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102. 霜の血 2

102. Jotun’s relative 2


いつから俺は、こんな褪せた景色に、深く心地良い溜息を漏らすようになってしまったのだろう。

照れてしまいそうで口には出せなかったけれど、俺は狼である以上に、Fenrirになった気分なのだ。



俺は、この森における冬の始まりを見逃していた。

戻ってみれば初めから、腿まで埋まるほどの豪雪と、吐息の熱を奪う吹雪が行く手を阻んだ。

彼の膝元へたどり着くことさえ、容易ではなかったのだ。

狼の聖域とは、俺たち人間を寄せ付けるべきではない。そういうものなのかも知れないけれど。

契機は、あったはずなのだ。


言うなれば、それがこんな風景。

彼が切望した、神の世界の陰り。


ありとあらゆる木々は枯れ、乾いた樹皮の内に身を籠らせてしまって。

色が言い当てられないんだ。地に広がる薄汚れた雪の、その対比でしかない。


曇天に照らされ、僅かに青い濃淡が、狼の家路へ延々と続くだけ。


耳へと運ばれる音さえも、色素が抜けているようなんだ。



彼が心待ちにしていた、冬の隆盛。

これは、いずれ訪れる逆行。そう思えるほどに毒され、俺は錯乱していた。


春は、終わったのだ。

その一端を、季節の巡りを待たずして共有できたことが、存外に嬉しかったのだと思う。

美しいと言えたのは、そんな巡りあわせに口を突いて出た、相槌に過ぎない。


Fenrirが、喜んでくれるかなと思って。


しかし、今の彼には、俺が柄にもないことを抜かすのが気にくわなかったみたいだ。

少なくとも、それを笑って受け入れるだけの度量が無い。


もしそれが、目の前に現れた、音無しの軍勢のせいなのだとしたら。


彼は、縄張りに蔓延る怪物退治も、厭わないのだろう。




Fenrirが人ならざる者と呼んだ集団は、絵にかいた怪物と、一風変わった様相をしていた。

悪魔の類がこの世界観にそぐわない為だろうか、彼らは初冬の季節にぼんやりと輪郭を滲ませ、暗がりには人影のようにも写っている。


しかし、Fenrirを人間と呼んであげられないのとはまた違った理由で、彼らは人外の風貌を備えていた。

死者だ、そう直感的にわかる。


色がないのが、途端に似つかわしく思える。

自分は、失われた力を取り戻し、死後の世界にでも来てしまったのだろうか。

その景色を美しいなどと言って、隣にいるFenrirが動揺したのも無理はない。

けれど、先のは本心から言ったことで。

ほんとに冬が少しは良いもんだと思えたのだ。


「突然の訪問者とは、いやはやお前以来ではないか、うん?」

「あのー…俺Fenrirに危害を加えるようなこと、しました?」

「そうだな、一緒にしては失礼か。済まなかった。」

「……。」



「大丈夫か?Teusよ。」

「え?な、なにが…?」

「酷い震えようだ。」

「こ、これは……」


「武者震い、だよ…。」

「臨戦中にまで震えている奴がいるか。」

「……ごめん。」

「怖がらなくて良いとは思わん。お前は初めからもっと、俺のことを恐れるべきだった。」

「…Fenrirは、全然怖くなんかないもん。」

「その言葉が、今はとても有難く感じる。彼らとは、違うのだと思えることが、どれだけ心の支えとなることか。」




無論、景色に溶け込むような出で立ちで、彼らの肌がどのようであるかなど、確かめようもない。

増してや今は武具に身を包み、一応は戦闘の最中であるのだ。

人間観察に耽っている余裕は、隣の狼はともかく、全身が強張って歯が鳴る俺は持ち合わせていなかった。



それでもこの屍の軍勢が醸し出す違和感に、俺は狼狽えざるを得ない。



どうにも、損傷が激しいのだ。



戦う前から、既に致死のそれを負っているように見える。


隻眼の穴が脳の裏側まで通じている者。

何らかの刃物で胸を穿たれている者。

右脚が、欠けている者。



もはや彼らが、何故生かされているのか。そのことに疑問を覚えることは無かった。

屍が傀儡として生かされることが、どうしてこの世界で当たり前だと言えるだろうか。

俺の眼は、腐っているのかも知れない。迫りくる屍の群れを何とも思わない程に、この手の話に飽きていた。


そのうえで、這い寄る寒気。

これはきっと、冬景色がもたらす錯覚ではない。




傷ついた経緯にまで目を向けるようになったのは、恐らくFreyaのお陰なのだろうと思っている。

それまでは、瀕死のこの人間が助かりそうかどうか、それしか気にしてこなかった。

だけど、本当にその人の命に関わりたいと思うのなら、その傷がどのようにして与えられたものであるのかまで、知っておく必要がある。

本人の口から伝えられることが難しいのなら、推理しなくてはならない。


それで分かったことというのが、俺を酷く混乱させている。


端的に言えば、その傷口の殆どが、自分には不自然に映った。

Fenrirには酷い言われようだけれど、これでも歴戦の戦士ではあるのだ。

そうでなくても、戦士として雇われたことがあれば、彼らが味方にいれば憐れんだはずだ。



