107. 手遅れ 4
107. Death runs my Black Veins 4
存分に力を持て余していたならば、違っていただろう。
初めて出会った大狼に、俺はありったけをぶつけていたはずだ。
遊ぶようにして噛みつき合い、間合いをとった相手を追いかけ、どちらかが転んで腹を見せるまで、同じことを繰り返していたはずだ。
不運を免れたなら、どちらかの犠牲を伴わずに、決着がついただろう。
そして時と場所を違えたのなら、俺は舌を垂らして、ぎこちなく微笑んでいた。
またも、期待に毛皮を膨らませてしまっていたのだ。
尾を振って、己の匂いを嗅がせようとしていたかも知れない。
こいつとなら、受け入れ合うこともできるかも知れない。
そう思えるほどに、Garmの死臭の中には、安心できるそれが紛れ込んでいた。
ああ、狼だ。
狼の、匂いが、たくさんする。
いいや、少し違うのかな。
たくさんの狼の匂いがする。
色々な狼の匂いが、少しづつ、混ざっているような。
そんな毛皮の集まりだ。
なあ、Garmよ。
俺からは、どんな匂いがするのだ?
教えてくれ。
それは、一匹の狼の匂い、なのか?
“ヤ゛メロォッ…血迷ッタカ!?”
Garmは痛みに呻き声を上げたと言うよりは、心底動揺している様子だった。
彼の中で描かれていた筋書きと言うのは、もっと観客的であるはずだった。
俺がこれからじりじりと追い詰められていく様を、悩まし気な表情で眺めながら。
まるでそれが不本意であるとでも言いたげに、それでいて一切の躊躇なく。
たっぷりと悲哀の空気を吸い込み、哀れな狼に、鞭を振るい続けていく。
少しも夢中になってはならない。彼は絶えず、あらゆる決定権を有した神の意向を窺い続ける。
もう、見ていられない。
やめてくれ。
お願いだ、無抵抗なままに死なせてやってくれ。
そう懇願する瞬間を。
それこそが、Garmの望んだ結末であり。
最も俺が、貴方の友達に近づける方法であったようだ。
しかし俺たちは、少なくとも俺は拒んだ。
そして、Teusが最も恐れている結末に向かうことを試みた。
捨て身の反撃に出ることが読めていなかった訳では無かっただろうに。
勝算の無い、向こう見ずなフェイントの、その真意が読み切れなかったのだ。
かのような愚行に及ぶ理由がただ一つあるとすれば、
俺は頭を壊され、狂ってしまった。それしかない。
だが彼の呼びかけに俺は、冷静に、はっきりと答えてその疑念を打ち消す。
「俺を狂わせてみたければ、あいつを殺してみると良い!」
「尤も、その場合は、ただでは済まさぬ。」
「お前の愛しのオ嬢様も、同じ目に遭うと覚悟するんだな。」
“ソンナコト!…間違ッテモ、サセルモノカ!!”
俺は、Garmの怒りの源に、火を吹きかけた。
寂しさで冷え切ってしまわぬように。
このような蛮行、一匹で続けるには道に外れすぎている。
「ヴゥ…?ゔっ…あ゛っ…ああ゛っ…!!」
彼が両顎に力を込めたのが分かった。
命に触れようと喰い込む牙を感じ、全身に電流が走った。
脚が竦む。もう、後戻りはできない。
「いいぞ…!!」
俺は口から粘っこい血を漏らし、微笑む。
「もっとだ。」
“コノ…異常者ガァッ…!!”
ああ、そうだとも。
昔から、その嫌いがあったものでね。
もとより狼になるなど、おこがましかったのだ。
羨望の色が強いとは、初めからそうでなかったと認めているようなもの。
だからだろう。
完璧な大狼に、強く憧れるのだ。
「グルッ…ゥゥゥゥ…!!」
お前が、その血を流そうというのなら。
俺はそれを、喜んで受け入れてみたい。
此方も、報いなくてはならない。
一切の迷いを捨てた俺の鋭利な牙が、Garmの首筋に完全に埋まる。
“ウガッ…?ァァァアアアッッ……!!”
「ぐっ…くっ…!!」
“ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッーーーー!!”
俺の毛皮にも、無数の牙が埋め込まれてくのを感じた。
そうなるのは、お前が大口を晒したときに、分っていたことだ。
それでも思わず、きつく目を瞑ってしまう。
凄まじい。
まるで、沢山の狼たちに、食い千切られているような。
そんな認めやすさがあった。
「クウゥゥ……。」
尾は勝手に股の後ろへ流れ、情けない鳴き声が、喉から漏れる。
それもすぐ、込みあげる吐血に、流される。
痛みに、耐えられるなどという幻想は、いつも容易く打ち破られてきた。
限界を超えるなど、瞬間的勇気によって、達せられるはずが無い。
俺の限界を悟ったGarmは、俄然焦りだす。
「オイ、テュール、ヨ…!!早クスルンダッ!!」
「コノママデハ…ギャアッッ!!…コイツガドウナルカ…マダ、分ッテイナイノカッ!?」
「屍ト成リ果テテカラデハ、遅イノダゾッ!?」
「ククッ……。遂に、本音が出たな。」
彼らが暮らす世界の’友達’として、俺を受け入れられぬ。
ならば直々に、一族として受け入れてやる。
そう宣っておきながら。心の内では、違うのだ。
お前は、未だに俺を眷属の一員とすることを、躊躇している。
その優しさには、覚えがあるぞ。
すぐにでも、改めた方が身のためであることもな。
「俺はっ…俺はぁああああっ……!!」
「それを、その最後の ‘迷い’さえ、捨て去れと言っている!!」
「さもなくば、敗れるぞ!…Garmゥゥゥゥ…!!!」
俺は四肢に力を込め、いよいよその瞬間に赴くことを合図した。
それは、こうして噛み合った以上、避けられぬ運命でもある。
“終わりにしよう。”
“コノ…愚カモノガァァァァアアアアアアアアアッ……!!”
俺たちは互いに、十分な程に相手の匂いを嗅ぎ取った。
二度と、忘れることはないだろう。
そのつもりがなくとも、案外覚えているものだ。
それを再び嗅いだ時、記憶が形を成す。
狼は、一度遊んだ仲間を、忘れない。
だから、もう離れよう。
最期の力を振り絞り。
俺は首を振るった。
Garmもそうする。
ブチチッ……
ブッシュゥウウーー……。
俺たちは離れ際に、互いの首筋の毛皮を食い破る。
「……。」
“……。”
噴き出す返り血で表情を艶やかに魅せながら。
俺とGarmは、狼の惨めな断末魔を、森中に響き渡らせたのだ。