106. 鉄槌 2
106. Judges Rules 2
なんてことだ。
悪態を吐きながらの立ち回りも、俺はそう長く続けてはいられないらしい。
偉大なるGarmに格付けを済まされ、相対する敵の難易度をぐっと引き下げられたとばかり思っていたのに。
俺は彼の足元で這いつくばるような狼の紛いもので、彼に毛皮を逆立てることすら許されなかった。
これでは悲劇にもならぬ。もう一度自分と張り合いたければ、まずはこいつらを片付けてからにして貰おう。
出来るだけ、てこずると良い。
それまで自分は、’オ嬢’ の相手をして差し上げなければならないのでな。
白肌の軍勢に隔てられ、遥か奥で和気藹々と戯れる彼と少女をもう一度睨みつける。
獲物は常に狙い澄まさなくてはならない。此方だって、延々と相手をしてやるつもりは毛頭ないのだから。
そう、あいつらは、つまらぬ試練を課した。
そのはずなのだ。
「随分とっ…」
「小癪な、真似をぉっ…!!」
それはまるで、悪役の吐く台詞だった。
雑魚ども相手に、この俺が手を焼くなど、あり得る筈がない。
俺を誰だと、心得ているのだ。
アース神族の長までもが恐れた、悪名高き大狼。フローズヴィトニルであるのだぞ?
その名を誰よりも忌み嫌ったであろう俺は、今までで一番、そう名乗るのに相応しい瞬間を味わっていた。
この期に及んで誇りを繕う醜い様を、お道化てみよう。
言うなれば、孤立した魔王。最後の一匹だったのだ。
自分は今、生半可な大志を抱いた正義に、確実に追い詰められつつあった。
初めこそ俺は天より堕とされた悍ましい異形の肌色の不気味さに気圧され、頭痛も相俟って警戒の動きがぎこちなかった。
しかし、対峙してみればどうということは無い。彼らは、ただ産まれたばかりであるのだと分かった。
ちょうど、洞穴でアウアウと不思議な鳴き声を響かせる仔狼の纏う毛皮が短く濃淡のはっきりしないせいで、別の生き物の仔に思えるように。
覚えている。股の部分は、毛皮が剥げているので、子豚のようにピンク色の肌を覗かせた、ちょうどあの驚きだった。
彼らは今までの脅威とまるで変わらぬどころか、寧ろ覚束ない足取りで立ち向かって来たのだ。
多勢に無勢を思い知らせたかったばかりで、間に合わせの軍勢であったという訳か。
そう見透かした俺は、これは一息をつけるとゆったりと構えなおし、脳を刺激せぬよう毛皮をぶるりと震わせたのだ。
しかし、何かがおかしい。
どういう訳か、俺は苦戦を強いられた。
確かに俺は、運の悪い一生を送って来た。
それは、隣で泣いている友達が捨てたがった、俺の神様のような力の一端なのだと思う。
それにしても絶妙に不運が、重なり続けていたのだ。
「邪魔だっ…このっ…くそがぁっ…!!」
彼らは一貫して、俺とTeusの命を脅かすよう命令を植え付けられているようだった。
大狼と組することが出来そうなデカブツは、パンパンに膨らんだ筋肉を揺らしながら、悪質なタックルを仕掛けてくる。身を以ての囮は数ばかりにものを言わせてきて、段々とその死骸に足を取られるようになりつつある。
それでも奴らは、幾ら負傷した俺であろうとも鼻であしらうことの出来る一撃だった。
Garmの反撃に比べれば、止まって見えたのだ。どうしてこいつらで、地獄の番犬の代役が務まると考えたのだろうか。そんなにも俺が、戦意を喪失しつつあった負け犬に映ったのだろうか。
あともう少しの致命的な一押しで、心が折れてしまうだろう、と。
彼らの先陣には、それ自体に何の狙いも持ち合わせていなかった。
問題は、Teusを押し倒すのにちょうど良い、言うなればSkaぐらいの体躯をした奴ら。
それから、俺が後ろ足で立ち上がらなければ届かぬ高さで飛び回る、あのうざったい狙撃手。
彼らが鬱陶しくて、不愉快極まりない。
化け物の一体ずつを対処する、その絶妙な一息の合間を狙って、注意を逸らそうとちょっかいを出してくる。
それぐらいは、寛大な俺は許してやれた。
かすり傷にもならぬその攻撃を受けてやっても良かったが、反応しても大した負担にならなかったので、爪で血の槍を弾くなり、犬コロを踏み潰すなりして構ってやっていたのだ。
だが、それが無意味であると知るや、小賢しい。
奴ら…生み出された意義を、完全に切り替えやがったのだ。
此方が視界を遮るほどの巨体をした化け物の首に致命の大牙を突き立てる間に、あいつらの動きはどうかと耳を澄ませる。
まただ、この時を待っていたと言わんばかりに、蝙蝠羽の死肉の大群どもが、弓矢を一斉に放った。
降り続ける雨に比べれば、その数は無数にほど遠い。
それらを避けることは、はっきり言って容易かった。
毛皮を震わせて雨と一緒に弾くのは、もっと疲れなかった。
しかし、Teusはどうだ…?
