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98. 大いなる精霊 3

98.The Great Spirit 3 


今更急いだところで、日が暮れるまでには元いた根城にはつけそうにないだろ?

一度止まって休もう、落ち着いて君と話がしたい。

それに、FreyaがこちらにSkaを使者として送りたがっているかも知れない。

もしそうなら、尚更何処かで腰を落ち着けなきゃ。位置ずれでも起こしてSkaを森の中に一匹にさせるのは、この状況ではとても危険だ。


「ねえ、Fenrirってば!!」

「ああっ!分かった!!分かったからそうやって毛皮を引っ張るな!背中から振り落とすぞっ!!」

ここぞとばかりにTeusは、俺が怒りを露わにしたときに逆立てる細い表面の毛を捩じる。

強引に意見を通そうと平気で気に障る様なことをしやがって。腹立たしいことこの上なかったが、彼の最後の言い分にだけは一理あったので、俺はしぶしぶ減速して歩幅を狭めた。


こちらから、向こう側へ伝えたいことも幾つかある。

Freyaと直に連絡をとることのできる唯一の手段である彼の要求を、此処は呑んでやるとしよう。


決して息切れをしたのでも、喉が渇いたからでもない。

しかし今は、お前のせいで萎んだ背中の毛皮を、ぶるぶると震わせてもとに戻してやりたい気分だ。


もう少し、歩くぞ。

野営地は、普段より慎重に選ばねばならない。

「…急に、静かになったね。」

「一頻り暴れたようだからな。暫くこのまま眠ってくれていると有難い。」

俺が注意深く耳を澄ませても、地表付近で滑る蛇の蠢きは届いて来ない。

気まぐれな天災が過ぎ去ったように、俺達は束の間の平穏を享受させられていたのだ。


しかし、前触れも無くまた動き出すことを考えると、この一晩は明かし備える方が賢明だろう。

Teusは俺が叩き起こせば良いとして、俺も仮眠程度に留めておきたい。

早朝には発ち、一刻も早くSkaたちと合流を果たすことを念頭に、動くのだ。




「もう少し先で休みたかったが、止むを得んな。生憎あの山麓一体には近づけそうにない。」

お前も見ただろう。目の前で山が一つ跡形も無く崩れ、また一つ別の岩山が聳え立った一部始終を。


「そうだよね。出来たばかりの傾斜が、いつ崩れるか分からない…。」

「明日はあの山脈を迂回して進む。ヴァン川に一度大きく近づいてから、南下する予定だ。」

時間はかかるが、お前を乗せて走る以上、リスクは取れない。

今言った見立ても、すぐに崩れる可能性を孕んでいる。

もどかしいが、此処から猛追を図っても、あと三日要すると思って欲しい。


「…本当に済まない。」


「謝るなんてとんでもないよ…こんなに力走してくれてるのに。」

「我が矜持の問題だ、と言いたいところだが…自分の縄張りで、お前に不自由な思いをさせているのが、俺はどうしても我慢ならぬのだ。」


「…でもこれは、やっぱり俺達アース神族の問題で…Fenrirのせいじゃない。」

「どうだろうな。俺は誰よりも、この怪物の来訪を自分事として捉えているぞ。」

「……。」



「ほら、降りろ。火を焚いてやる。」

「…ありがと。お疲れ様、Fenrir。」

「疲れてなど、いない。」

「頑張ってくれた相手には、こうやって労うものだろ。」





日が暮れると、俺たちは開けた平原から、曇った夜空を物憂げに見上げていた。

月明りも届かぬほどに垂れ込めている。今にもぽつぽつと降り出しそうで、唯々不穏だ。

俺は寧ろ歓迎だが、こいつのために、どうか持ってくれ。


雨風を凌げそうな大樹が聳える林の中には潜めない。

いつあの地砕きをまともに食らい、折れた大木に彼が押しつぶされるかと思うと、気を緩めることもできない。

同じ理由で、土砂崩れの恐れがある麓からも離れなければならない。

結局、見晴らしがよい高台が最も安全という訳だ。


まあ、下方から一突きされるだけで、ひとたまりも無いのだが。

「…それで、あちらからの連絡はあったのか?」


彼は焚火越しに俺と向かいあうことを拒んだ。

寒くて、震えが止まらないと言うのだ。


夜明けに体調を崩すような二の舞は避けられない。

やむを得ず、いつものように彼を半孤を描いて囲い、風除けの毛皮となる。

「うん…それが、何の音沙汰もなくって…。」

なに…?


