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107. 手遅れ 3 

107. Death runs my Black Veins 3


“…ソウカ。”

そう長くは、かからない。

俺はそう直感すると、この一瞬に全力を振り絞ることに決めた。

目の前に立ちはだかる難敵を退けた後にも、やるべきことは山積している。

ここで満身創痍でいては先が思いやられるのだ。少し、体力を残しておかないと。

しかしそれについて、憂慮することを止めたのだ。


やらねばならぬ雑事は、枚挙に暇がない。

俺はもう一度Teusを背中に乗せて、今度こそゆっくりと談笑を交わしながら、また互いの勇ましい様を褒め称えながら、長い帰路につかねばならない。

その間に、彼の体調に異変があったとしたならば、俺は今度こそ死ぬ思いで泥濘んだ獣道を駆けなくてはならないのだ。

それから、ヴァン川を注意して渡らなくてはならない。

秘密の抜け道を、披露してやろう。こいつは驚くだろうなあ。

残念にすら思い、恐れを抱くやもしれぬ。

だが、俺たちは帰るのだ。

ヴァナヘイムへ。


お前が、共に暮らすと決めた群れ仲間たちと最愛の妃が待っている。

受け入れられなくとも、構わないけれど。

俺は彼らを落胆させるような狼でありたくはない。


それに、そこからが一番、大変なのだ。

考えるだけでも、億劫な程だ。


Teusは、Skaに許しを請うだろう。

俺は、その隣にいなくちゃならない。


本当にお前は、酷い過ちを犯した。

その時は、君を捨てる、などと。

よくもまあそんな冗談を言えたものだ。


どうして、己の敗北を予感した?

こうなることが、お前の眼には見えていたというのか?


だとしたら、ふふんと笑ってやる。

偉大なる英知の眼であろうと、やはり大狼のそれには、及ばない。


どこまで、先を見通せるか。

その距離が、問題なのだ。

何処まで、見通せるか。


俺は、負けを認めるかも知れない。

しかし、俺が望んだとおりに、敗北する。




…俺も、帰らなくてはならないんだ。


俺も、その傍らで。皆の前で。

詫びなくてはならないのだ。


Teusのことを、護れなかった。

すまなかった、と。



それまでは、何とか四肢を踏ん張って、口が聞けるぐらいには、元気でいなくては。

…そう、余裕ぶっていたんだがなあ。



どうやら、厳しそうだ。

俺の眼をもってしても、目の前で慈しみの表情を押し隠すこの大狼には。


どうしても、及ばない。




“グルルゥゥゥォォオオオオオッ…!!”


これ以上Teusから距離を置くことが許されなかった俺は。

控えめな雄叫びと共に、先手を取らされる。


“Garmッー――…!!”


黙ってはいられなかったのだ。

ありったけを、振り絞るしかなかった。


こんなにも仲間へ投了を唆されて。

腹なんか、晒せるものか。




“アア……。此処ニイル。”


Garmの口の端から、笑みが途絶えた。





これはもう、狼同士の取っ組み合いではない。

俺たちは、毛皮に牙を突き立て力量を示すことも、胴に前足を乗せて高所を保つことも、意味がないと悟っていた。

どちらも、縄張り争いの喧嘩を諦めるつもりがないからだ。


次なる新天地を求めて彷徨い歩く一匹狼でも、致命傷に至った噛み傷に苦しむよりはましだ。

孤独に押しつぶされても、頭は割れたりしない。

幾ら腹が空いていても、吐き気に変わったりなんかしない。


生きるんだ。

そう、思えない。



一歩も、譲ってはならない。

群れの長として、護らなくてはならない。


“懲リナイヤツダッ…!”

周囲の音が、歪む。


それ故に、俺たちはやはり狼を止めなくてはならなかった。



彼が悪態を吐くのも、分っていた。往生際が悪いと、言いたいのだろう。

それでも俺は卑怯を厭わず、優位の姿勢を保ち続けてきたGarmの足元にぐいと潜り込む。


体格は、全くもって互角だと言って良かった。低く構えて唸り続けていたのが、俺に僅かな優位を齎したのだ。

“コイツッ…!”


それが彼にとっての意外であったのは間違い無かった。

頭部を割れるほどに酷く踏みつけられて置きながら、恐れず懐に迫ってくるとは、痛い目を見ても覚えぬ愚か者のすることだからだ。

意表を突くのにだって、それなりの覚悟がいる。リスクを取らなければ、勝ち目はない背水の陣を構えたのだとしてもだ。


少なくとも、俺たちは決死で、それでいて捨て身で動けない。

抱えている者が、いるからだ。

我が身を顧みずぶつかるのは結構だが、それで力尽きた暁に、誰が化け物どもからTEUSを守るのだ?

