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102. 霜の血 3

102. Jotun’s relative 3


愛おしい。

それでいて悍ましい光景は、着実に俺の毛皮を染め上げ、蝕んでいった。

最早この世界は、充血しきっていたのだ。


真っ赤な空が、森のあらゆる景色を黒く落とす。

永劫の夜だ。空には、血染めの月しか登らぬ。

にも関わらず、これが地獄界の夢であるという感覚は、少しもなかった。



沼の底から、次から次へと湧いて出る化け怪物たちよ。

俺が読み耽った冒険の物語の中で、彼らは、悪役とは、そのような姿をしていたのだったか。

生気を失った表情の奥に宿る眼光。風を孕まぬ汚れた翼。

異形どうしを掛け合わせた骨格、剥きだし変色した筋肉。

耳障りな叫び声と、耐え難い汚臭。


がっかりだ。

もう少し、かっこよく見えていたのに。

お前たちは、その牙と、爪を持ち合わせるに相応しくない。


小さい頃からずっと、応援していたのだ。

どれだけ恐れられ、蔑まれようと、決して哭かない貴方たちのことを。

寧ろ、心配していたぐらいだった。

耐え難く、寂しくは無いのだろうかと。

同じような立場に置かれた自分は、到底みんなのように気高くなんて振舞えない。


そう、彼らと自分を重ね合わせていた根底には、漠然とした前提が横たわっていたのだ。



僕は、きっと悪いことをしてしまったんだ。



それが容貌を含めた、すべてであること意味すると程なくして分かったとき。

俺は自分が狼であることを、悪役であると捉えることに抵抗を持たなくなった。


貴方たちに出会っていなかったら、疾うの昔に心が折れていたよ。

俺は牙を剥いて、見送ってくれた人間たちに決別の言葉を放つ勇気なんて持たずに済んだはずなのだ。


そうしたら、俺はその場で泣きじゃくって。

誰かが助けてくれるんでしょと駄々をこねて。

五月蠅い獣だと黙らされ、凌辱の果てに、その場で殺して貰えたかも知れないんだ。


どうして、貴方たちにでもなったつもりで、この森に一匹で入り込むことを選んでしまったのだろう。

恰好良いとでも、思ったのだろうか。ただ凄いなあ、でも心配だなあ。でもちょっと羨ましいなあ。

そんな良い子の背徳感に、スリルを味わっていただけの筈なのに。


何故、僕の小さな背中なんかを押したんですか?


この森へと僕を引きずり込んだその手で、

今度は俺を、魔物の世界へ招き入れようと言うのか?



「…それは出来ない。」



もう貴方たちは、皆の世界を侵す悪役なんかではない。


たった今、立場は逆転した。


俺が、侵すのだ。

この俺が、踏み躙っている。


縄張りを取り戻そうと奮闘するこの俺が、正義にでも見えるか?

先代の狼が大義を果たさんとすることが、そんなに名誉あることだとでも?


馬鹿らしい。

それはこいつらに、何の関係も無いことだ。

俺の森を奪ったのは、意思の意味でこいつらではない。


彼らは、侵されているに過ぎない。



たった今、俺が悪なのだ。



お前たちが正義だとは、言わないさ。

しかし、お前たちが途端に醜く見えたのは。


きっと悪という名の化けの皮が、剝がれてしまったから。



「Fenrirっ…ねえ、Fenrir……」


相も変わらず、凝固した血反吐の棘を飛ばす(けだもの)が鬱陶しい。

頭上でしつこく飛び回っていた羽根つきの蜥蜴を叩き落とすと、頭部を踏みつけて動けなくしてやる。

断末魔が気に喰わなかったのだ。動物のように哭いていれば良いものを。

前足を被せて、踏み潰すのが良いと分かったのだ。

感触は、あまり宜しいものでは無かったがな。



ブチュッ…



さまざまな種の動物を掛け合わせたようなその姿を、俺は知っているぞ。

確か、合成獣とか言ったよな。どこかで読んだ。

見るも絶えぬ身体のバランスをしていたそいつは、膨らんだ腹に四肢をよろめかせながら、大口を開き向かって来た。

なんだ、喉の奥から、切り裂いて欲しかったのか?

