108. 神のみぞ 3
108. God knows 3
“俺は、こいつを救えない。
俺のことを死ぬまで救う気でいるのなら、俺は何としてでもそれを止めさせるつもりだ。
…諦めさせるぞ。
自らを、救えない存在にしてでもな。”
救われない、存在。
それを初めから見据えていたのだ。
Garmは吸い込まれた。
大狼の思惑に。神としての不運に。
“やった通りにはならぬ。しかし、思った通りには、なってしまうのだ。
……だからどうか、見ないでくれ。”
未だ、術中であったのだ。
結局は、全て彼の言う通りになってしまった。
「フェンリルーーーッッ!!!!!」
「……。」
その狼は、転寝から覚醒するように目を見開くと。
大きく振りかぶって隙だらけなGarmの懐へ潜り込む。
昼寝に夢中のふりをして、自分の大事な来客が呼びかけてくれるまで動こうとしない。
まるでいつもの彼を見ているような錯覚に襲われる。
「グルルルルゥゥゥゥ…!!!」
“シマッt……!!”
決死のカウンターは、遂に成就する。
痛み分けはもうごめんだと言わんばかりに、もう躊躇がない。
一度目は、容易くねじ伏せられ。
二度目は、互いの命に触れるほどに牙を突き立て合い。
そしてようやく、Fenrirは彼に一方的な反撃を喰らわせたのだ。
ブチチチイィィィッ…!
“ギィャァァァアアッッ…!?”
ドポポポッ……ブッシュゥウウ……。
縫合をようやく終えた傷口から、再び大量の鮮血が溢れ出す。
狡猾にも、彼の牙は生傷を更に深く抉り取った。
依然としてその色が俺には欠けて見えたが、どす黒い返り血は確かに大狼の毛皮を染めていたのだ。
“ア゛ア゛ァァァッッッー!?何ッ…デッ…!?何故マダ、オ前ハッ…?”
激痛に悲鳴を上げ、Garmは身体をこれでもかと捩ってばしゃばしゃと血だまりの中を暴れる。
“ヴゥゥゥッ…死ニ損ナッタ、ナッ…?ゲホッッ…グェェッ…ヴァァッ……。”
「暫くそうして、のたうち回っていろ。」
追い打ちをかけるでもなく、Fenrirはその様子を冷ややかに見つめているだけだ。
「…俺はこいつと、話がある。」
しげしげと自分の前足を眺める様子は、戦を終えて刃の具合を確かめる戦士のようだ。
彼の胴を貫く針はそのままに、しかしその色が段々と背景に混ざって薄れているのが分かる。
痛みを感じているのかも分からないが、中を泳いでいた髄液は完全に、身体の一部として取り込まれていた。
自分の口元に咥えられていた毛皮の切れ端を吐き捨て、彼は口を開いた。
「なるほどな……。」
「道理で、俺は……。」
「皆から、嫌われていたんだ。」
大狼としての誇りとか、消えかけの友の灯だとか。
ただそんなことはどうでも良くて。
俺に、話を聞いて欲しかったのだ。
「Teus。」
……?
「俺はようやく、お前と同じになれると、思っていた。」
おかしいな。
俺が思った通りに、なるはずなのに。
俺の思い描いた筋書き通りに、俺はGarmの血を分け与えられ。
それでTeusと同じように世界を眺めて、見聞きした景色を形容する言葉を共有できるはずだった。
だが、それすらも、思った通りに叶わなかったのだな。
「それなのに。色が…」
「色が、消えない。」
「狼になった気分に、なれないのだ。」
今までと、何一つ変わらない。
俺には、濃淡だけで描かれた、狼の世界が見えないままだ。
結局こんな怪物は、そんな素晴らしい世界の一端を、冬の最高の瞬間に見出すしかない。
少なくとも、それが分かっただけでも、こうする価値はあった。
随分と、痛い目に遭ったけどな。
本当なんだ。Teus。
俺はずっと、そんな夢物語が実現するような機会が訪れやしないかと、耳を動かしていたのだ。
ある日突然…自分がみんなと何一つ変わらない姿かたちに、生まれ変われやしないかなどと。
良いんだ。遅かれ早かれ、化けの皮が剥がれるのだとしても。
見た目だけでも、人間の子供たちと似通っていたなら。
俺はもう少し長く、二人と一緒にいられたのか?そう思ってしまうのだ。
それが無理なら、別の世界を生きるのでも良い。
この森へ追放されてから、そんな控えめな夢だって悪くないと思ってきた。
俺は二人に逢えないままでも構わないから。
せめて誰かが一緒に遊んでくれるような。
そんな世界を、そいつと走り回りたい。
「俺はお前と同じように、二本足で立って、そんな風に立派な使命を身に纏うことは出来ない。」
「けれど、世界を変えることが出来るのなら。」
「俺は、お前と同じ世界に生きていたかったのだ。」
その世界が、今までと何一つ変わらないのだとしても。
それはお前の存在だけによって、別の世界として俺に共有される。
だから俺は、お前と同じであることを、少しでも喜んで見つけてきた。
俺はお前が美しいと叫んでくれた景色の、そのどれもがお気に入りだ。
お前と過ごしたVesuvaでの日々だって、きっと一匹ではそれを居心地が良いとは思えなかっただろう。
ただ、お前と共有がしたかったから。
俺はお前の世界を、尻尾を振って受け入れただけ。
「だが……。俺の中を駆けまわる血は、お前が見ている景色を、映し出してはくれない。」
「何ていうんだ?その血が流れる、眷属の名前は。」
「この大狼が、確かこんな風に仄めかしていた気がするぞ。」
彼は恐れることもなく、真実に触れようとその匂いに鼻を引くつかせる。
もうそれは無害であると、分かっているのだ。興味にそそられ、大胆に近づいても痛くはない。
俺が散々恐れてきた、Fenrirの知ってはならない真実。
彼がそれに首を突っ込みたがらないことに、常々感謝してきたのに。
外の世界に触れたその途端に、純真なこの狼は、気の向くままに探索を始めてしまう。
そう。
Fenrirは、知ってしまった。
「俺は…みんなと同じでは無かった…。」
「お前と同じ ’神様’ では、無かったのだな?」
自分が、アース神族の生まれでは無いこと。
彼の父と母が、その一族が、俺達からは忌み嫌われていることを。
俺に流れている血は、初めからそうだった。
「 ‘霜の血’ を、流す者だったのだ。」