108. 神のみぞ 2
108. God knows 2
“恨ミ言ハ聞カヌゾ。戦ノ神ヨ。”
彼は勝ち誇るでもなく、憎々し気に俺を睨みつけると、次の瞬間には悪意ある笑みを捨て去っていた。
首の傷からひゅーひゅーと息を漏らし、喘いでいる。
“コレハ、オ前ガ望ンダ結末デハナイダロウ。”
“シカシ俺ニトッテモ、不本意デアッタ!”
「……。」
”コノ結末ハ、間違イナク、オ前ノ怠惰ニヨッテ招カレタ。”
「そっ…んな……。」
違う、そう言いかけた口を、俺は噤む。
そう、全て俺のせいだ。
Fenrirがこんなにも傷つき、遂には果ててしまうまで、ずるずると決断を先延ばしにして。
俺は終ぞ、彼に諦めて貰うよう頼み込むことが出来なかった。
言えるはずが無かった。
「俺は、ただ……。」
足元で粘る泥濘が、俺を彼に近づけまいとする。
静かな沼地は、もう殆ど自分と狼のことを受け入れているように思えた。
“非力ナ己ヲ演ジ、黙ッテイテモ物語ガ進ムヨウニ。貴様ハ、俺ヲ怪物トシテ利用シタ。
ソンナ事情ニ、一切ノ興味ハナイト言ッテオコウ。オ嬢ノ冒険ノ露払イガ出来ルナラ、ソレデ十分ダ。”
“シカシ利害ハ、一致シタノダ。”
“…ダカラオ前ハ、俺ト手ヲ組ンダ。違ウカ?”
「だ、誰がお前なんかと……。」
“ナラバ、モット聞コエガ良イヨウニシテヤロウ。オ前ハ大義名分トヤラガ好キソウダ。”
お前の友達が真実を知らずに済むよう、俺は貴様の物語の都合の良い悪役となってやったのだ。
お陰でお前はこいつを悲しませることがなく、楽に死なせてやることができたのだ。
少しもそう見えなかったのなら、猶更自分を責めるがよい。
お前の一言だけで、こいつは別の死を受け入れようとした筈だ。
はっきりと言っておく。友達がこうなったのは、お前の責任であると。
だがこいつ自身も、お前を護るなどという幻想に触れることが出来て、さぞかし本望であっただろう。
そして、俺はこれからのオ嬢との旅路を、安らかなそれとすることが叶った。
誰にも邪魔はさせぬ。たとえ彼女自身が退屈であったとしてもだ。
分かるな…?
あらゆる視点から考えて、我々はやり遂げたのだ。
そう心の奥底で、安堵しているのであろう。
少なくとも一番の蟠りであった、こいつの血を凍らせる霜については。
“俺ニハ、理解シカネル。ソンナニモ、我々ノ血ヲ引クコトガ不都合デアルノカ?”
“ナラバ、益々我々ノ目的ハ一致シテイタハズナノダ。”
“コイツハアルベキ姿ヘト還ッタダケノコト。”
“貴様ハ、面倒ナ系譜ヲヒタスラニ隠ス必要モ、無クナッテイタノダ。”
「そ、それ以上…」
Garmは求められてようやく饒舌だった。
それを聞いて、Fenrirのようだと思った。実に頭が回るから、腹の内では、いつもこれくらいのことを考えていられるんだ。
ここまで打算的に動けるのも、きっとそのせい。
俺の嫌がる言葉をしっかりと選んで、まるで自分の行いをすべて見通しているかのように、語り掛けてくる。
ひょっとしたら、本当に俺の過去を、証言してくれる友達が、この中に沢山いるのかも。
だとしたら、自分は狼の前で、審問を受けている罪人のようだと思った。
彼が咎に対して全知であるような錯覚に襲われる。
勿論、こういう風に死後の世界を歩くことを望んでいた。
辿り着いた先で、俺は誰に、どのようにして罪を問われ、裁かれるのだろうと、びくびく怯えながら余生を過ごしていたんだ。
そう。
此処は、“Hellheim”。
その世界の端、浸食の淵。
彼は、その門を護る番犬。
或いは、至高の番狼。
この大狼では、敵わない。
跪くより他、なかった。
“心底憎キ血ヲ流スコノ狼ヲ騙シテマデ、ソンナニモ好カレタイカ?”
「あいつと同じ口を聞くなぁっ……!!」
“ソレトモ、コウシテ愛オシイ狼カラ奪ッテ、復讐ノツモリカ?”
「Fenrirは…ずっと一匹だった…!!」
“何モ知ラヌノヲ良イコトニ。随分ト善ガッテイルデハナイカ。”
「…Fenrirのっ…Fenrirの目の前でぇっ…!!」
“オ前ハ偽善ダト言ッテイルノダッ!!!”
「Lokiの話をするなあああああああああああああっっっ!!!!!!!!!」
“……。”
「……。」
何が、利害の一致だ。
少しも、相手のことなんて、分かっちゃいない。
互いがこうして、言いたいことをぶちまけ合っているだけじゃないか。
もう良いよ。
耳を貸さないのは、認めているようなものだ。
俺は現に、こうしてFenrirのこと。
苦しめている。
「フェンリルっ…今、助けるから……。」
「一緒に帰ろう…?きっとFreyaが、君のことも、助けてくれるから……。」
「お願いだから…行っちゃだめだぁ……。」
「これじゃあ、俺なんかと一緒に…なる前に……。」
「Fenrirがぁっ…死んじゃうぅ……。」
“………。”
Garmは深い溜息を、とても苦しそうに吐く。
“最後マデ、俺ニ面倒ゴトヲ引キ受ケサセルツモリカ。”
「やめろぉっ…!」
「これ以上、その狼を少しでも傷つけてみろっ!!俺は本気でお前のことっ…!」
“ホウ、ドウスルノダ? 憎キ血ヲ流ス大狼ノ皮ヲ剥グト言ウノカ?”
“釣レナイナ。寄シクモ、半バ同胞ダト言ウノニ。”
「なっ…減らず口をっ!!」
“良イダロウ、オ前ニドウ復讐サレヨウト、俺ハ寛大ニモ受ケ入レテヤル。”
“隣デ、キットコイツハ見テイルサ。”
“何モ知ラズニ、ナ。”
「……?」
その言葉で、一瞬だけ、想像してしまった。
Fenrirが、Garmの隣で、舌を垂らして笑っている姿を。
ようやく一緒にいられる、同じ姿の友達と、死後の世界を、駆けまわる。
大狼の、幸せを。
沼地のせいにして、歩みを止め。
恐る恐る、断頭台の上を見上げた。
処刑人の前足は、確実に。
この狼の首元に向って、振り下ろされていたのだ。