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106. 鉄槌 4 

106. Judges Rules 4


“ワカッタ。”


静まり返った戦場に、幾つもの鳴き声を重ねた言葉は良く響いた。

彼は、穴のあくほど愛しい娘の顔を見つめると、それから優しく頬を舌で舐め、徐に頭を擡げる。



“ソレガ、貴女ノ望ミナラバ。”


“……俺ハ、ソレヲ叶エルダケダ。”


“今マデモ。ソシテ、コレカラモ。”



きつく目を瞑り、痛みに耐え、そしてまるで悔いていた。

何の迷いもなく、主人の言葉に従えなかった自分の愚かさを、甘さを。


“ソウイウコトダ。神ニ愛サレル事ノナカッタ大狼ヨ。”


しかし次の瞬間には、その態度に彼は、微塵の迷いも残してはいなかったのだ。

Garmは疑いようもなく、彼の生まれた世界によって、愛されていた。

その瞳はどれだけ汚れ、淀んでいようとも。生きる意味を与えられ、それを湛えている。


“俺ハ……オ前ヲ迎エヨウ。”



“此方ヘ、来イ。”

誇りに満ちた、口調だった。

そてでいて実に不本意であっただろう。が、そんな素振りは(おくび)にも出さない。

人が手を差し伸べるように、鼻先を恭しく彼女の方へと向けて示す。

口調だけでも滑らせて嗤い、対等に俺を扱おうとしてこなかった彼が、狼が変わったように礼を尽くす。


“ソイツハ、ソノ場ニ置イテイケ。”

だが、客人を持て成すようには、言いつけられていなかったらしい。

彼は俺が僅かに視線を逸らした先で震える男を、歓迎するつもりがないと釘を刺した。

もとより番狼とは、主人の為にそうでなくては困る。侵入者に尻尾を振って近寄るようでは、とてもその任は務まらない。

あのSkaでさえ、普段は愛想を振り撒くのをぐっとこらえているのだと強調していた。

実際にそうなのかは、主人に聞かねば分かるまいが。


「……。」

しかしそれは、到底従える指図では無かった。

俺は自らの敗北を認め、たった一人の友人を、見捨てることを意味するからだ。


自分の縄張りに固執する以外の戦う意義を、失う。

そしてその点に於いて、一度でも優位を示された俺は、投了の礼儀を忘れていた。

彼は、他でもなく、それを促していた。

「…さっさとこの場で寝転がり、腹を見せろ、と?」


“ソウ言ッタ、ツモリダガ…?”

彼は賢い狼のように首を傾げ、あたかもそれが挑発となってしまったことに遅れて気が付いたように、口の端を歪めて嗤った。

Garmの前に進み出て、いつでも首の毛皮に牙を突き立てることの出来るような距離で、腹を晒して寝転がり、無抵抗になれ。

俺は、遠回しに、そう命令されているのだ。


こちらも、嘲笑うことで返したい。

それを、ぐっと堪えた。

形勢は、交渉においてはっきりとさせておくべきだ。

まだその余地があると、俺は考える。


「こちらの言い分には、まるで聞く耳を持たぬって感じだな…。」

“貴様ニ選択ノ余地ナド、アルモノカ。”

ああ、そうだろうよ。

元よりお前に、無いようなのだからな。


しかし、これくらいは答えてくれそうだ。

そう思えるぎりぎりのラインを、俺は選んで尋ねる。

「では、こいつをこの場に突っ立たせておいて、誰がその化け物どもの面倒を見てくれる?」

遠回しに、Garmの手足の延長として操られている彼らの実態を探ってみる。


“知ッタコトカ。己ノ身ヲ護レヌヨウナ獲物ナド、狩ラレルノガ定メダ。”

なんだ、意外と気が合うじゃないか。

同感だ。そんな間抜けは、この森に立ち入ってはいけない。


“……ト、言イタイトコロダガ。”



“…良イダロウ。オ前ノ踏ン切リガイツマデモツカヌノナラ、望ミ通リニシテヤル。”


「……つまり?」

彼は礼儀正しく、Teusから目を逸らす。


「俺が変な気を起こさず、素直に縛り上げられたなら。」


「…こいつは無事に、ヴァン川を越える、のか…?」


彼は、俺からさえも、目を逸らした。

存外、情に厚いのだ、そう思ってしまいそうになる。

少なからず、自分の立場を俺に重ね合わせている部分もあるのだろうか。

彼を鏡写しだと考えるのを、奥底で避けている。それが何よりも強烈な裏返しだった。

俺が命を賭してでも、彼を窮地から救い出すような。

そんな美しい最期を描きたがっている。

心から、彼にありがとうと言ってもらえるような。

幕切れを。


それが、痛いほどに分かると言うのだ。



下らないな。



俺は、予てよりそう願い続けてきたにも関わらず、反射的に同意しかねた。

どうしてだろう。

互いが、強烈に似通った意思を秘めているがゆえに。

互いが、何処か違く、僅かに勝っていたいという思いを押し隠せないのだ。



俺は絶対的な勝利を彼に差し出す代わりに、

有終の美を、我が友のために捧げることを許されよう。


それで、取引としてやると。


「……悪くない、な…。」



表面上の同意ではあった。

しかし、Garmもまた、そういった悲劇に憧れているのだろう。

僅かでもそう慮られる時点で、俺にはその節があることになる。


「実に、魅力的だ。」

「Fe…Fenrirっ…?」


「もう一つ、もう一つだけ、聞かせろ。凱旋の将よ。」


俺はこいつがまた喚き散らすのが面倒くさくて、そして少しでもGarmの機嫌を損ねたくなくて、声を張って周囲を制した。


まだだ。

まだ、聞いておきたいことがある。


まだ、Teusが、隠していることが。



「俺は、お前の、‘友達’になると言ったな…?」

俺には彼女の意図することが、少しも理解できぬ。

お前が何故、逡巡の後、その命を受け入れたのかも。

きっと隣で泣いているこいつも、その意味がぼんやりと形を成しているのだろう。


“ソウダ。ソレガ、オ嬢ノ…望ム、俺ノ幸セナンダ。”

「……。」


わからない。

どいつもこいつも。俺だけが置いてけぼりの気分なんだ。


俺が、’友達’ を知らぬ怪物であるからなのだろうか。



それならば。仕方がないな。



「Teus……。」



俺はゆっくりと振り返り。

唯一、友達と思えている人間の名を呼んだ。



「Teus。」



「俺は、あいつの ‘友達’ になる……。」




「そのために、俺は…。」




「俺は……。」










「死ななくては、ならないのか?」




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