経験から語らせてもらうと、苦しいぞ。


前足を浮かせ、頭部だけを突っ込んで食わせてやると、喉の内側を食い破り、そのまま下顎を切り落としてやる。



ドブッ…ドポポ…

ブッシュウウゥゥゥゥ……。



一番、親近感のようなものを覚えていたというのに。

貴方はもう、嘗ての俺ですらないのだな。




「ねえっ、Fenrirってばぁっ!!!」



……?

「ああ、分っている。」


「ちゃんと、お前のことは見えている。」

「……?」

「その声も、耳を揺らしているさ。」

何も、お前を(ないがし)ろにしようと言うのではない。

お前の為に、邪魔者を撥ね退けてやっている延長に過ぎぬのだ。

それなのに、そんな顔をしないでも良いだろう。



まるで俺が…。



彼には、人間とはかけ離れた存在を相手取っているとの証言済みだ。

だからこんなにも、躊躇が無いのだが。

もしもこいつらが仮にも人の姿をしていたら、とても戦うどころではない。

ヴァン神族と対峙した時に、己の度胸の限界を思い知った。


どれだけ相手を正義だと認めようとも、俺にはなり切れぬ狼の姿がある。

やはり俺は、貴方を越えられない。

超えてはならぬのだ。彼の前では。



「さあて…。」

やはりお前には、絶えず声をかけ続けてもらいたい。

調子が幾らか狂う必要がある。

お前は、俺を俺らしくさせない力を持っているからな。


「Fenrirっ…今の、見たよね?」

「う、む……」

口の周りの血を癖で舐めとると、あまりの不味さに口の端が歪んでしまった。



「…ようやくの御出ましという訳だな。」

「あれが…この世界の元凶、なの…??」

「そう言うべきだろう。」

「……。」


「どうした?」

「い、いや…。」


この時点で、俺のはったりが裏目に出てしまったのだと気が付いた。


「まさかお前、俺が本気であいつを喰ってやると思っているのか?」

「い、いや。そんなんじゃないけど…。」


会話の端々から、探り当てなくてはならない。

忘れるな。Teusと俺は、同じ世界を共有してはいないのだ。


この怪物の波が、こいつにどんな風に映っているのかも定かではない。

ただ、彼らが人間として彼の世界で描かれていないことだけが、拠り所であるのだ。

それさえも崩れ去れば、俺の先までの余裕ぶった挙動は忽ち惑い敗れる。

ただ、彼の眼には、幾らか違った形で映っているであろうことは、その怯えようから見て取れたのだ。

俺には理解しえぬ何かに、気が付いている。

俺が思い起こした記憶にそぐわぬ何かに。


俺が彼に対してかけた鎌とは、つまりこのようだったのだ。


俺の眼にまともに映る彼女は、Teusには寧ろ、悍ましい怪物と見えるのではないか、と。


「でも絶対、不自然だよね。あんな女の娘が、この森を一人で歩いているなんて。」



……!?


ほう…これは驚いた。



「奇遇だな。俺も全く、同じことを考えていた。」



まさか、同じ人物を、別々の世界で目にしていようとは。

つまり、あの少女。間違いなく、どちらの世界も歩くことが出来ている。


一つが、俺にとってはすべてが怪物に移る世界。

もう一つが、Teusにとって、何らかの予感を伴う欠色の世界。




「…しかし、本当にやって来ようとはな。」

「知ってるのFenrir!?あの娘のこと!?」




「…まあ、嗅いだことが無い匂いではない。」


背中に乗れ、Teus。

もとより、この世界の中心を直接叩くつもりであった。

あちらから姿を現したのなら、追わぬ手はない。


「でも…大丈夫かなあ?」

「罠だと思うか?」

「ううん…そうじゃなくて…。」



では、何だと言うのだ。





「あの子…ちょっと、脚が細く見えたから。」




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