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103. 狩り尽くされた縫合体

103. Overhunted Amalgam


(すんで)のところで踏み留まると、巨大な鍵爪の切っ先が唇の端に触れたのが分かった。


有り得るだろうか。ぎりぎりまで、気が付かなかった。

全身の筋肉で反応し、慌てる間もなく爪の流れる方向へと飛び退(ずさ)るが、しっかりと獲物の口先を見据えた一撃は、この戦いの中で初めて俺の頬の毛皮を捉えたのだ。


「っ…!?」


背中に乗せていた彼と共に、地面を引っ掻いて静止する。

赤い水溜まりが、その軌道に沿って飛沫を上げた。




確かに、避けた。

危うかったが、そう思えた。


「な…んだ、と…?」


俺の方が、素早く身を(こな)した筈だ。

それなのに。


血が、うっすらと毛皮を伝うのを感じたのだ。


浅くて掠った程度だと、痛みで分かる。

しかし、この自分が傷をつけられたこと。

自分の反射を遥かに上回る追撃を、相手が披露して見せたこと。

その事実が、俺を酷く動揺させたのだ。



だから、その力に溺れて驕った狩りをするなと言ったのだ。

俺は先までの優雅を気取った動きを、直ちに改めなければならない。



“ダイジョウブカ…オ嬢?”


その(ばけもの)は、面喰って呆然とした俺を見向きもせず、その少女を気遣う様子で顔を寄せた。

ぎりぎりまで頭を下げると、舌先で頬を舐めて喜ばせたりなどする。


「ありがとう!Garm、何処へ行っていたの?」


くすぐったいわ。悲鳴を上げて鼻先に抱きつくと、彼女は友達と思しきその狼の名を呼んだのだ。


“何処ニモ。…俺ハズット、オ嬢ノ傍ニイル。”

「嬉しい!ずっと一緒よ?」

“アア、モチロンダ。”

ぐるるると、喉の奥で甘えて唸る。



“ソレデ……”


人には分からぬ言葉で意思を伝えていたそいつは、生き物とは思えない眼球の動きだけで此方を睨みつけた。

ぎろり、とは違う。そんな擬音では似つかわしくない。

眼玉の裏が脳へと繋がっていない。瞼の裏で満たされた液の中で、ぐるぐると回っているだけのようだったのだ。


“コイツハ、オ嬢ノ敵カ?”


剥きだされた牙も、良い歯並びとは決して言い難い。

けれど、どれもが犬歯に匹敵するような二本の寄せ集めであると言えるぐらい、鋭く研がれていた。


“オ嬢ノコトヲ、傷ツケヨウトシタノカッ!?”


声も。

喉の奥から絞り出すようで、聞いていられない。

下手くそなグラウル・ボイスだ。とてもその調子で喋り続けてなどいられないだろう。


“許サヌ、彼女ニ手ヲ出スナド…許サンゾッ!貴様ァッ!!”


けれども、そのどれもが、彼の持つ風貌の悍ましさには及ばなかったのだ。


「F、Fenrir…」

「あ、ああ……。」


恐怖に打ちのめされ、Teusが嗚咽交じりの息を漏らす。




「あれは…’狼’ なの…?」

「……。」



“グルルルルゥゥゥゥァァアアアッッッ!!!!!”



その疑問に、俺は不用意に答えてはならないと思った。


「おおか、み……?」

その身体は、悲劇を欲していたからだ。



Garmと名付けられたその大狼は、不思議な毛皮を身に纏っていた。

最早背景を赤黒く塗りつぶされたこの世界では、それが何色であっても、俺の灰皮とさして変わりは無かった。

鼻で擦って突く愛撫を見せたなら、微かに懐かしい同胞の匂いが嗅げるのだろう。


しかし、よくよく目を凝らせば、所々で毛の流れや、色合いの濃淡が違っていたのである。

輪郭がはっきりしないのは、そのせいだ。四肢に不自然に生えた長い毛や、禿げかけた肩の毛など、所々で不自然極まりがない。前者は背中にあるべき毛皮、前者は腹の薄いそれのように思える。


奇妙な物言いを承知で、彼の全身は、様々な毛皮を寄せ集めて作られたようだと言えた。



だが、そいつを狼と呼ぶことを難しくしていた原因とは、彼が身に纏っていた、別の何かだった。



「毛皮が…蠢いて、いる?」



口にしたとて、決して合理化されることはない。

俺が威嚇のふりをして逆立てる背中でも、周囲に意識を向ける意味でぴくぴくと動き回る耳の周りでも、こんな風には毛皮は動かない。

意思を持っているかのように、ぐにゃぐにゃと揺らいでいる。


…いや、良く見ると、彼の毛皮に埋もれて、何かが張り付いている。


血走っていたが白くて、溶け込んでいたのだ。

あれは…?




「う、あ…あぁ…。」



酷い。

酷すぎる。



百足だ。



白い無数の脚を這わせ、巨大な百足の群れが狼の毛皮に張り付き、走り回っていたのだ。




一匹だけで、Teusの全身をぐるぐる巻きに取り囲むことができるだろう。

そんな昆虫の群れが首筋を這うと考えただけで、全身に悪寒が走って毛皮が逆立った。


余りにも、惨い。

寄生でも、されているようだ。

奴の身体は苗床として、歩く巣窟として食い尽くされてしまっているのかも知れない。


彼の腹を切り裂くことが許されたなら、小さな子供たちが弾け飛ぶ様子を想像してしまって、喉の奥に変な唾がたまる。




そして、極めつけは。

その百足の正体。



彼が痛みに泣きださないのが不思議なほどだ。



それは、’縫い痕’ だった。



百足の胴がぱっくりと割れて、その隙間から、黄色く膿んだ肉が顔を見せている。


縫い痕が移動すると、その傷口は尾の方から閉じられ、そして彼の口から、新たに傷口が開かれていく。





“ウウ……ウゥゥ…”



常に全身で、毛皮を切り刻まれ続けている。

縫われたかに思われた毛皮と毛皮の境界は、また別の百足によって傷口とされ、それが通り過ぎるまで開かれたまま。


そんなことが、生きながらに延々と行われ、一匹の皮をようやく保っていたのだ。



「こ、こんなの……!」





おろおろと首を振りながら後ずさり、本能的な恐怖に尾を股へ挟み込む、





「狼、…なんかじゃない!」




心の底から、俺は怪物に怯えた。

怯えて、叫んだのだ。





「お前は、狼じゃないっ……!!」

まるで狼を、恐れるように。






「ねえ、Garm。私を背中に乗せて?」




そいつを少しも怖いと思わぬ少女のことを。

俺は同じように怖がったのだ。





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