己を投げ出してまで、我が親友を救ってみたい。それはとんだ我儘であると言わざるを得ない。

彼に笑っていて欲しいのなら、俺は生きざるを得ないのだ。

…そうか、ではやっぱり俺は、少しだけ体力を残しておかないといけないのか。

これは、難儀なことだ。


お前も、そうだろう?

その子の名前を、俺は知らないが。

ヴァン川の向こう岸で、何を汚すつもりでいるのか考えたくもないが。

俺たちをそちら側へ招き入れた後には、笑って彼女に向き直ってこう言うのだろう。


怪我ハナカッタカ。オ嬢ヨ。

サア、冒険ノ続キヲ一緒ニシヨウ。


そう微笑みかけるために、少しは力を残しておかなくてはならない。

分かるよ。俺達は、多忙なのだ。


それなのに。

それなのに何故、俺はこんな一手をGarm に仕向けたんだ?


Garmの瞳は、僅かに泳いでいた。



命が溢れんばかりに惜しく、それでいて勝算があるからでもない。

負けを認めるつもりもない。


“何故ダ…?”




簡単な事だ。

俺が、望んだ通りにする為さ。

やった通りには、決してなるまい。


この一撃は、お前を刺さない。

しかし、必ず俺が狙った通りに、大局は流れる。


その為の、契機を。

お前の内に見出したい。


「ここだっ!!」


Garmの前足が浮くのが遅れた。

もう踏みつけの動作では間に合わない。


さあ、来るんだ。


“グァァアアアッー――――!!”


彼の雄叫びに呼応して、俺もがばっと頭を擡げ、顎が外れんばかりに口を開く。

“グルルルルゥゥゥゥ!!”

そうだ。

その牙だらけの大口を開けて、応戦しろ。




間近で彼の口の中を眺めると、なるほど狼の口元に近づくことは恐ろしいと言われる理由が分かった。

彼はやはり、幾つも狼の牙を口の内側に閉まっていた。

これは一匹が有してよい数の犬歯ではない。

その舌を捲ったら、もっと多くの牙が生え変わるのを待っていそうだ。

鋭利な刃先をでたらめな方向に伸ばしながら、喉の奥までびっちりと並んでいる。


「それでは、あの子を口に咥えて、運ぶこともままならないのではないか?」

“ウルサイッ!!”


俺がそうせせら笑うと、Garmは逆上した。

やはり気にしていやがった。

面白いな、やむにやまれずTeusを口の中に入れてみたが、意外とあいつは何ともなかったぞ?

お前もやってみたらどうだ?

できないか?


大切なオ嬢を救うために、その時が訪れるかもしれぬ。

それに備えてはどうだ?

俺は出来なかったが、是非ともそう勧めようぞ。

なあ、Garm?


“黙レエェェェェェッー―――!!!!”


彼はますます激昂し、口が裂けるほどに大口を開いた。

いいや、口の端が裂けている。

肉が糸を引いて、頬を破いているのが内側から分かった。

そこまでして、飽くまで俺に狼として勝つつもりか。



基本的には、牙の見せあいでは、口を大きく開いたほうが勝ちとされることが多い。

両前足を上げてぶつかり合った時に、相手の口ごと覆って噛みついてしまえると示せば、それで委縮させてしまえるからだ。



実際、その悪役らしき振舞いには怯みそうになる。

昔から、こちらは低く構えるのが苦手でな。

溜まらず、眼が潤んでしまうのだ。



だが、言ったはずだ。

これは、狼どうしの、縄張りへの儀礼的拒否ではない。



もう、悟っているはずだ。

お前の思い通りには、ならない。



“ッ…!?”



俺はGarmのように笑った。




互いの大口がすれ違い、頬の毛皮を滑っていく。



少し早いか、そう思ったタイミングで首を捻ると、相手も同じ動作を示したのが分かった。



“……ウゥッ…ゥ…!”

「グゥゥッ……!」


互いの首筋に、牙を突き立てたのだ。



ようやく、捉えた。

もう離すものか。

俺たちは、互いの胴を密着させて、絡みつく。



“貴様……!?ゥァッ…ァァァッッッ!?”

“クックック……。”


喋っている暇は、ないぜ?

噛みつく口元を緩めて、どうするんだ?




さあ、根競べと行こうじゃないか。


流してみろ。







“…お前の ‘血’ とやらを。”


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