弓矢。


Fenrirは、最期の力を振り絞って、その間に割って入った。

運悪く、間に合ってしまったのだ。



ドスッ……ドドドッ…ズチャ……。


前脚で薙ぎ払う気力もなく、彼は大きな胴で、壁をつくるだけ。

俺から見えない向こう側で、おぞましい数の刃物が肉を貫く音が、延々と続いた。



「……。」

此方側に倒れてこないのが不思議だった。

Fenrirはその全ての砲撃の波を受け止め切るまで、四つ足で立ち尽くしたのだ。



彼は、毛皮をぶるりと奮うこともしない。

雨に濡れた毛皮の水を弾く気力も、もう無いのだとわかった。



だが、無情にも。

追い打ちは的確だった。



きっときつく目を閉じて、耐え抜いてくれたのだと思う。

Fenrirは、自分自身に向けられた、弩級の刃の存在に、気が付けなかった。



ズプッ……。



僅かに此方を向いてくれたFenrirが、何かを呑み込んだかのような音と共に目を見開く。







「キャウゥ……!?」








「……。」






それで、一斉射撃は終わった。



もう、それ以上は無かった。



「あ……あ、ぁ……。」


「……。」


最期の一発は、彼の口元から、喉の奥深く、心臓へと、深々と貫かれていた。

狼は、完全に仕留められ、ぴたりと動きを止める。



初めて彼の喉から、あんな甲高い叫び声を聞いた。

知らなかった。

それが、彼の一番嫌いな、狼の悲鳴だったなんて。





ドッシャァァ……。




Fenrirは、ゆっくりと顔から倒れ込む。

俺に、どうか触れてくれとせがむように。




「……。」


静寂は、俺の叫び声を待っていた。



この世界とは、仮初である。

友達と思った狼のことも、信じられない。



そう狂って哂う愚かな神様の、慟哭を。





でも、声が出せなかった。

俺も喉を掻っ切られたらしい。

まるで、感情を理解できない人形が、涙だけを流しているよう。


Fenrir、そんなの嘘だ。

しっかりして、俺を庇って死ぬなんて、間違ってる。


そんな場違いな台詞さえも、彼の耳元で囁いてやれなかったのだ。



「……ろ。」



……?



「……げ、ろ。」





「逃…げろ……」





「Te…u……s。」





代わりに、君が囁いてくれるだなんて。

巨大な針に喉を塞がれ、息も出来ないのに。


もう、あと数秒。

意識が遠のくまでの僅かな時間を使って。




俺を見て、



どうしてそんなことを、言うんだい?





「……。」




頭上の陰が、色濃くなる。




無論、Garmだろう。








音も無く跳び上がった彼が、最後は直々に、

一撃で獲物を仕留めようと言うのだ。






どちらの命を先に奪い、迎え入れるのか。

実に見ものだな。




そう思わないか?




「…Fenrir。」


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