とても躱し切るなんて出来ない。
一本の矢でさえも、俺に弾道を逸らして貰わなくては、致命傷を負いそうな奴なのだ。
神様の端くれなんだと嘆くなら、防御円か何かを用意してくれてもよさそうなものだが。
兎に角目の前でべそをかくこいつは、戦場で仁王立ちするのに、相応しくはない。
俺は、降り注ぐ火の粉の盾とならなくてはいけない。
すぐさま、Teusの目の前に立ち塞がり、もう駄目だと目を瞑る彼の救世主となる。
それが、予てより望んできた、俺の活躍の瞬間に他ならない。
ヴァン川の向こうで暮らす、あの狼たちのように。自分だってこの友人を護ることができる。
何食わぬ顔で、そいつの前に立ってやれば良い。
怪我は、無いか?そう気に掛ける素振りも見せて。
まあ、するはずが無いよな。などと自己満足に浸る。
そして礼を述べる彼に、これぐらいは、どうということは無いのだと笑うのだ。
また俺は、周りを取り囲む軍勢に立ち向かい、延々とその脅威を取り除き続ける。
再び、Garmが痺れを切らすまで。
その娘が退屈だと文句を垂れたなら、すぐさまこんな惰性の殺陣を止めなくてはならないのだろう?
そうしたら、もう一度お前は、彼女を危険に晒さなくてはならない。
勝機は、必ず訪れる。
そのはずだ。
だからそれまで、耐えるんだ。
「どけぇぇぇえっ!!……グルルルルゥゥゥゥァァァッッッ!!!!」
それなのに。
今まで陳腐だと退かせてきた、四つ足の獣たちに、足止めを食わされる。
全員が総出で、俺の救出劇を、よりドラマチックなものにしようとする。
ほんの一瞬の対処が、無数に続き、遂には立ち止まって全員をなぎ倒す。
それから猛スピードで彼に迫り、間一髪のところで触れさせまいとする。
もう、彼にずっと張り付いていた方が良いのではないか。
そう思っても、俺をTeusから引き離そうと、絶妙な位置から新手がまたも巨体で轢き殺そうと襲ってくる。
ぶつかり合って巻き込んでは、流石に一溜りもない。
面倒だがTeusを咥えて、安全な場所に退かせてから、そいつの息の根を止めるしかなかった。
無論、もう彼を背名に乗せての応戦は出来ない。
ほら、もう次弾を装填し終えたようだ。
来るぞ。
急がなくては。その一手、それ自体は読めているのだ。
次は、もっと余裕を持たせて構えないと。
流石に息が続かない。
「だ、めだ…」
間に合ってくれと、祈るようじゃ駄目なんだ。
それでは、何れ不運に微笑まれる。
「ティ…ウ……!」
距離が。
距離が、離れつつある。
届かないのだ。
俺は、一匹しかいない。
今まで目にもとまらぬ速さで、二役を演じてきただけなのだ。
一斉に槍の雨が放たれ、俺達を穿とうと降り注ぐ。
空を仰ぐ余裕も無かった。
もとより、白い斑点が浮いているだけで、曇り空を眺めるような楽しさは欠片も無かったのだが。
「グルルァァァァアアアアアアアアア゛ア゛ッッッ!!!!!」
トスッ…
ドスッ、ドススッ。
「くっ…」
「あ、う、あぁ…」
「こいつ、ら…」
不運に好かれ過ぎたのでは、無かった。
誰かの意思が、強くはたらいたのを、俺は感じた。
「……。」
初めて、俺の毛皮に、棘が刺さった。
Garmの爪に比べれば、木の枝のように脆かった血の結晶が。
数本ではあったが、頑丈な皮膚を、貫いたのだ。
俺など、まるで眼中にない。
露骨に照準を、Teusに定めている。
彼の首を獲るために、全員が犠牲となることを、承知している。
この場にいる全員が、一つの感覚を、共有しているのだ。
Garmの意思に、繋がれている。
「お前が…彼らの存在を、率いているのか?」
もしそうなら、こいつらは…
この世界の住人とは、一体何者だ?
その少女は、無尽蔵に溢れ出る彼らの、どんな権利をお前に授けた?
「Garm…わたし、貴方にプレゼントを思いついたわ。」
“ソウナノカ…?”
“…アリガトウ、オ嬢は優シイナ。”
最愛の主を包み込み、大狼は眼を細めて、今も笑っている。