「…それは、彼方に何かがあった、ということで間違いないな?」

「少なくとも、Freyaには…。」

不測の事態に陥ったことを追い詰めぬよう、俺は声を荒げないよう努めた。

「そうか…。」

俺だって、群れの皆のことが心配でならない。

しかし、妻の知らせを受け取れず悶え苦しんでいるのは、他でもないTeusのほうだ。


何があったのか。それを想像することすら、こんな夜には恐ろしい。



「此処から窺い知ることは難しいが、ヴァナヘイムも、Vesuva諸とも大蛇の襲撃を受けた可能性があるな。」

「……!?」

しまった、なぜこいつに希望を失わせるようなことを口走った。


「あ…いや、今のは飽くまで仮定の話だ。その線が薄いことを、これから教えてやろう。」


未だに姿を現そうとしない怪物は、随分と正確に俺たちの足元を狙ってきたな?

恐らくは地を這う者の足音を、耳ではない別の触覚で感じ取っているからだ。

それは俺が何処まで走って逃げようと、常にそいつの(てのひら)のうちで弄ばれていることを示唆しかねない。

だがFreyaは違う。そして嘗てのお前も、巻かれた戸愚呂の内から逃げ出すことのできる才の持ち主だ。


脚を伴わぬ移動は、こいつには知覚しえない、というのが俺の推測だ。


考えてもみろ、つい先まで海岸の波打ち際で狼と戯れていた女神様が、次の瞬間にはヴァン川の畔に佇む屋敷の一室で黄昏ていたなどと、地面の裏側をなぞっているだけでは気が付くわけがない。


明らかに、今のところの狙いはこちらだ。というより、ちょっかいを出せる標的が、俺しかいない。

仮にお前の花嫁が狙いであったとしても、俺が森を縦断する間は、こちらの背中に、Freyaは乗っていると考えるだろうよ。



「それにあの土地は、狼たちに守られた人々は、堅牢な城に閉じ籠るより心強く思ってよい。」


喩え地中奥深くで蠢く気配が微かであっても、彼らは異変を五感を超えて嗅ぎ取る力に長けている。

きっと大丈夫だ。


そいつの魔の手が伸びる前に、皆が安全な場所へ避難しているさ。

勿論、SkaがFreyaを乗せて走るのは、多少骨が折れるだろうがな。


それとなくSkaの気持ちを代弁してやると、Teusはようやく表情を少しだけ緩めた。

「そっか。Fenrirが言うなら…」

「ああ、そうだとも。」



「しかし、では一体何があったのかという話になるが…。」

Teusはきつく握った拳の力を抜こうとしない。

居ても立っても居られないのに、俺に鞭打つことでしか先を急げない非力さを呪っているのが見て取れた。

「Loki…。」

「そう思うか。」

先にその名を口にしてくれて内心ほっとした。俺からその可能性を示唆するのは、余りにも鬼だ。


「いや…こっちに来る余裕は、ないと思う。」

「そうなのか?」

アースガルズの事情は良く知らぬが、お前の内に論拠があるのなら有難い。


「無粋なことを聞くようであれだが、お前が呼び戻された法事のことだと捉えて良いか。」

「うん。多分だけど、今は皆に倣って、訳もわからず慣れない儀式とかに参列してるんじゃないかな。」

「それは良いことだ。お偉いさんも色々と大変、という訳だな。」

「……。」



「なあ、Teus。」

突風が、焚火を襲う。


俺は気圧され、思わず口を噤みそうになった。


憶測を口にしてしまって済まない。

だが、この天啓を、お前に確かめておきたかったのだ。


「ひょっとして、この一連の出来事というのは…」




「その亡くなったという、アース神族の女性に、関係があるのではないか?」




「……。」


「Fenrir。」





「連絡を寄越さない理由で、一番あり得るのは…彼女が ’もうすぐ’ なんじゃないかって。」



「…それは、つまり?」



めでたきこと、そう受け取って良いのか?

彼女の周囲で不安げに尾を揺らす狼たちの様子が、眼に浮かぶ。



「もちろんだよ。」



…そうか。

それは、全く思い及ばなかった。

なるほど、合点がいったぞ。



「だから、できるだけ早く、帰らなくちゃ。ね?」



分かった、必ず無事に送り届けてやる。




「ありがとう。」





…その時は、彼女の傍に。


Fenrirも一緒にいて欲しいな。


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