これは、どう見ても、戦で負うような傷跡ではない。



戦う姿勢を見せた者であるならば、こんな負け方はしないのだ。

殆ど、自らの身を護る術を取らなかったのだと分かる。

生前の素性など知る由もないが、その道で素人だと言わざるを得ない。

人のことを言えた義理では無いだろうが、彼らはFenrirを相手取るには、余りにも力不足だったのだ。


生前、彼らは無抵抗に死んでいる。

そんな奴らが、今、どうして俺たちの行方を阻もうとするのだろう。



彼らは、この世界で戦わされているのか。

そんな疑念が頭を擡げ、久々に味わう緊迫感に胃がぎゅうぎゅうと痛む。



「ぼさっとしているのは結構だが、それなら寧ろじっとしていてはくれぬか。」

その方がお前を庇うのが楽だ。変に動かれると、かえってその予測に気を遣う。

「ぼーっとなんてしてないもんっ…!自分の身ぐらい自分で守れる…!」

こう見えても、元々は伝説の傭兵だったんだよ?

「そいつは初耳だ。兼ねてより、お前の武勇伝とやらを語り聞いておくのだったな。」

「は、恥ずかしくて言えない…そんなの。」

「だろうな。」


ブスッ…ズチチッ…


また自分の視界が及ばない背後で、肉塊が彼の爪に貫かれ、飛び散る音がする。

己に降りかかる奇襲など、間一髪のところで、無かったことにされてしまうのだ。

「あ、あ、あぁ……。」

「お前が生き延びてきた秘訣というのが、まさかこんなしょうもない種であったとは。」

「う、うるさいなぁ…!」

伝説の幻滅は慣れたものだけれど、その態度には憤慨せざるを得ない。

そんなに虚仮にしなくたって、良いじゃないか。

ちょっとショックだよ。君が思うよりは、無力な神様じゃないと思っていたのだけれど。


彼に命を助けられることまでが、自らの強運として、織り込み済みである。

そのことに気が付き始めたFenrirは、突如として嗤い出したのだ。


「まあ良いさ。一度で良いから、こうした窮地に佇むお前を、救い出してみたかった。」


「非力で心優しい、神様のことをな。」


「そうしたら、俺も英雄の類として、少しは皆に感謝されるようになるだろうか?」


「どうだ。お前は男であるから、守られる側である感覚をあまり知らぬだろうが。」


「なあ、どう思う?Teusよ。」



俺の周りをびゅんびゅんと飛び回りながら、大狼は饒舌に、お道化た口調で話しかけてくる。

こちらはFenrirに向って言い返したいと言うのに、すぐさま移動してしまうので、全く会話が成り立っている気がしない。


「いったん、いったん止まって!!Fenrir!」

「そうか、では死ぬぞ?」


「うわっ!?」


突如として、背後から襲う鈍い衝撃に、首がもげそうになる。

「もういい加減に…!」


……?

慌てて振り返って怒鳴ろうとするも、どうやら人違いだったらしい。

すみませんでした、と謝っても許してくれないか。

“ギィィィィィぃぃぃいいいい!!!”


喉笛を掻き切られ、掠れて漏れた叫び声。

そのまま俺は無様に押し倒され、無防備な体制のまま馬乗りされる。


「しまった…!!」


この期に及んで、武器を携えていないことにようやく気が付いた。

俺は、一体何をぼけっとしていたのだ。


懐に手を伸ばそうとするも、外套が絡まって短刀に届かない。


「Fenrir、助けt……」

「ああ、良かろう。」


ぱんっ、と子気味の良い音が鳴ったかと思うと。

目の前の亡者の首が飛んでいた。



どうやらそれで絶命したらしい。

最近の屍にしては、歯ごたえがなくて助かった。


「やれやれ。自分の身は、自分でどうするのだったかな。」

「……。」

わざとらしい溜息を吐く彼の一言一句からは、先ほどまでの危機感が全くもって感じられない。

自分のことを元気づけようとしていることは、それだけでも十分に伝わってくるのだけれど。臨戦中にその態度というのは、如何なものだろうか。


楽しんでいる節があるのだ。

この修羅場を、狩りか何かに没頭するように。


「ほら、さっさと立て。それとも、腰が抜けたか?」

「大丈夫だから…いいよ、口で拾い上げないで!」

「ふふっ…ならば良い。」


俺から言わせてもらえば、そういう奴から、勇敢にも死んでいく。

だからあまり、そうした態度を彼にはとって欲しくなかったのに。



Fenrirは、躊躇なく無限の軍団を屠っては、合間を縫って俺を気遣うふりをしていたのだ。

その爪で、牙で、四肢で、いとも容易くやってのける。


彼は、紛うことなき、伝説の大狼だった。


「おお、怪我はないな?良かった。」


「今のは、なかなかに危うかったのではないか?」


「安心しろ、それでもお前には、指一本触れさせはしないとも。」


「悪くないな、寧ろ良い気分だ。なんだか、お前と狩りをしているような気分だな。」


「Fenrirっ、前!前見てっ!!」


「おっと…なんて、言うとでも思ったか。」




「違う、あれ!!」




「…ふん。少しは、歯ごたえのありそうな奴が現れたか。」


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